2020年09月20日

岩井氏国交副大臣

岩井氏国交副大臣
岩井茂樹副大臣

 政府は18日の閣議で、菅内閣発足に伴う副大臣25人と政務官27人の人事を決めた。県内国会議員では国土交通副大臣に岩井茂樹氏(参院静岡選挙区)、
 岩井氏は内閣府と復興、を兼務する。
 岩井氏は当選2回。これまでに経済産業政務官や自民党水産部会長などを務めた。取材に対し「今までの経験や専門性を生かして副大臣の仕事に取り組んでいく。静岡県でも地震や豪雨が懸念されている。防災対応に力を入れたい」と述べた。
(東京支社・関本豪、小泉直樹)
【静新令和2年9月19日(土)朝刊3面記事抜粋】
  

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2019年06月05日

徳川家広

徳川家広1
徳川家広2



徳川家広プロフェール
1965年 東京都生まれ
父親の転勤により小学1~4年、アメリ力合衆国の現地学校へ通う
1989年 慶應義塾大学経済学部卒業
1991年 ミシガン大学大学院修士課程修了(経済学修士)
1992年 国際連合食糧農業機関(FAO)に勤務(ローマ本部、アナリスト)
1995年 同ハノイ支部に勤務し、技術指導を行う
2000年 コロンビア大学大学院修士課程修了(政治学修士)
現在 政治経済評論家、翻訳家、徳川記念財団理事
〈著書》「バブルの興亡」(講談社)、「自分を守る経済学」(ちくま新書)ほか
〈訳書》「豊かさの誕生」(日本経済新聞)ほか
  

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2017年09月18日

2013年10月03日

真野彰一さん(まのしょういち)(沼津市)

沼津市議会議長に就任した
 真野彰一さん(まのしょういち)(沼津市)
mano
 第81代の市議会議長。総務経済委員長、議会運営委員長などを歴任した。現在5期目。本業はミカン農家。65歳。
 ー沼津への思いを。
 「輝きを取り戻さなければならない。懸案のJR沼津駅付近鉄道高架事業は、県が年内に方向性を出す姿勢を示したので、動向を注目している。市街化調整区域の土地利用についても、市が規制緩和に向けて準備を進めている。議会としても、将来に責任が持てるよう議論を重ねたい」
 ーほかに市政の課題は。
 「総合コンベンション施設『プラサヴェルデ』が来夏にオープンし、東名、新東名高速道にはスマートインターチェンジが設置される。これらをチャンスと捉え、着実に生かしていかなければならない」
 ー議員としての信条は。
 「議会中はもちろんだが、閉会中こそまちの課題をしっかりと見据え、調査、研究することが大切。同僚議員とも議論を重ね、市当局にどんどん提言していかなければならない」
 ◇
韮山高の野球部出身。夏の高校野球観戦をしていると「あのころを思い出す」。
《静新平成25年10月3日(木)「この人」》
  

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2012年10月29日

沼津市長に栗原氏再選

平成24年10月29日(月)静岡新聞朝刊
沼津市長選開票結果
栗原裕康 35,622票=当
中山康之 24,320票
投票率=36.21%(過去3番目の低さ)
  

