2012年04月30日
土屋桓良(つちやたけよし)さん
瑞宝双光章(行政相談功労)
土屋桓良(つちやたけよし)さん(70)
(行政相談委員、裾野市佐野)
相談者の目線に立って

国の業務などへの市民の要望を聞く行政相談委員を務めて20年。問題解決に向けた橋渡し役として、常に相談者の目線に立った対応を心掛けてきました。受章は静岡行政評価事務所や市町の担当課の方々、家族の支えのおかげです。相談制度の認知度向上には今後も継続した取り組みが必要。将来を担う小中学生向けの出前講座も企画していきたいです。
(静新平成24年4月29日朝刊)
土屋桓良(つちやたけよし)さん(70)
(行政相談委員、裾野市佐野)
相談者の目線に立って

国の業務などへの市民の要望を聞く行政相談委員を務めて20年。問題解決に向けた橋渡し役として、常に相談者の目線に立った対応を心掛けてきました。受章は静岡行政評価事務所や市町の担当課の方々、家族の支えのおかげです。相談制度の認知度向上には今後も継続した取り組みが必要。将来を担う小中学生向けの出前講座も企画していきたいです。
(静新平成24年4月29日朝刊)
2012年04月29日
石川寛康(いしかわひろやす)さん(70)
瑞宝双光章(更生保護功労)
石川寛康(いしかわひろやす)さん(70)
(保護司、沼津市市場町)
再出発への環境整備を

父を早く亡くしましたが、私は幸せに歩んで来られた方だと思います。その分、苦労している人のお手伝いをしようと保護司を続けてきました。両親も保護司だったことは何かの縁です。見返りを求めずに、できることを精いっぱいやるー。その気持ちを忘れずにいたいと思います。罪を犯した人の再出発のために、雇用環境が整うことを切に願います。
(静新平成24年4月29日朝刊)
石川寛康(いしかわひろやす)さん(70)
(保護司、沼津市市場町)
再出発への環境整備を

父を早く亡くしましたが、私は幸せに歩んで来られた方だと思います。その分、苦労している人のお手伝いをしようと保護司を続けてきました。両親も保護司だったことは何かの縁です。見返りを求めずに、できることを精いっぱいやるー。その気持ちを忘れずにいたいと思います。罪を犯した人の再出発のために、雇用環境が整うことを切に願います。
(静新平成24年4月29日朝刊)
2012年04月28日
木村保成(64)(きむらやすなり)さん
春の褒章
◇…黄綬褒章…◇
黄綬 業務精励(土地家屋調査士業)
木村保成(64)(きむらやすなり)さん
土地家屋調査士=沼津市西間門

社会の基礎担い誇り
28歳で開業し、不動産の登記制度を支える実務に従事してきた。「地味ながら、社会の基礎を担うのがわれわれ調査士。そんな仕事に携われたことが誇り」とはにかむ。県土地家屋調査士会の会長だった2009年、災害時の家屋被害認定調査に関する協定を県と結んだ。「07年の能登半島地震を機に災害時に調査士ができることを探った。罹災(りさい)証明の早期発行などに協力できるはず」
国家資格を許された者は仕事以上に社会貢献をすべきーの信条を行動に移した結果だった。個人としても調停委員、人権擁護委員などを引き受けている。
「調査士を代表して頂いた」と受章を喜ぶ。そして「妻と娘に助けられた」と家族への謝意も口にした。
(静新平成24年4月28日朝刊)
◇…黄綬褒章…◇
黄綬 業務精励(土地家屋調査士業)
木村保成(64)(きむらやすなり)さん
土地家屋調査士=沼津市西間門

社会の基礎担い誇り
28歳で開業し、不動産の登記制度を支える実務に従事してきた。「地味ながら、社会の基礎を担うのがわれわれ調査士。そんな仕事に携われたことが誇り」とはにかむ。県土地家屋調査士会の会長だった2009年、災害時の家屋被害認定調査に関する協定を県と結んだ。「07年の能登半島地震を機に災害時に調査士ができることを探った。罹災(りさい)証明の早期発行などに協力できるはず」
国家資格を許された者は仕事以上に社会貢献をすべきーの信条を行動に移した結果だった。個人としても調停委員、人権擁護委員などを引き受けている。
「調査士を代表して頂いた」と受章を喜ぶ。そして「妻と娘に助けられた」と家族への謝意も口にした。
(静新平成24年4月28日朝刊)
2012年04月26日
大田紀人(おおたのりひと)さん(沼津市)
沼津商工会議所青年部会長に就任した
大田紀人(おおたのりひと)さん(沼津市)

