2009年04月29日

 望月保身(もちづきやすみ)氏(74)

望月法律事務所長 望月保身(もちづきやすみ)氏(74)
 【望月法律事務所】民事事件を中心に手掛けている。所長の望月氏は昭和38年に県弁護士会に入会し、同41年に事務所を開設。平成元年に県弁護士会長、日本弁護士連合会常務理事を務めた。沼津市白銀町。

 裁判員制度教育に期待
 
ー県東部の合併についての考えを聞かせてください。
 「合併を積極的に考えたことはない。『合併、合併』という言葉はよく聞くが、合併後のビジョンが伝わってこないからだ。合併して一緒になったとき、どのような街になるのかが見えない。むしろ沼津や三島、富士はそれぞれ特色ある都市。合併により効率化は図れるかもしれないが、それが地域の活性化につながるとはあまり考えない」
 ー沼津の魅力はどこにあると思いますか。
 「山あり海あり食材も豊か。富士山を市内各所で望むことができ、そういった『天然の恵み』は全国でも指折りの地域ではないか。住みやすさも屈指だろう。しかし、最近は若い人が少ないという印象を持つ。人口が減れば活性化もない。若い人たちを呼び込むためには大学や専門学校、職業訓練施設などの充実が必要と思う。市営住宅を提供するのもいい」
 ー間もなく始まる裁判員制度はどのような効果を生みますか。
 「これまで多くの人は裁判所や法律を敬遠しがちだった。だが、日常生活では法律とのかかわりを避けては通れない。裁判員制度の導入は、法律への理解が広がるきっかけになる。判決に市民感覚が反映されるという点でもよいと思う。制度開始を機に、子どもたちに裁判をより身近に考えてもらうための教育が進むことを期待する」
(静新平成21年4月29日「熱き地域人」)
  

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2009年04月29日

松田啓資(まつだひろし)さん(沼津)

NPO法人「lBA未来塾」理事長
松田啓資(まつだひろし)さん(沼津)
 遊休農地を畑に整備しての利活用推進に、平成二十年から取り組む。沼津市西添町、六十九歳。
 ー活動目的は。
 「農業をしてみたい人が集い、作業を体験する場の提供だ。農地の提供者の中には高齢化などの事情でやりたくても農業を続けられなくなってしまった人も多いので、そういう思いに応えたい」
 ー始めたきっかけは。
 「以前自宅が何度か水害に遭ったのを機に自然環境について考えるようになり、地域の除草活動を自主的に始めたところ、地域住民や農業関係者にも活動の輪が広がったのが始まり。人の結び付きが希薄化する今、地域の結束を強める取り組みが重要だと感じる」
 ー利用者の反応は。
 「県東部や東京から約三十人が来場し、農作業に汗している。楽しそうな姿を見るとやっていて良かったと思う。今までは野菜を買って食べていた人たちが作り手の苦労を体験することで、日本の農業が徐々に見直されたらいい」
 ◇
無類のジャズ好きで毎日欠かさず聞いている。
(静新平成21年4月29日「この人」)
  

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2009年04月29日

伊東千枝子さん(元民生・児童委員、沼津市)

 瑞宝単光章(社会福祉功労)
 伊東千枝子さん(元民生・児童委員、沼津市)
 「相談あればすぐ動く」
 家族の支えがあったおかげ。感謝しています。昭和四十七年から平成十六年まで「相談を受けたらすぐ動く」をモットーに、独り暮らしの高齢者や生活保護家庭などの問題に取り組みました。始めは右も左も分からない状態でしたが、町内のことに詳しくなり、徐々に人との接し方も分かってきました。民生・児童委員を離れてから五年が経ちますが、近所の人との付き合いを大事にしています。
(静新平成21年4月29日(水)朝刊)
  

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2009年04月28日

渡辺康一氏

黄綬業務精励(建設業)
渡辺康一(わたなべころいち)さん
 高精度の施工で貢献
 祖父が創業した渡辺工業に入社して間もなく父を亡くし、二十七歳で三代目社長に就いた。「業界の先輩方に助けられ、社員や家族の支えで続けられた」と喜びを語る。
 裾野市建設業協会長、沼津地区の会長、県の副会長を歴任。平成十年、台風で大場川上流が決壊した際は、会員らと人海戦術で土のうを積んだ。「建設会社が災害時にどれだけ動けるかが勝負」と災害対応にも力を注いだ。
 経営環境は「厳しさを増している」が、「携わった道路や橋、学校などが地域に長く残ることが喜び。精度の高い施工をして地元の人の役に立ちたい」と力を込める。市商工会副会長も務め、地域貢献に情熱を注ぐ。
(静新平成21年4月28日(火)朝刊)
  

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2009年04月26日

竹口昌之準教授(沼津高専)