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2012年10月18日

「市長選立候補予定者に聴く」落合秀郷氏

「市長選立候補予定者に聴く」
③ 落合秀郷氏


 一九六五年十一月、平町生まれ。現住所は根古屋一七三の二。四十六歳。五小五年生の時に三島市に転居。向山小、中郷中、日大三島高を卒業し、東京スクールオブビジネス.マスコミ広報科に進学。社会人となってからは、マスコミ関連会社、建設会社、アパレル関連会社を経て、店舗プロデュース業に転じた。
 現在は、障害者福祉施設「あしたか太陽の丘あまぎ学園」で支援員として知的障害者の生活自立支援の仕事に携わっている。
 「人に奉仕するという点で、支援員も政治家も同じ」と語る落合氏は、市政挑戦を意識した理由の一つとして、東京で行われている反原発デモに参加したことを挙げる。
 東日本大震災以前から原子力問題に関心を寄せており、市長就任が実現した際には、原子力発電所に反対の姿勢を持つ全国の首長達と積極的に連帯していきたい、という。
 また、「放射能をばらまく瓦れきの受け入れはしない。瓦れきではな、く、人を受け入れよう」と主張。被災地瓦れきの沼津受け入れについては絶対反対の姿勢を示すとともに、被災者支援の強化を掲げている。
 落合氏は、こうした主張を「愛に基づいた政治」と呼び、その一環として沼津駅付近鉄道高架事業を中止し、代わりに市民生活充実を重点としたまちづくりへの移行を訴える。
 具体的には、育児相談員付きの託児所の設置や、孤独死防止のためのパトロール体制の構築、教育現場での「いじめ」根絶のための対策要員充実、生活弱者の自立支援モデルタウンの設置、などを掲げている。
 また、沼津の活性化については、文化と芸術によるまちおこしを提案。音楽イベントを商店街などで定期開催することや、新入生の受け入れを停止した西野の東海大開発工学部跡への芸術系大学誘致を挙げる。・
 「芸術系大学が出来れば、若くて新しい才能が全国から沼津にやってくる。これだけでも沼津に与える影響は大きい」との考えだ。
 このほか、経済政策の目玉として「麻産業の導入、推進」を掲げる。
 紙の材料などとして麻繊維の商品化は有望であり、数十兆円の経済効果になると期待を寄せており、市有地での栽培など、全国に先駆けて沼津で麻産業を推進していくことの重要性を独特の視点から強く主張している。将来的には医療分野での麻の活用も視野に入れているという。
 さらに、かつて神戸市で暮らしていた折に阪神淡路大震災を経験していることから、防災問題について、普段は駐車場など他用途に用いながら、いざという時に避難所に転用できるスペースを市内に多く用意するよう提唱している。
 市長選については、こうした内容の公約十三力条を掲げている。
 ①愛に基づいた政治運営。
 ②高架事業の中止。
 ③文化、芸術を推進することによる、まちの活性化。
 ④経済立て直しのための有識者外部団体を設立し、市役所内部組織の仕分け、見直しを図る。
 ⑤市長給与の半減。
 ⑥十兆~三十兆円の経済効果が期待できる市有地等を利用した麻産業の導入、推進による経済・医療・文化の活性化および雇用の創出。
 ⑦市民の意見を取り入れる市政運営。
 ⑧育児相談員付きの託児所や公園の設置。
 ⑨沼津駅から港へつなぐ自然遊歩道の整備。
 ⑩孤独死を防ぐためのパトロールの推進。
 ⑪子ども達のいじめ問題根絶と保護者の安心確立。
⑫生活者(障害者、母子家庭、老人、二ート等)が自立して一生をおくれる実験的な地域・特区の整備。
 ⑬放射能をばらまく瓦れき受け入れはしない。
 市長選への出馬表明以降、周囲から様々な反応があったという。
 三島市に住む両親は、初めは非常に驚いていたが、公約十三力条を見て理解を示してくれたという。
 また、落合氏は高校時代からバンド活動をしており、現在も二つのバンドでベースボーカルを務めている。こうした音楽活動を通して知り合った知人達からは、驚きの声とともに「市長選に興味を持った」という声も寄せられている。
 選挙へ向けた今後の活動としては、一般的な街頭宣伝ではなく、街頭での音楽活動を通して若い世代に支持を呼びかけていく方針。
 「幸せな人は、皆笑っている。沼津を笑いのあるまちにしたい。沼津は特に田舎でもなく、都会でもない。これは欠点ではなく一つの魅力。様々な実験的取り組みをしていくには適していると思う。沼津で新たなことを始め、そこから全国に普及していくようなまちづくりを進めたい」と語る。
《沼朝平成24年10月18日(木)号》
  