1日付で会長に就任した。掲げたスローガンは「行動なきところに結果なし」。青年部ならではの実行力を示そうと意気込む。大田呉服店社長。48歳。
ースローガンに込めた思いは。
「震災、原発事故、欧州発の世界経済の低迷と幾重もの苦しみが覆う。元気を取り戻すには地域に根差した青年経済人が今まで以上に行動することが必要と考えた。会員の業種は多岐にわたるが、地域貢献をしようという思いは一つだ」
ー沼津の現況をどうみるか。
「人口減と産業空洞化の傾向は否めない。だが同時に、起業や新事業展開の夢を描いている20~30代がいることも確か。その芽が育つまちづくりを推進したい」
ー中心部では大型コンベンション施設の整備が進む。
「好機だ。ただ、JR沼津駅で街が南北に分断されたままではインパクトが十分に生きない。青年部が旗振り役となり、南北自由通路の早期実現を求めていく」
◇
5児の父。和の文化の発信にも熱心。
(静新平成24年4月26日「この人」)
大田紀人(おおたのりひと)さん(沼津市)

1日付で会長に就任した。掲げたスローガンは「行動なきところに結果なし」。青年部ならではの実行力を示そうと意気込む。大田呉服店社長。48歳。
ースローガンに込めた思いは。
「震災、原発事故、欧州発の世界経済の低迷と幾重もの苦しみが覆う。元気を取り戻すには地域に根差した青年経済人が今まで以上に行動することが必要と考えた。会員の業種は多岐にわたるが、地域貢献をしようという思いは一つだ」
ー沼津の現況をどうみるか。
「人口減と産業空洞化の傾向は否めない。だが同時に、起業や新事業展開の夢を描いている20~30代がいることも確か。その芽が育つまちづくりを推進したい」
ー中心部では大型コンベンション施設の整備が進む。
「好機だ。ただ、JR沼津駅で街が南北に分断されたままではインパクトが十分に生きない。青年部が旗振り役となり、南北自由通路の早期実現を求めていく」
◇
5児の父。和の文化の発信にも熱心。
(静新平成24年4月26日「この人」)
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2012年04月25日
遠藤昭信(えんどうあきのぶ)さん(沼津市)
沼津御用邸記念公園の新管理事務所長
遠藤昭信(えんどうあきのぶ)さん(沼津市)

1893年に大正天皇(当時は皇太子)の御用邸として造営され、1970年からは沼津市を代表する歴史資産として公開されている沼津御用邸記念公園。4年間、沼津市教育委員会生涯教育課長を務め定年退職。4月1日に同公園の管理事務所長に就任した。同市出身。60歳。
ー所長就任の感想は。
「生まれも育ちも沼津市で、御用邸時代も記念公園時代も知っているなじみの場所。自然がとても好きで、よく母とも訪れていた同公園の所長に就任したことは感慨深い思いがある」
ーどのような公園にしていきたいか。
「沼津市を代表する観光名所として多くの観光客を誘客するとともに、市民の癒やしの場としての公園でもありたいと思っている」
ー今後の抱負は。
「2011年度の来客者数は約17万8干人。来場者をさらに増やすために歴史と品格を感じられる場所でありながら、より多く自然と触れ合える公園として維持していきたい」
◇
趣味は読書。時代小説好きで、入浴中も読むほど熱中している。
(静新平成24年4月24日「この人」)
遠藤昭信(えんどうあきのぶ)さん(沼津市)