『「探求する心」技術開発、現場に答』
竹口昌之(微生物工学研究者)(沼津市)
あらゆる手段を駆使
  実家は沼津市浮島の兼業農家だった。父親は会社勤め。祖父の壊れたラジオを分解して、中をきれいにしたら鳴ったのがうれしかった思い出はあるが、ごく普通の子供だったと思う。
 現在の勤務先でもある沼津工業高等専門学校に進学したのは、長男だったので地元で就職できればという程度の気持ちだった。最初に志望したのは電気。ところが倍率が高くて無理だといわれ、現在の物質工学科の前身にあたる工業化学科を受けることになった。今の専門分野は、意図せず決まったといってもいい。
 高専の勉強はとにかく楽しかった。自分はいわゆる団塊ジュニアで、何かにつけ競争にさらされた世代。点数で評価され、序列を付けられることに慣れていた。それが、高専ではとにかく自分で考え、調べ、確かめる。こういうことが本当の勉強だと思えた。
 研究を続けたくなり、東京工業大の二年に編入した。普通は高専を卒業すると三年に編入するものだが、英語がまったくだめだったもので。
 大学時代から、恩師の大倉一郎先生の下で継続的に取り組んだテーマがバイオエネルギー。石油代替燃料として期待されるメタンの有効利用のため、微生物を使い、環境負荷が少ない形で用途が広いメタノールを精製する方法を研究した。
 沼津高専に移ってから、精製過程を簡略化するため、メタノールの沸点に近い温度で、メタンからメタノールを合成する微生物を探すことになった。
 生育環境として考えられるのは温泉。全国の温泉を一年半、訪ね歩いた。掘ったり加熱した温泉は微生物が少ないのでだめ。必然的に秘湯巡りになり、未舗装の道にレンタカーで分け入った。リュックサックにチノパン姿で試験管を持って温泉水を採取する姿はどう見てもあやしい。変質者と間違われたりした。
 答えはあきらめかけたころ、突然やってきた。持ち帰った微生物を、メタンと酸素を入れたフラスコで培養し続けたが、外見的には何の変化もない。捨てようとフラスコを開けた時。シユーっと勢いよく空気が入る音がした。空気が入ったのは、フラスコの中の圧力が低くなっていたから。中の微生物がメタンを取り込んだということだ。やった、と思った。
 企業から技術相談を受けて研究に取り組むことが多いが、経験から学んだのは、最良の答えは現場にあるということ。それを痛感した出来事は最近もあった。北海道のでんぷん製造工場から出る排水の臭気対策を依頼された時のこと。排水から臭気の主な原因であるタンパク質を分離、回収する技術を開発した。回収したタンパク質は、現地の農協職員と一緒に牛の飼料にする方法を考えた。
 さらに農家の人と話すうち、バレイショからでんぷんを作る過程で出るポテトパルプと呼ばれる副産物が大量に廃棄されているのを知った。タンパク質と同様に活用できると考え、小麦かすと混ぜて発酵させると牛がよく食べた。穀物相場が高騰する中、意義の大きい再利用になった。
 研究や技術開発は、現実の問題を解決するためにあり、そのためにはあらゆる手段を考えるべきだと思っている。自分の専門が何かということは二の次だ。
 そして大事なのは、まず手を動かすこと。知識が増えるとつい、そんなことをやってもだめだと頭から排除してしまうが、そこに答えが隠れていることは多い。(談)
(静新平成21年4月26日「科学」)
  

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2009年04月23日

県広告業協会・理事長杉山元(すぎやまはじめ)氏

県広告業協会・理事長杉山元(すぎやまはじめ)氏
 広告で地域経済に貢献
 「広告コミュニケーション活動を通して地域経済の活性化に貢献していきたい」。深刻な経済不況の中、今年三十五周年を迎える協会の第八代理事長として抱負を語る。
 「広告は経済のビタミンC。こういう時代だからこそ地元の元気を発信したい」と力を込める。また、インターネットの伸長など広告媒体の変化を受けて「変革の過渡期にある広告業界の中で、新しいビジネスモデルを模索する必要もある」と説く。広告主に対して、総合的な企画提案も求められているという。
 さらに「協会としてのブランディング(価値あるブランドの構築)を目指したい」と話す。「協会として社会的な存在価値を明確にしていきたい。個々の会社ではできないことを協会として取り組めれば」と会員各社の協力を呼び掛ける。
 東京の広告会社に勤務した後、三十歳の時に父親の精作氏が経営する総合広告会社、ダイワ(静岡市駿河区)に入社。精作氏も第四代理事長を務めた。就任の話に「請われた時に恩返しをすることも大事」と後押しをしてくれたという。
【経歴】1994年にダイワ社長に就任。広告業協会では事務局長、副理事長をそれぞれ6年務めた。静岡市出身。56歳。
(静新平成21年4月23日「トップ登場」)
  