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2012年10月17日

「市長選立候補予定者に聴く」石原義裕氏

「市長選立候補予定者に聴く」
② 石原義裕氏

 昭和三十一年、旧戸田村生まれ。五十六歳。現住所は中沢田三一九。
 韮山高から明治大学文学部に進み、英米文学を専攻した。卒業後に帰郷。司法書士を目指して沼津市内の司法書士事務所に勤めながら試験勉強を続けたが、本格的な勉強のために六十三年に退所。東京に転居し、働きながら勉強して平成二年に合格した。
 翌三年に東京都で司法書士事務所を開業する一方、法律関係を学ぶ学生らを対象に法律学講座を無料で開講し、講師を招くとともに、自身も講師を務めて後進の育成に尽力した。
 政治にも関心を持ち、国会議員の選挙活動の手伝いも行ったが、日本の将来について考える中で、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が戦後の日本に対して、大衆の関心を政治から逸らす「愚民化政策」を行った影響が現在も続くことを主張。「なんでもアメリカの言いなりで、これで独立国と言えるのか」と奮起。「享楽と金だけを追求し、社会的マナーや道徳心も廃(すた)れつつあり、日本人は美徳を失っている」と、啓発活動に力を入れた。
 東京都で十年間、過ごした後、浜松市に事務所を移転。多くの外国人出稼ぎ労働者らと知り合い、親交を深めた。仕事にあぶれた外国人を事務所で雇い、司法書士の仕事では暴力団組織が絡む案件も引き受けて法的な手続きで解決するなど、「相手が誰であろうと、言いたいことを言う覚悟を決めている」と、信条に基づき行動してきた。
 その後、沼津市に移転して十年がたつ。自宅は事務所を兼ねる。同居していた母を今年一月に亡くし、現在は一人で暮らす。
 選挙への出馬は長年考えていたが、母親の同意を得られず、「信念を通すと言っても、親に止められれば聞かざるをえない」と断念してきたが、母の死をきっかけに、「やりたいことをやって死にたい。自分が行動を起こすことで市政に一石を投じたい」と出馬を決意した。
 「人にやさしい政治に尽きる」として、公務員の意識改革を第一に掲げる。
 自転車で走るには危険なデコボコの道路があり、中心市街地の美観が損なわれている光景などを目にし、市役所の関係課を訪ねては改善を求めてきたが、「何度言っても改善されない。説明すれば納得はするが、行動に移さない。すぐやる課を設けて住民の声を聴き、すぐ行動に移すよう市長に提案したが、返事ももらえなかった」という。
 「大型公共事業をやる前に、人の命に関わるような危険な道路の整備を優先すべき。中心市街地の美観も保てないようでは活性化は無理で、中心市街地の景観に水を有効に取り入れた三島市に習うべき。公務員が公僕である意識を持たず、就業時間内だけいて高額の給料と賞与をもらい、市民の声には耳も貸さない。『君達は貴族か』と言いたい」と憤る。
 具体的な改革案として挙げるのは、「市長および議員も含め市職員の人件費三〇%削減」で、「景気の低迷で企業ではリストラや賞与なし、賃金カットは当たり前だが、公務員は守られているため仕事への意識が低い。市職員に冷や水を浴びせ、民間と同じ痛みを分かち合ってもらう」と話す。
 「非正規職員も含めて三〇%人件費をカットした場合、一般会計と特別会計、企業会計を含めて五十九億六千万円の削減になる。当然、若い世代や非正規職員の削減率は抑え、所得の多い職員が中心になるが、反対するなら人員削減との二者択「を迫る。ただ、カットするだけでなく、民間と同様に能力や意識の高い職員の給料は増やし、意識の低い職員は据え置く再配分を行い、余った分はインフラ整備などで有効に活用する」 「人にやさしい市政のためには財政の立て直しが必要だが、それ以前に職員の意識改革をしなければ、財政を工夫して持ち直したとしても、市民に良質なサービスは提供できない」と強調する。
 また、今後の日本を担う二十代とバブル経済の恩恵を受けた四十代以上で「世代間ギャップが大き過ぎる」ことを指摘。
「将来に希望が持てないバブル崩壊後の世代に『希望の光』を与えなければ、高齢化と人口減が進む沼津の将来は暗い。二十代に集中的に予算をつぎ込み、やる気のある人間には、それなりの設備を用意し、就労支援などの投資をする。十代の教育にも特出したものがなければ、若年層は長泉町をはじめ周辺市町に逃げるばかり」
 一方で、「日本人よりも、もっと苦しいのは在住外国人。参政権はないが同じ市民である在住外国人にスポットを当てたい。日本人と外国人が地域で日常的に文化交流を行い、互いの語学教育の場にもなるような塾を地区センターなどで開き、自分の身を守るために必要な法的な知識やゴミの出し方なども教え、トラブルを防ぎたい」考えで、「市立病院にはポルトガル語、スペイン語、英語が話せるスタッフを配置し、外国人が安心して医療を受けられるようにしたい」という。
 鉄道高架事業については、「詳しい内容は正確な資料がないため分からない」としながらも、「一般論として、事業効果があり、財政に余裕があるならば、高架の下を自由に行き来できるようにした方が良いに決まっている。市民のためになるのであれば知事は土地を収用すればいいのに、なぜしないのか」と疑問視。
 実感としては、「市民が鉄道高架の賛成、反対に関心が高いとは思えない。今さら造っても遅い、どうせ造れないんじゃないかと思っている人の方が多いのではないか。司法書士の仕事で土地の登記手続きをよくするが、日本人は土地に執着し、しがみつく部分がある。関心が高いのは土地に関する当事者だけ。土地には公共性があり、民法第一条第一項に『私権ハ公共ノ福祉二遵フ』とある通り、その利用は本来、限定的なものである。土地収用法が存在している以上、収用できると考える」と主張。
 沼津の現状について、「沼津は、目的地ではなく、ただ単に通過するだけの都市になり下がった。沼津港の集客に頼り、観光地として大々的に宣伝する一方で、市は何もしていない。沼津港で観光客が接触事故を起こしたのを見て、休日だけでも警備員を配置するよう市に提案したが受け入れられなかった。沼津港を観光の拠点と考えるなら、それなりの予算を付け、駐車場を広げ、観光客がより楽しめるようにするべき。今の沼津市は仕事をしているつもりになっているだけ」だと断じた。
 「市長になったら市役所一階にオープンスペースの市長室を設け、誰でも気軽に会えるようにして、現場の声を直接吸い上げる」という。
 故郷の戸田地区については「昭和四十年に北マリアナ諸島で静岡県竿釣漁船七隻が台風で沈没する集団遭難事故が発生し、戸田の漁師を含む二百九人の乗組員が犠牲になる大惨事があり、同級生の父親も大勢死んだ。戸田住民にとっては忘れられない悲しい出来事。今では遺族だけで慰霊祭を行うが、遺族だけの問題ではない。この事故にスポットを当て、人集めにもつなげたい」と話す。
《沼朝平成24年10月17日(水)号》
  