1893年に大正天皇(当時は皇太子)の御用邸として造営され、1970年からは沼津市を代表する歴史資産として公開されている沼津御用邸記念公園。4年間、沼津市教育委員会生涯教育課長を務め定年退職。4月1日に同公園の管理事務所長に就任した。同市出身。60歳。
ー所長就任の感想は。
「生まれも育ちも沼津市で、御用邸時代も記念公園時代も知っているなじみの場所。自然がとても好きで、よく母とも訪れていた同公園の所長に就任したことは感慨深い思いがある」
ーどのような公園にしていきたいか。
「沼津市を代表する観光名所として多くの観光客を誘客するとともに、市民の癒やしの場としての公園でもありたいと思っている」
ー今後の抱負は。
「2011年度の来客者数は約17万8干人。来場者をさらに増やすために歴史と品格を感じられる場所でありながら、より多く自然と触れ合える公園として維持していきたい」
◇
趣味は読書。時代小説好きで、入浴中も読むほど熱中している。
(静新平成24年4月24日「この人」)
2012年04月20日
ニコラ・フォルミケッティ氏
ファッションクリエーター
ニコラ・フォルミケッティ氏

沼津で婚礼レストラン監修
誇り胸に郷里もり立て
米国の歌手レディー・ガガのファッション・ディレクター、ユニクロのクリエーティブ・ディレクターなどを担う傍ら、小学生まで過ごした沼津市で婚礼レストラン施設(今夏開業)を監修する。郷里で腕をふるうのは初めて。各方面の注目を集めている。
ー婚礼レストランに参画したきっかけは。
「以前から沼津で何かやりたいと考えていたところへ、弟から話があった。これまでは故郷や家族とは関係ないところでクリエーティブの仕事をしてきた。自分がどれだけ通用するのか、ひたすら突っ走ってきた。だが、本当にこれでいいのかという思いが募った。自分のルーツを知ること、自分が育った土壌と向き合うべきではないかと。その考えは30歳を過ぎて特に強まった。今回のプロジェクトは自分が成長するための好機だ」
ーどのように監修にあたったか。
「ファッションと大学時代に建築を学んだ経験を生かした。二つの別世界を一緒にして新しいものを生み出す表現手法を取り入れた。先端のファッション、ビューティーの1階フロアと気さくなイタリアのレストランを連想させる2階。外観はずっと前からそこにあったような雰囲気にする。昔も今も好きな物、言ってみれば僕のエッセンスのようなものを詰め込んだ」
ー沼津で初めての仕事。
「僕のいまの願望は、多くの人とコラボレーションしながら仕事をすること。父と一緒にたびたび散歩に繰り出した干本浜で、その一歩を踏み出せることにまず感謝したい。僕はこれまで、海外で出身地を聞かれても『ジャパン』としか答えてなかった。でも最近は『ヌマヅ』と言っている。海外での沼津の知名度は高くはないが、僕自身はこの街に誇りを持っている。残念ながら沼津はかつてより元気がないと言われる。だったらみんなでもり立てよう。その一端を担いたい」
ー今後、挑戦したいことは。
「写真や映画の仕事をしてみたい。5月にはパリでオペラの衣装を初めて手掛ける。僕は虫が苦手だったが、試しに最近、昆虫を創作のテーマにした。向き合ってみると、昆虫の素晴らしさを実感できた。きっと、いま見過ごしている中にも、自分を揺さぶるようなものがある。ファッションを大事にしながら、枠を超えてチャレンジしたい」(聞き手=東部総局・田辺貴一)
(静新平成24年4月20日「本音インタビュー」)
ニコラ・フォルミケッティ氏