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2009年04月23日

後藤義博(ごとうよしひろ)さん〈沼津市〉

後藤義博(ごとうよしひろ)さん〈沼津市〉
茶のハウス栽培に取り組み品評会上位を目指す

 大学卒業と同時に栽培から販売まで手掛ける山二園を設立。全国茶品評会で毎年上位に入賞し、平成五年には同品評会の農林水産大臣賞を受賞した。室温だけでなく地温も管理できる開閉式ハウスでの栽培が特徴。五十四歳。
 ー山二園を設立した理由は。
 「就農時、家業の農家をそのまま引き継いでも市場に左右されるなど将来的に経営は厳しくなると思っていた。保存ができて一年間商売ができるものとして茶を選び、学生時代に描いていた計画を始めた」
 ー具体的な取り組みは。
 「『日本一のものをつくりたい』と思いながら土地に合う栽培方法を模索した。室温などのデータを集めて課題を見つけることを繰り返している。顔の見える商売をするためにお茶祭りも開いている」
 ー不況で茶業界も厳しいと聞きますが。
 「経営目標を明確にすれば不安にならない。おいしいものをつくれば飲んでくれる人がいます」
 ◇
 四月中旬に品評会に出品するやぶきたの摘み取りを行い、農水大臣賞を目指す。
(静新平成21年4月23日「この人」)
  

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2009年04月23日

塩見美喜子(しおみ・みきこ)さん

猿橋賞に決まった慶応大准教授
 塩見美喜子(しおみ・みきこ)さん
 「目指しているのは、生命の分子設計図の解明です」。生体のDNAの遺伝情報を写し取るRNAの研究で、本年度の猿橋賞に決まった。
 研究の意義を時計の部品に例える。「ある疾患を治すときに、部品や仕組みを知らないと治せない。研究は地道で時間もお金もかかるが、積み重なって将来、人にとって大事なものにつながる」
 京都大で修士課程を修了後、米ペンシルベニア大に留学する夫の慶応大教授、春彦さん(四九)とともに渡米。「もし夫と出会っていなければ、博士課程に進みたいと思っていた」が、別居生活を選ばずにひとまず自身の研究を中断した。
 しかし、たまたま夫と同じ研究所に職を得て「仕組みがとても面白い」RNAの研究に開眼。「もし、ずっと日本にいたら(女性研究者として)ハードルもあったかもしれない。男性と同等に扱ってもらいラッキーだった」と振り返る。
 女子学生の割合は増えているが、女性スタッフはまだまだ少ない日本の研究現場が気に掛かる。「『私にできるかしら』と思わず、自信を持ってほしい」と後輩たちにエールを送る。「保育所は順番待ちで苦労した。改善されるといい」と行政への注文も。
 現在は夫と共同研究、論文の執筆などで多忙な日々を送る。「実験は今でもやりたいが、なかなかできない。相手は毎日、コンピューター。今は自分の頭の中で、分子を動かすことが楽しみ」と笑う。
 夫、長女(一〇)との三人暮らし。名古屋市出身、四十七歳。
(静新平成21年4月23日「時の人」)
  

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2009年04月22日

稲田精治(三信理事長)

三島信用金庫理事長
 稲田精治(いなだせいじ)氏(63)
 「ホームドクター」推進
 ー百年に一度とされる不況下、中小企業融資の観点から県東部の経済環境をどうみますか。
 「東部地域は多様な業種が分散していることから、自動車不況に苦しむ県内の他地域に比べれば影響は小さい。景気後退によるマインドの落ち込みは怖いが、安近短を求める観光需要に対し、週末の高速料金割引は伊豆の観光地にとって追い風になるだろう。ただ、引き続き逆風が吹く土木・建設など、業界や企業間格差は拡大が続いている」
 ー東部の活性化をどう支援していきますか。
 「どこよりも地域に密着した金融機関として、中小企業や住民のかかりつけ医となれるよう、『ホームドクター構想』を推進している。中期経営計画では業務の仕組みを大幅に変え、提案能力をより強化する。本部には経営サポートの専門家集団も置き、厳しさを増している中小企業の再生支援にも力を入れる」
 ー県東部の合併問題に関する考え方を聞かせて下さい。
 「伊豆東部の十六の市町に支店を置き、各市町と何らかの取引をしているが、行政同士の連携に難しさを感じてきた。各市町が住民に対してアンケート調査をすれば、一般に変化を好まない住民は現状維持を選択するだろう。だが、道州制が実現すれば、いずれにしても州都は遠く、現状のままでは住民や中小企業の利便が損なわれる。合併に向けた現実的な検討を急ぐよう、経済界からも働き掛けていくべき」
 【三島信用金庫】1911年設立、2006年に伊豆信用金庫と合併した。本支店は伊豆東部に52店。職員704人(今年3月末)。2月末の貸出金残高は3853億円。本店は三島市芝本町
(静新平成21年4月22日「熱き地域人」)
  

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2009年04月19日

松本弥生:3位

初の表彰台喜び控えめ 松本
2009/04/19 (静新webnews)
 松本弥生(日体大2年、飛龍高出)が女子100メートル自由形で3位に食い込んだ。ただ、自己ベストを更新した予選からタイムを落とし「後半、粘れなかった」と初めての日本選手権の表彰台も喜びは控えめだった。
 目標とする上田春佳(東京SC)は隣のレーン。前半は食らいついたが「ターンして浮き上がったら上田さんがもう前にいた」。上田越え、日本新を狙ったレースで、実力の差を実感する結果となった。
 決勝は予選で着たアシックスの水着からレーザー・レーサーに替えた。「しっくりこなかった」とこぼしたが、すぐに「水着のせいにしていては駄目。出直したい」と吹っ切れたように話した。
  