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2012年10月16日

「市長選立候補予定者に聴く」栗原裕康氏

「市長選立候補予定者に聴く」
 今後四年間の市政の舵取り役を選ぶ市長選挙は、二十一日告示、二十八日投開票で行われる。今回選挙には現職と新人三人の合わせて四人が立候補を表明。前回選挙と同じ立候補予定者数となっているが、どのような考えで立候補を決意し、市政には、どのように臨もうというのか、四人に聴いた。四回にわたり、現職、新人(五十音順)の順に掲載する。

①  栗原裕康氏

 昭和二十三年十二月、静岡市生まれ。六十三歳。一中、東高、慶應義塾大学経済学部を卒業。三光汽船勤務後、防衛庁長官、労働大臣などを務めた父、祐幸氏の秘書を経て平成三年、沼津市選挙区から県議選に出馬し当選した。
 平成五年の衆院選(中選挙区)で祐幸氏引退の後を受けて出馬し当選。小選挙区に変更後の選挙区選挙での当選は果たせなかったが比例で当選。十二年まで代議士を務め、この間、防衛政務次官(当時)に就いた。
 平成十二年から十五年まで日本大学国際関係学部非常勤講師、十六年から二十年まで新仲見世通りでマグロ丼店経営および社会福祉法人育清会特別養護老人ホーム柿田川ホーム理事長。
 平成二十年十月の市長選に出馬して当選。現在一期。
 今回選挙へは市議会二月定例会本会議で質問に答えて二期目への挑戦を表明。動機については「一期四年やらせていただき、これでいいという気持ちではない。まだまだやることがいっぱいある」と語る。
 その四年間を振り返り、「一番最初に取り組んだのがイーラde。経営改善は、まあ、できたと思う。随分良くなった。それから行政改革で事業仕分けを三回やった。これは永遠の課題だから、これでおしまいということはないが、随分進んだと思う。環境政策もいろいろと進行中だ。あとは継続の案件がいっぱいある。医療費の公費負担について通院と入院は中学三年、入院は高校までやった」。
 栗原市政の目玉の一つとして始めた環境を大切にするまちづくりについては、「まず、沼津の森づくりを始めた。今年、三回目をやった。市民組織の『沼津の森づくり実行委員会』も出来た。まだまだ市民の皆さんの認知度は低いが、宮脇昭先生(横浜国大名誉教授)の指導で続けている。(同様の取り組みで)三回続けてやっているところはないようで、ある程度は進んでいると思う。ほかにエコドライブコンテストとか、エコ活動コンテストというのをやっている。また、『ぬまづの宝一〇〇選』で市民に沼津の良さを認識してほしい」。
 これは二期目への挑戦でも掲げるテーマで、「行政改革と環境は一期四年で簡単に変われるものではない」と改めて決意を見せる。
 職員の意識改革も就任以来言い続けているもので、「市の職員には、俗に言う『お役所仕事』というところがある。縦割り行政が指摘されるが、隣の課がやっていることはあまり気にならない。それから前例踏襲。『前例がない、予算がない』と言って断る。それから身内に甘い。情報をあまり出したがらない。というようなところがある。これは沼津市役所に限らず、どの役所も共通している。県庁だってそうだし、国もそうだ。そこに少しでも風穴を開けていかなければいけないというのは私のモットーで、そのためには何をしたらいいのかというのは、少なくとも職場の雰囲気が、言いたいことを言って大いに議論できるものでなければ。よく私は『風通しの良い職場づくり』と言うが、自分も含めて自由にものを言って、互いに議論を尽くしてより良いものを目指していくという雰囲気が出来てくれば方向性としては悪い方向にいかない。今までは、どちらかと言うと上の言うことは黙って聞く、言われたことだけやればいいという雰囲気があったのかも知れない。その点は少し改善されているのではないか。以前の時代との比較はできないが、人からは、職員が生き生きとしてきた、というような話も時々聞くので、いいのかな、と思っているが、もっともっと(風通しよく)していかなければいけないなと考えている」。