沼津で婚礼レストラン監修
誇り胸に郷里もり立て
米国の歌手レディー・ガガのファッション・ディレクター、ユニクロのクリエーティブ・ディレクターなどを担う傍ら、小学生まで過ごした沼津市で婚礼レストラン施設(今夏開業)を監修する。郷里で腕をふるうのは初めて。各方面の注目を集めている。
ー婚礼レストランに参画したきっかけは。
「以前から沼津で何かやりたいと考えていたところへ、弟から話があった。これまでは故郷や家族とは関係ないところでクリエーティブの仕事をしてきた。自分がどれだけ通用するのか、ひたすら突っ走ってきた。だが、本当にこれでいいのかという思いが募った。自分のルーツを知ること、自分が育った土壌と向き合うべきではないかと。その考えは30歳を過ぎて特に強まった。今回のプロジェクトは自分が成長するための好機だ」
ーどのように監修にあたったか。
「ファッションと大学時代に建築を学んだ経験を生かした。二つの別世界を一緒にして新しいものを生み出す表現手法を取り入れた。先端のファッション、ビューティーの1階フロアと気さくなイタリアのレストランを連想させる2階。外観はずっと前からそこにあったような雰囲気にする。昔も今も好きな物、言ってみれば僕のエッセンスのようなものを詰め込んだ」
ー沼津で初めての仕事。
「僕のいまの願望は、多くの人とコラボレーションしながら仕事をすること。父と一緒にたびたび散歩に繰り出した干本浜で、その一歩を踏み出せることにまず感謝したい。僕はこれまで、海外で出身地を聞かれても『ジャパン』としか答えてなかった。でも最近は『ヌマヅ』と言っている。海外での沼津の知名度は高くはないが、僕自身はこの街に誇りを持っている。残念ながら沼津はかつてより元気がないと言われる。だったらみんなでもり立てよう。その一端を担いたい」
ー今後、挑戦したいことは。
「写真や映画の仕事をしてみたい。5月にはパリでオペラの衣装を初めて手掛ける。僕は虫が苦手だったが、試しに最近、昆虫を創作のテーマにした。向き合ってみると、昆虫の素晴らしさを実感できた。きっと、いま見過ごしている中にも、自分を揺さぶるようなものがある。ファッションを大事にしながら、枠を超えてチャレンジしたい」(聞き手=東部総局・田辺貴一)
(静新平成24年4月20日「本音インタビュー」)
2012年04月18日
村松勝(むらまつまさる)さん(沼津市)
沼津署長に就任した
村松勝(むらまつまさる)さん(沼津市)

1978年、県警入り。静岡中央署を振り出しに主に警備畑を歩んだ。警察庁への出向経験も。県警会計課長からの転任で、沼津署勤務は8年ぶり3度目。56歳。
ー管内情勢をどうみるか。
「犯罪も交通事故も発生件数自体は減少傾向にあるが、住民は治安に不安も感じている。署員一致団結して住民の安全を守りたいと初訓示でも呼び掛けた。犯罪や事故に関する情報を積極的に発信し、注意を促すことが重要だと考えている」
ー印象に残る仕事は。
「前回の沼津署勤務時、若い女性が行方不明になる事件が発生した。沼津市内の山中で見つかり殺人事件に発展したが、地域担当次長として署員挙げて捜索に当たった」
ー喫緊の課題は。
「振り込め詐欺や街頭犯罪、交通死亡事故の抑止、暴力団の排除の4点が重点対策事項。また、従来の想定を上回る津波高が示され、管内の浸水区域が拡大される可能性が高いことにも危機感を持っている」
◇
妻と3人娘の家族。富士市の自宅を離れ単身赴任。
(静新平成24年4月18日「この人」)
村松勝(むらまつまさる)さん(沼津市)

1978年、県警入り。静岡中央署を振り出しに主に警備畑を歩んだ。警察庁への出向経験も。県警会計課長からの転任で、沼津署勤務は8年ぶり3度目。56歳。
ー管内情勢をどうみるか。
「犯罪も交通事故も発生件数自体は減少傾向にあるが、住民は治安に不安も感じている。署員一致団結して住民の安全を守りたいと初訓示でも呼び掛けた。犯罪や事故に関する情報を積極的に発信し、注意を促すことが重要だと考えている」
ー印象に残る仕事は。
「前回の沼津署勤務時、若い女性が行方不明になる事件が発生した。沼津市内の山中で見つかり殺人事件に発展したが、地域担当次長として署員挙げて捜索に当たった」
ー喫緊の課題は。
「振り込め詐欺や街頭犯罪、交通死亡事故の抑止、暴力団の排除の4点が重点対策事項。また、従来の想定を上回る津波高が示され、管内の浸水区域が拡大される可能性が高いことにも危機感を持っている」
◇
妻と3人娘の家族。富士市の自宅を離れ単身赴任。
(静新平成24年4月18日「この人」)