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2009年04月19日

杉山沙侑南:高校新

うれしさと悔しさ半々 杉山
2009/04/19 (静新webnews)
 「高校新は出た。でもメダルが欲しかった」。女子50メートル平泳ぎのレースを終えた杉山沙侑南(日大三島高2年、とこはSS)は「うれしさと悔しさが半々」と振り返った。
 調子は上々。午前の予選は自身の持っていた高校記録31秒98にあと0秒08に迫る好記録を出した。
 昨年度の日本ランキングでは堂々の1位。「絶対に負けられない」と決勝に臨んだ。スタートではやや出遅れた。浮き上がったら隣の田村菜々香(きらら山口)にリードされていた。しかし焦ることなく、大きな泳ぎで追い上げた。
 「予選よりいい泳ぎができた」。タイムは31秒90。目標の半分、高校新は達成したが、もう半分の目標だった表彰台は100分の3秒差で逃した。
 大会前日練習で、北島康介(日本コカ・コーラ)を育てた日本代表の平井伯昌ヘッドコーチに、スタートでの修正点を指摘された。「練習ではやれても、本番になるとまだ言われたようにはできない」と話す。高校レベルの試合では目立たないスタートの差が、日本の一線級がそろう大会では勝敗を左右する大きな要素になる。
 「1つ1つ課題を修正して、トップの人たちと競り合えるようになりたい」。この日流した悔し涙を力に変えて、一層の飛躍を期すつもりだ。
  

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2009年04月19日

高桑健:完勝

後半底力ライバルに完勝 高桑
2009/04/19(静新webnews)
 爆発的なスパートで、100メートル自由形の王者・藤井を置き去りにした。男子200メートル個人メドレー決勝で、高桑健(自衛隊体育学校、日大三島高出)が自身の持つ日本記録を0秒98更新。世界歴代4位となる1分57秒24の好タイムで優勝した。「57秒台は目標だったのでうれしい」と何度もガッツポーズをつくった。
 前日、400メートル個人メドレーで予選、決勝と日本新を連発。が、疲労からか午前の予選は動きが重かった。しかし、決勝では、その不安を見事に吹き飛ばした。「前半が順調で、手応えは悪くなかった」。バタフライ、背泳ぎと苦手にしている前半をスムーズに泳いだ。そして、後半の底力は負けん気の強さだ。高桑は、練習でさえ隣で泳いでいる選手がいるとスピードを上げて抜き去る男だ。
 好勝負を繰り返してきた藤井(コナミ)には、昨年0秒07差で敗れた。高桑は北京五輪で日本記録を樹立して巻き返したが、藤井はリレーで銅メダルを獲得した。「メダルのあるなしでは天と地ほどの差がある」と話すのは、観戦した父・章さん(54)。この悔しさが、高桑のモチベーションとなっている。
 「去年に比べて上半身が全く別人でしょう」と自衛隊体育学校広報の佐野伸寿氏が話す。五輪後には、これまであまりやらなかった筋トレにも積極的に取り組んだ。
 150メートルのターンで、わずか0秒01だったライバルとの差を1秒85に開く完勝劇でローマへの切符を獲得。「勝負にはまだ(自分の)レベルは低い。世界選手権に向けてもう1度強化していきたい」。「トビオ」から世界へ。高桑が決意を新たにした。
  

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2009年04月18日

鈴木好春氏(新沼津副市長)

沼津市副市長に就任した
 鈴木好晴(すずきよしはる)さん(沼津市)
 県の初代合併支援室長、県民生活局長などを経て、一日から沼津市副市長に就任した。伊豆の国市出身、五十七歳。
 ー沼津市の印象は。
 「自然環境が素晴らしく、農業、漁業、商工業と産業も多彩。県東部の核都市としてのポテンシャルも高い。少年時代、沼津で買い物するとウキウキした記憶もある、親近感がある街です」
 ー何に力を入れたいですか。
 「JR沼津駅周辺総合整備事業などの重要施策を進めるには、志を同じくする市民とともに歩もう、という協働の姿勢を念頭に置いて任務にあたりたい。県職員としては外部の視点からの『気づき』を提供し、行政の生産性を向上させるよう努めたい」
 ー抱負は。
 「市長が提唱する『沼津の宝』の発見プロジェクトなどを通じて、沼津を元気にしたい。不況の今だからこそ、行政に知恵が求められている。三十五年間の行政経験の総決算として、市政発展の役に立ちたい」
 ◇
 地酒と魚、愛妻の料理を楽しむ時間が至福の時。
(静新平成21年4月18日「この人」)