 最近特に、「魔法の杖はない。いろいろなことをやる」ということを口にする。その真意について、「『沼津自慢フェスタ』は今年で三年目だったが、去年までの二回はどちらかと言うと役所主導だった。(今回は)まちなかで一生懸命やっている若い人達に実行委員会を作ってもらい、彼らの人脈で企画運営が行われた。結果として大成功だった。それが、これからの、そのいろいろなことをやっていくということの大きなヒントなのだろう。もっと露骨に言うと、栗原が市長でいる限りは若い人達や、よそから来た人達、突飛なことを考える人達が、いろんなまちおこしのアイデアを持ってくると、栗原が市長でいる限りは、もしかしたら、それが実現できるかも知れないと、自分達が考えていることが(実現する、あるいは)自分達に任せてくれる、そういう雰囲気が出てくれば非常にありがたい」。
 「つまり、役所が何でもかんでもやるというのではない。もう民間で、いろいろな意見を持っている方はいっぱいいる。そういう人達のアイデアを生かしていくということ。もちろん最終的な責任は私にある。けれども、沼津市役所は今まで個々で言いに行っても、前例がないとか、予算がないとか、と断ってきたものが、本当にいいものだったなら実現するかも知れない、そういう雰囲気が、まちなかに出てくれば、特にまちおこしをしようとしている人達に出てくれば、ものすごい起爆剤になるのではないか」
 いろいろなことをやるためのハード面も考えているのかについては、「新しい公共投資はもうできない。今、継続(的事業)だけで手いっぱい。これで鉄道高架が本格的に動き出すことを考えたら、地区センター(建設)だけは早く終わらせたい。それから防災も。これは行わなければいけない。あとは、いかにお金を節約し、金は出さないけれど皆でアイデアを出していくということしかない」。
 沼津では二代、十八年間にわたって官僚出身者が市長を務めたが、今回の選挙では逆に、民間での経験を掲げて出馬表明した人もいる。それに対して栗原氏の代議土経験が市政に反映された部分については、「国政をやってきたというのは、ある意味では大局的に、沼津市だけに絞った考え方ではなくて、(周辺自治体を含めた)この地域全体、国全体の動きがどうだから沼津はこうだ、ということは割と見やすい」という。
 そのうえで、「子育ては長泉」「清水町の方が税金が安い」などと言われる点について、「『沼津は住みにくい』『津波が来る」』『税金が高い』などということも言われるが、一つ一つ検証してみると、そんなことはない。この地域全体として、人口が減らなければいいのではないかと思う。そのことは、いつか分かってもらえるのではないか。例えば子どもが幼稚園、小学校低学年までは長泉で、中学校ぐらいになってくると、やはり沼津で、と沼津に来る人がいるかも知れないし、現に今もいる。そういう意味では、あまり一喜一憂しない方がいい。これは企業もそう。有名企業が市内から出ていくと大騒ぎするが、沼津市役所も(職員が)随分、市外から通ってきている。この地域全体がおかしくなってしまうようなことがあれば大問題だが、沼津だけで、なんでも抱えるという考え方は間違っているのではないか」という考え方を示した。
《沼朝平成24年10月16日(火)号》
  