 鈴木好晴氏(すずき・よしはる)
【74年、県採用。総務部合併支援室長、県民部県民生活局長などを歴任し、08年から現職。】
 副市長に鈴木氏 沼津市が人事案
 沼津市は十六日、天野幸男副市長(五九)が今月末に退任し、後任に県県民部管理局長の鈴木好晴氏(五七)を充てる人事案を市議会議会運営委員会に示した。選任議案は十九日に開かれる市議会二月定例会最終本会議に追加提出し、同意を求める。
 天野氏は二〇〇七年四月に県土木部建設政策総室長から就任した。退任後は県に帰任する。
(静新平成21年3月17日(火)朝刊)
  

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2009年04月16日

沼津市消防団団長・山口純一氏

沼津市消防団団長
山口純一(やまぐちじゅんいち)さん(沼津市)
 旧戸田村が沼津市と合併した四年前から戸田ブロック長として団員約百人を統括。戸田地区から初の団長に任命され、四十一個分団の九百九十九人を束ねる。六十二歳。
 ー消防団の役割とは。
 「地元で発生した災害にいち早く駆けつけるという気持ちが大切。特に戸田地区は災害時に"陸の孤島"となる可能性が高いので、『戸田は自分が守る』という思いで取り組んできた」
 ー課題は。
 「団員の定員割れが深刻。生業や家族を投げ打っての消防団活動で苦労を掛けるが、最近は勤務上で協力してくれる事業所も出てきた。さらに活動しやすい環境を整える必要がある」
 ー抱負を教えてください。
 「先輩や仲間の応援、戸田の住民の支えがあってここまで来た。共に協力し合い、災害に立ち向かうことで、地元から信頼され、愛される消防団を目指したい」
 ◇
 民宿を経営。熱い"魂"は消防活動に携わる息子と「夢はレスキュー隊員」という愛孫に引き継がれている。
(静新平成21年4月16日「この人」)
  

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2009年04月16日

加藤幸雄氏

「市議会は何のために、誰のために」加藤幸雄
【加藤幸雄氏(かとう・ゆきお)沼津東高出身。一九七〇年、中央大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。全国市議会議長会事務局勤務。二〇〇二年、同事務局退職(調査広報部長)。現在、専修大学、流通経済大学講師。
 著書に『新しい地方政治』(学陽書房)、『市町村議会の常識』(自治体研究社)、『議会基本条例の考え方』(同)、共著に『地方議会活性化ハンドブック』(ぎょうせい)、『自治体デモクラシー改革ー住民・首長・議会ー自治体改革5』(同)、『現代日本の地方自治』(敬文堂)など。】

 地方議会の意義と役割
 国会における議院内閣制とは異なり、地方議会は、アメリカで誕生し発達した大統領制である。市民は、議員だけでなく市長をも直接選挙することができる。このため、「二元代表制」とも言われる。そして、市議会には議院内閣制と異なり、与党、野党はない。強いて言うなら、存在するのは市長支持派、反市長支持派である。
 地方議会におけるこの制度は、議会と市長を並列・対等関係に置き(機関対立型システム)、相互に抑制・均衡(チェック・アンド・バランス)させ、民主政治を実現するものである。極めて民主的な制度であると言われる。
 その証拠に、「民主主義の母国」と言われるイギリスは、二〇〇〇年に地方自治法を改正し、我が国と同様に市民が市長を直接選挙する制度の導入が可能となり、多くの自治体がこの制度を導入している。
 ところで、市議会の役割は、一つには、住民に義務を課し住民の権利を制限する条例、市長が行う行政に法的根拠を与える条例を制定すること(立法権)。
 二つには、制度的にも優位な立場にあり、さらに日常、行政を執行する中で優位になりがちな市長を抑制・監視(チェック)し、より民主的な行政を実現することである(行政のチェック権)。
 したがって、チェックする市議会(議員)は、
市長にいやがられ、嫌われることはあっても、好かれることはない。
 三つには、市長が行う行政に財政的な根拠を与える予算を決定し、その行政の結果である決算を認定することである(財政権)。
 特に、この機関対立型システムにおいて行政をチェックするには、議員個人、会派よりも「議会」としての役割が大きい。そして行政をチェックする最も主な方法は、「一般質問」である。
 議会において、「質疑」は具体的な議案に対して疑義をただすことであり、自己の意見を表明することはできない。これに対して、「質問」(一般質問)は、市長の考え、意見、政策の方針をただすものであり、しかも自己の意見、考えを表明することができる。議員は市長とは異なる政策を提案でき、最近求められているのが、いわゆる「政策提案型議会」である。
 市議会も「言論の府」であり、議員の活動は、自由な言論を中心に行われ、ことのほか言論は尊重される。そうでなければ、住民の意思を反映する市議会とはならない。議員は、基本的に他人の人権、他人のプライバシーを侵さない限り、なんでも発言できる。
 そして一般質問において、議員が市長の政策をチェックするには、同じような政策の具体的な失敗事例を挙げることは、極めて説得力のある方法である。例えば、財政問題を質問する時に、財政破綻した夕張市(北海道)はよく引き合いに出される。
 自由な言論こそ市議会の命
 このたび沼津市議会の一般質問で、沼津駅の高架事業などにかかわり、具体的に分かりやすいように、と茂原市(千葉県)の茂原駅の高架、再開発ビルが失敗例として挙げられた。沼津市議会は、この発言の取り消しを決定する(したがって会議録には載らない)とともに、懲罰特別委員会を設置し、質問した議員を、茂原市を「誹謗中傷」したとして「戒告」処分にしている。
 これは、民主主義を具現している市議会、「言論の府」たる市議会としては、なんとも理解できないことであり、市議会の自殺行為であると言える。
 市議会における自由な言論は、市議会の命である。自由な言論を制約、統制すると、戦前の議会になってしまう。
 そして市議会は誰のためにあるのか。市議会は議員のためにあるのではなく、主権者である市民のためにあるのである。市の政治、行政において市民が主人公である。
 現代の議会制民主主義のもとでの市議会は、直接民主制の代替物とみなされる。このため、主権者である市民の意思を反映し、市民に開かれた市議会、市民から信頼される市議会が求められているのである。
 今、全国の地方議会は、分権時代、自治の時代にふさわしい、活性化された議会になるため、多くの議会改革、すなわち議員条例案の立案、一般質問の対面方式化、一問一答方式化、市長の反問権、議会報告会などを実行し、さらには「議会基本条例」を制定し、さらなる議会改革を進めている。
 市議会が本物にならなければ、民主主義の実現は難しいと言える。
(沼朝平成21年4月16日「寄稿」)
  