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2012年10月14日

栗原裕康氏

10月28日沼津市長選に立候補予定の栗原裕康氏

  

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2012年10月02日

石原義裕氏

市長選へ4人目の出馬表明
 司法書士の石原義裕氏

 十月二十八日投開票で実施される市長選に一日、司法書士の石原義裕氏(56)が名乗りを上げた。
 石原氏は昭和三十一年、旧戸田村生まれ。韮山高から明治大学文学部を卒業後、働きながら司法書士試験の勉強を続け、平成二年に合格。翌三年に東京都で司法書士事務所を開業し、浜松市を経て沼津市に転居して十年。現住所は中沢田三一九。
 立候補の動機は「人にやさしい政治に尽きる」と、市職員の意識改革を目指し、鉄道高架事業は「財政的余力があり、効果が認められるならやるべき」と主張する。
《沼朝平成24年10月2日(火)号》
  

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2012年09月28日

市長選で新たな出馬表明  施設支援員の落合秀郷氏

 市長選で新たな出馬表明
 施設支援員の落合秀郷氏

 十月二十八日投開票で実施される市長選に、あしたか太陽の丘あまぎ学園支援員の落合秀郷氏(46)が名乗りを上げた。
 落合氏は一九六五年十一月、平町に生まれ、五小五年生の時に三島市に転居。三島向山小、中郷中、日大三島高を経て専門学校の東京スクールオブビジネス・マスコミ広報科で学んだ。
 卒業後は、マスコミ関連会社、建設会社、アパレル関連会社を経て店舗プロデュース業を設立した。現住所は根古屋一七三の二、サンフレーレBで、同所に選挙事務所を置く。
 立候補表明の動機について落合氏は、「世の中このままではいけないと思った」と話し、沼津をどのようにしたいのかに関しては、「文化的側面と経済的側面で活性化したい」とし、選挙運動での街頭宣伝活動については「効果があるかどうか」検討中だとする一方、駅頭などで友人らと音楽ライブ活動を積極的に取り入れる考えを示した。
《沼朝平成24年9月28日(金)号》
  

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2012年09月09日

中山康之氏

沼津市長選に中山氏出馬へ

 任期満了に伴う沼津市長選(10月21日告示、同28日投開票)に、元会社役員の中山康之氏(66)=同市本郷町=が立候補する意思を固めたことが11日、分かった。既に支援者に伝え、今月下旬にも正式に出馬表明する。
 中山氏は静岡新聞社の取材に対し、「自然、歴史といった豊富な資源を最大限に活用し、健康文化都市を構築したい」と話した。
 中山氏は沼津市出身で中央大卒。1968年に日本通運に入社。同社の関連会社役員を歴任した。市の第4次総合計画審議会委員も務めた。同市長選には現職の栗原裕康氏(63)が2期目に向けて立候補表明している。
(静新平成24年8月12日朝刊一面)

  

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2012年08月24日

沼津市長選に高氏

沼津市長選に高氏が出馬へ

 元函南町議の高雅敏氏(68)=沼津市住吉町=が23日、同市役所で会見し、任期満了に伴う同市長選(10月21日告示、同28日投開票)への立候補を表明した。
 高氏は、JR沼津駅周辺の鉄道高架事業への反対を強調し、西武沼津店撤退に伴う中心市街地空洞化への危機感を訴えた。「活力あるまちづくりに全力を挙げる」と述べた。
 高氏は東京都台東区出身、日本大卒。1982年3月の函南町議補選で当選し、町議を1年1カ月務めた。同市長選には現職の栗原裕康氏(63)、元会社役員の中山康之氏(67)が既に出馬表明している。
(静新平成24年8月24日朝刊)
  

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2009年04月16日

加藤幸雄氏

「市議会は何のために、誰のために」加藤幸雄
【加藤幸雄氏(かとう・ゆきお)沼津東高出身。一九七〇年、中央大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。全国市議会議長会事務局勤務。二〇〇二年、同事務局退職(調査広報部長)。現在、専修大学、流通経済大学講師。
 著書に『新しい地方政治』(学陽書房)、『市町村議会の常識』(自治体研究社)、『議会基本条例の考え方』(同)、共著に『地方議会活性化ハンドブック』(ぎょうせい)、『自治体デモクラシー改革ー住民・首長・議会ー自治体改革5』(同)、『現代日本の地方自治』(敬文堂)など。】

 地方議会の意義と役割
 国会における議院内閣制とは異なり、地方議会は、アメリカで誕生し発達した大統領制である。市民は、議員だけでなく市長をも直接選挙することができる。このため、「二元代表制」とも言われる。そして、市議会には議院内閣制と異なり、与党、野党はない。強いて言うなら、存在するのは市長支持派、反市長支持派である。
 地方議会におけるこの制度は、議会と市長を並列・対等関係に置き(機関対立型システム)、相互に抑制・均衡(チェック・アンド・バランス)させ、民主政治を実現するものである。極めて民主的な制度であると言われる。
 その証拠に、「民主主義の母国」と言われるイギリスは、二〇〇〇年に地方自治法を改正し、我が国と同様に市民が市長を直接選挙する制度の導入が可能となり、多くの自治体がこの制度を導入している。
 ところで、市議会の役割は、一つには、住民に義務を課し住民の権利を制限する条例、市長が行う行政に法的根拠を与える条例を制定すること(立法権)。
 二つには、制度的にも優位な立場にあり、さらに日常、行政を執行する中で優位になりがちな市長を抑制・監視(チェック)し、より民主的な行政を実現することである(行政のチェック権)。
 したがって、チェックする市議会(議員)は、
市長にいやがられ、嫌われることはあっても、好かれることはない。
 三つには、市長が行う行政に財政的な根拠を与える予算を決定し、その行政の結果である決算を認定することである(財政権)。
 特に、この機関対立型システムにおいて行政をチェックするには、議員個人、会派よりも「議会」としての役割が大きい。そして行政をチェックする最も主な方法は、「一般質問」である。
 議会において、「質疑」は具体的な議案に対して疑義をただすことであり、自己の意見を表明することはできない。これに対して、「質問」(一般質問)は、市長の考え、意見、政策の方針をただすものであり、しかも自己の意見、考えを表明することができる。議員は市長とは異なる政策を提案でき、最近求められているのが、いわゆる「政策提案型議会」である。
 市議会も「言論の府」であり、議員の活動は、自由な言論を中心に行われ、ことのほか言論は尊重される。そうでなければ、住民の意思を反映する市議会とはならない。議員は、基本的に他人の人権、他人のプライバシーを侵さない限り、なんでも発言できる。
 そして一般質問において、議員が市長の政策をチェックするには、同じような政策の具体的な失敗事例を挙げることは、極めて説得力のある方法である。例えば、財政問題を質問する時に、財政破綻した夕張市(北海道)はよく引き合いに出される。
 自由な言論こそ市議会の命
 このたび沼津市議会の一般質問で、沼津駅の高架事業などにかかわり、具体的に分かりやすいように、と茂原市(千葉県)の茂原駅の高架、再開発ビルが失敗例として挙げられた。沼津市議会は、この発言の取り消しを決定する(したがって会議録には載らない)とともに、懲罰特別委員会を設置し、質問した議員を、茂原市を「誹謗中傷」したとして「戒告」処分にしている。
 これは、民主主義を具現している市議会、「言論の府」たる市議会としては、なんとも理解できないことであり、市議会の自殺行為であると言える。
 市議会における自由な言論は、市議会の命である。自由な言論を制約、統制すると、戦前の議会になってしまう。
 そして市議会は誰のためにあるのか。市議会は議員のためにあるのではなく、主権者である市民のためにあるのである。市の政治、行政において市民が主人公である。
 現代の議会制民主主義のもとでの市議会は、直接民主制の代替物とみなされる。このため、主権者である市民の意思を反映し、市民に開かれた市議会、市民から信頼される市議会が求められているのである。
 今、全国の地方議会は、分権時代、自治の時代にふさわしい、活性化された議会になるため、多くの議会改革、すなわち議員条例案の立案、一般質問の対面方式化、一問一答方式化、市長の反問権、議会報告会などを実行し、さらには「議会基本条例」を制定し、さらなる議会改革を進めている。
 市議会が本物にならなければ、民主主義の実現は難しいと言える。
(沼朝平成21年4月16日「寄稿」)
  