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2009年04月15日

オリビエ・ブザンスノ氏

資本主義が変わる②
フランスの新星
 極左政党に広がる支持
 ヨットパーカ姿の男が、経済危機対策を求めるデモの人波からすっと離れた。たちまちメディアが群がり、支持者の人垣ができる。男はちょっと戸惑った表情を見せた後、滑らかに語り始めた。「われわれは皆、壁に直面している。抗議行動の激化は理解できる」
 富裕層に重税を
 
























オリビエ・ブザンスノ氏(三四)。フランスの極左政党「反資本主義新党」(NPA)スポークスマン。「サルコジ大統領のライバル政治家」を尋ねた二月の世論調査で、左派政党党首らを抑えトップに躍り出た。失業者が続出する暗い世相の中、反資本主義の旗印にじわりと支持が広がる。フランスで今、最も注目を集める若手政治家だ。
 サルコジ大統領は二〇〇七年の就任以来、米国流の経済自由主義に基づき構造改革を進めてきた。だが昨年九月のリーマン・ショック後、今度は資本主義の規制を唱え始めた。国民は権力者に欺瞞(ぎまん)のにおいをかぎ取っているのだろうか。
 ブザンスノ氏は「大政党は資本主義の道徳的運営が解決策だと主張する。だが、結局は少数の株主を救うために公的資金が使われ、解雇が横行する。逆のことを実行すべきだ」と強調する。
 「富の分配を徹底的に見直さなければならない。賃金や年金を引き上げ、富裕層と企業に重税を課す累進課税を復活させることが必要だ」
 拡大する党勢
二月、それまでスポークスマンを務めていた極左組織「革命的共産主義者同盟」をNPAに改組した。知識人らの集まりにすぎなかった組織を、より開かれた政党に脱皮させ、党員も二千五百人から九千人に急増した。
 「遺伝子組み換え作物への反対運動や不法移民の支援運動、エコロジー、同性愛者の権利擁護など市民運動の現場で活動を続けてきたことが、彼の強みだ。単なるマルクス主義者の枠を超えている」とパリ政治学院のバンサン・ティベリ研究員は指摘する。
 一九八九年、ベルリンの壁が崩れ東西冷戦が終結したとき、ブザンスノ氏は十四歳。「政治に目覚め始めたころだ」と振り返る。
 人種差別反対運動に飛び込んだブザンスノ氏にとって、ソ連崩壊は社会主義や共産主義の失墜というより、抑圧体制国家の最期と映った。
 「それより、私は資本主義者たちの言説の欺瞞性を確信していた。『資本主義の勝利、歴史の終わり』。二十年後、全部偽りだと証明された」
 横へのつながり
 今回の世界経済危機を通じて得られる教訓は「少数者が決定権を握ることの誤りだ」と言う。「資本主義体制では、膨大な資本を握る少数の者が富の行方を決める。ソ連や東欧圏でも官僚組織の頂点に立つ少数者が決定権を握っていた。われわれが、まだ試していない唯一のシステム、それは市井の多数派が自らの運命を決める社会だ。私自身が考える社会主義や共産主義の定義に近い」
 それは権力者と民衆という縦の関係ではなく、人々が横へ横へとつながるイメージだろうか。
 ブザンスノ氏の本業は、パリ郊外の富裕地区ヌイイシュルセーヌの郵便配達だ。くしくも、サルコジ大統領がかつて首長を務めた町でもある。デモの最中に握手を求めると、握り返してきた手はざらりと荒れていた。汗を流して、現場で働く者の手だった。
(静新平成21年4月15日「大転換」)
  