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2009年04月03日

栗原裕康市長(窓辺)

「人間到る所青山あり」
栗原裕康(くりはらひろやす)(沼津市長)
 昨年十月二十六日の市長選挙で当選させていただいた直後、主に首都圏で発行されてる某日刊紙から取材の申し込みがあった。私は沼津のような地方都市の首長に取材とは妙だなとは思いつつ、応対したところ、後日、その日刊紙には「沼津市の新市長、そのジェットコースター人生」と興味本位丸出しの見出しが躍っていた。
 確かに県議、国会議員二期、二度の落選、そして自ら前掛けを掛けての飲食店経営、今回の市長選と他人から見ればジェットコースターのような激しく上下する人生なのだろう。しかし私自身は「人間到(いた)る所青山あり」の心境で、自分の心に卑しい気持ちさえなければそれでよし、どんな立場になっても全力を尽くすだけと思っているし、現職の時代にはすり寄ってきた人たちが、落選すると波が引くように離れていき、当選すればまた群がってくるといった事実も、人の世とはそういったものと達観している。
 また、昨年八月中旬、出馬表明をした際、「政治的に死んだ人間がなぜ出るんだ」との多くの声に、「お化けはお盆に出るんです」と応じたものだった。
 かつて福沢諭吉が、明治新政府に登用され栄達していく旧幕臣勝海舟に対し、やせ我慢の説を表して批判したことを受け、海舟が「行蔵は我に存す、毀誉(きよ)は他人の主張」と突っぱねたことがあった。
 現代の民主主義社会では、政治家の進退は最終的には選挙で決まる。いくら自分では正しいと信じても、選挙で負けてしまっては何もならない。そこでいきおい政治家は、時には自分の信念を曲げても大衆に迎合しようとする傾向があるのではないか。
 学者であり、批評家であった福沢諭吉に対する政治家勝海舟の強さと信念を学びたいものだと思う。
(静新平成21年4月1日夕刊「窓辺」)
  

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2009年03月25日

石川嘉延県知事辞職表明

石川知事が辞職表明会見 完全開港へ決断
03/25 14:19 (静新webnews)
 石川嘉延知事は25日午後、県庁で会見し、静岡空港の立ち木問題で航空法の高さ制限を超える支障物件を除去するため、地権者が前提条件として求めた辞職要求について「申し入れを受け入れる」と述べ、辞意を表明、完全開港に道筋をつける考えを示した。
 静岡空港の滑走路は2500メートルで建設したが、滑走路西側の制限表面に残る立ち木などが障害となり、300メートル短縮した2200メートルで暫定運用する。短縮工事には1億1000万円の追加支出を行い、当初の3月の開港予定は6月に延期された。
 立ち木などの支障物件が残ったのは測量ミスが原因で、石川知事は昨年末、期末手当(ボーナス)を全額返上したほか、ことし1月には一連の問題の責任を取るとして、自身の給与を3割、3カ月カットする処分を発表した。
 支障物件の除去をめぐっては、石川知事は地権者から同意を得られない場合は、民事訴訟による除去手続きに入る考えを示していた。

「辞職本当なら除去」立ち木地権者が意向
 石川嘉延知事が辞職する意思を固めたことを受け、静岡空港西側の立ち木などの地権者(49)=島田市湯日=は25日午前、「県から正式な内容が出なければ、コメントできない」とした上で、「本当に辞職するのであれば、(立ち木など)支障物件の除去に速やかに応じたい」との考えを示した。
 地権者は「職を辞すことは、知事との直接協議の場でこちらが書面で申し入れたことなので、その環境が整えば、なるべく速やかに対応するつもりだ」と述べ、「県のトップとしては責任を明確にしたことになる」との認識も示した。
 立ち木伐採などの具体的な時期については「現時点では、辞職時期も未定。正式な表明などがあった段階で、どの時期に、どう対応するかなどを判断する」とした。

  

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