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2009年04月11日

浅田孝夫妻・山梨韶夫妻・湯山博夫妻

 宮中茶会に県内3組
(浅田孝夫妻・山梨韶夫妻・湯山博夫妻)
 夫婦50年の歩み 「苦労報われた」


 今年、結婚満五十年を迎える全国の夫婦九十八組が十日、天皇、皇后両陛下の招きで皇居を訪れ、宮中茶会に参加した。県内から招かれた三組の参加者も茶や菓子を味わいながら両陛下と懇談し、「これまで夫婦で歩みを共にしてきて良かった」と一様に感激した様子だった。
 天皇陛下は「皆さんは戦争のさなかに育たれ、戦後は今日の日本を築く上で大きく寄与され、大変な努力をされたと思います。ご尽力に深く感謝の意を表したいと思います」と述べ、乾杯を交わした。
 県内で茶会に招待されたのは、静岡市清水区御門台の浅田孝さん(七八)=丸長鍍金常勤技術顧問=と妻リンさん(七六)、同区興津東町の山梨韶(あきら)さん(七五)=元県食鳥肉販売業生活衛生同業組合理事長=と妻倫代さん(七二)、裾野市御宿の湯山博さん(七八)=元裾野市農協組合長=と妻享子さん(六九)の三組。
 浅田孝さんは「天皇陛下に沼津御用邸での思い出話をしていただいた。非常にありがたかった」。湯山享子さんは「五十年間、夫婦で共に生きてきたかいがあった。感無量」。山梨韶さんは「皇后陛下の記憶力のすばらしさや気品に感激した。夫婦でこれまで苦労してきたことが報われた」と目を細めた。
(静新平成21年4月11日(土)朝刊)
  

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2009年04月10日

 暁秀高3年の石井銀河さん

 暁秀高3年の石井銀河さん
「全国的文学各賞を次々受賞」
 暁秀高文芸部に所属する石井銀河さん(三年)は、第1回田辺聖子文学館ジュニア文学賞の短歌部門に応募し、高校生の部で最優秀賞、第8回方代の里なかみち短歌大会のジュニアの部で最高賞の文部科学大臣賞を受賞し、先月、表彰を受けた。これまでにも短歌や俳句のコンクールで数々の受賞を重ねており、「作品が認められてうれしい」と話している。
 田辺聖子文学館ジュニア文学賞は、作家田辺聖子さんに関する研究機関・資料館の大阪樟蔭女子大学田辺聖子文学館が、表現力豊かな若い世代を育てる活動の一環として、全国の中学生や高校生に出品を呼び掛け、初めて開催された。
 全国から小説やエッセイ、短歌、俳句、川柳、読書体験記の各部門に八千百四点が寄せられ、審査の結果、百十七点が入賞・入選した。
 石井さんは、共通課題の「夢」をテーマに、
「朝起きていつもの世界ぼやけてるあなたのいない現実にいる」と、恋愛感情を詠んだ歌を出品。「大切な人がいたけど急にいなくなって寂しいな、と思う気持ちを詠んだ」という。
 先月開かれた授賞式に出席した石井さんは、田辺さんや作家の林真理子さんに直接会って話を聞き、「二人とも若い時に苦労した時期があったからこそ、今、素晴らしい人になっているのが分かった。私も勉強や苦労を進んでやりたい」と感想を話している。
 一方、方代の里なかみち短歌大会は、甲府市出身の歌人山崎方代の功績を称え、毎年開かれている短歌大会。全国から四千九百七十二首の応募があり、一般の部とジュニアの部で、それぞれ上位三点ずつが入賞し、石井さんはジュニアの部で最高賞に選ばれた。
 作品は「雨水が芋の葉の上ころころとサイズ異なるそれぞれの空」。石井さんは「畑に行った時、芋の葉の上にある水滴に雨上がりの空が映っているのを見た感動を歌にした」と話す。
 これ以外にも昨年は文芸部の仲間と共に団体戦で地区予選を勝ち抜き、全国大会の俳句甲子園や短歌甲子園に出場。短歌を中心としたコンクールで入賞・入選を重ねている。
 石井さんは、中学時代に百人一首の勉強をしたのがきっかけで文学に興味を持ち、詩を書くようになり、同校入学と同時に入部した文芸部で短歌や俳句を学ぶようになった。「俳句も作るけど、短歌の方が気持ちを出せるから短歌を作ることが多い」という。
 毎日寝る前に歌が頭に浮かぶことが多く、携帯電話に文字を打ち込んで保存し、顧問の勝俣文子教諭に見せてはアドバイスを受けている。
 自らも数々の受賞歴がある勝俣教諭は、生徒達にコンクールへの積極的な出品を勧め、「生徒達の創作意欲をかき立てるだけでなく、結果として受賞すれば社会的な評価が得られて励みになり、自分に対する自信にもなる」と話す。
 石井さんは、勝俣教諭から「今出来る作品は今しか作れない」と、高校生の今、感じていることを歌にするよう言われ、「無理をして背伸びしないで、今の自分に作れる歌を詠むようにしているけど、短歌は、ほとんど恋愛がテーマになる。短歌をただ作りたい、とい気持ちだけど、コンクールなどで認められるとうれしいので、これからも挑戦していきたい」と話している。
 大学受験を控える三年生になったが、「忙しい時に詠んだ方が、気持ちがすっと出てくるので、受験勉強の合間にも短歌を作っていく。大学では日本文学を本格的に学んで短歌や俳句、詩を続けていきたい」と将来を見据える。
 勝俣教諭は「石井さんは、等身大の日常生活の中から光るものを取り出すのがすごくうまい。自分自身を見つめ、考えて、作品に反映させている」と評し、「たくさんの賞を受賞しているので、簡単に受賞できるように感じる人もいるかもしれないが、いずれも全国から出品点数が多いため、入賞は難しい。数を出せば入賞するものでもなく、石井さんが感性を磨き、年々力をつけているのが分かる」と話している。
(沼朝平成21年4月10日(金)号)
  

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2009年04月08日

福田昌明氏

近畿日本ツーリスト沼津支店長
 福田昌明氏(ふくだまさあき)(49)
 地場産業の観光で誘客
 ー東部伊豆地域の可能性をどう見ていますか。
 「静岡県は県民所得が全国三位で、県東部は中でも裕福な地域。県外の観光地や土産物店では一人あたりの購入単価の高さから、沼津ナンバーの団体旅行バスは非常に歓迎されてきた。この高い購買力を地元での消費にもっと振り向ける工夫が必要だろう。観光で言えば、早朝の出発や遅い帰着をあまり苦にせず、いろいろな旅行を提案しやすい旅行好きな県民性は顕著。試験的に取り組んだ沼津魚市場の早朝見学体験ツアーなど、地場産業をテーマにした観光は伸びる可能性がある」
 ー東部の観光振興に向けた課題は何ですか。
 「沼津、御殿場、富士など、訪れる人は決して少なくないが、通過点になってしまっている。宿泊施設が少ないことが要因にあるが、夜の街歩きを楽しもうにも商店街の閉店時間は早い。食事やお酒を楽しめる飲食店の紹介や、早朝に出掛ける観光スポットとの連携など宿泊してもらう一層の工夫が必要だろう」
 ー静岡空港開港を東部地域の活性化につなげる方策はありますか。
 「東名沼津ー牧之原インター間が車で約一時間十分、空港まで約十分で、想像以上にアクセスがいい。羽田空港までの渋滞リスクを考えれば、バス移動の団体旅行は特にメリットがある。外国人観光客にとって、富士山は北から見ても南から見ても同じで、海外旅行業者は比較的安価な山梨県内の宿泊施設を紹介する傾向がある。東部、伊豆の観光関係者には、海外からの誘客を意識した価格設定の努力が求められる。東南アジアで広く普及している携帯音楽プレーヤーやインターネットなどを活用した情報発信の工夫は早く手掛けた者勝ちになると思う」
(静新平成21年4月8日「熱き地域人」)
  

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2009年04月06日

佐藤徳太郎さん

D52への愛、歌に込め
 元市議佐藤さん作詞 沼津で初披露

 沼津市高沢町の高沢公園に展示されている蒸気機関車「D52」の歴史や活躍を伝える「D52-136の歌」が完成し五日、同公園の「第二十一回開北桜まつり」(同市第五開北地区連合自治会主催)で初披露された。
 作詞を手掛けたのは元沼津市議で建設会社会長の佐藤徳太郎さん(七二)。昭和四十三年の御殿場線電化の際、佐藤さんは沼津でのD52保存に奔走。同四十八年に北海道・五稜郭機関区のD52を沼津へ運び、同公園での展示が実現した。しかし展示から四十年近くが経過し、当時の経緯を知る人は少なくなった。「なぜ高沢公園にD52があるのか語り継いでほしい」。その手段として佐藤さんは昨年、歌の制作を思い立った。
 「裾野に向かってしゅっぽっぽ」「岩波過ぎれば富士岡だ/右に箱根の外輪山」「ここが終点国府津駅/転車台で向きかえる」ー。歌詞には御殿場線の全駅名を登場させた。前奏と間奏にはナレーションを挟み、D52への愛情を言葉にした。
 満開の桜のもとで行われたお披露目では、沼津少年少女合唱団のメンバーが軽快に歌い上げた。「SLの白い蒸気と黒い煙のイメージから、躍動感あふれる曲調にした」と作曲者の鈴木慎一さん(六九)=小山町=。合唱団の歌声に目を細めて聴き入っていた佐藤さんは「この歌がD52を知るきっかけになればうれしい」と期待した。
(静新平成21年4月6日(月)朝刊)
  

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