2018年03月28日

大沼明穂市長お別れの会(平成30年4月10日:ふじのくに千本松フォーラム)

大沼市長お別れの会
 4月10日ブラサヴエルデで
 二十一日に死去した大沼明穂市長の追悼行事として「お別れの会」が四月十日午前十時から沼津駅北口のプラサヴェルデコンベンションホールAで開かれる。市主催の行事で、誰でも参加できる。
 会自体は一時間で終了するが、その後も午後七時まで会場を開放する、市が用意した花を献花できる。
 香典、供花、供物などは受け付けない。
 問い合わせは市総務課(電話九三四-四七一二)。
【沼朝平成30年3月28日(水)号】
大沼明穂市長お別れ
大沼明穂市長にお別れ

大沼明穂市長にお別れ
川勝平太知事ら650人が参列
 故大沼明穂市長の市主催追悼行事「お別れの会」が十日、プラサヴェルデで開かれた。午前十時からの式には、川勝平太知事や各種議員をはじめとする関係者や市民などが参列した。市によると参列者は約六百五十人。
 式では黙祷の後、主催者を代表して新屋千樹副市長があいさつ。
 「前日までまちづくりの展望などを熱く語られていた矢先の急逝でした。余りに突然の訃報で、悲しみと驚きで言葉を失いました。いまだに信じられない思いでおります。大沼明穂市長は『世界一元気な沼津』のスローガンを掲げて、海上タクシーや子育て支援などに取り組まれただけでなく、鉄道高架事業や高尾山古墳保存など懸案事項にも向き合い、様々な方々との話し合いを重ねて事業進展に努力されました」と話した後、大沼市長との思い出に触れた。
 市政資料作りの際、市長は「市民に語りかけるような資料を」と要望して容易にはゴーサインを出さず、なかなか資料が完成しないこともあったという。また、大沼市長と新屋副市長が連れ立って市内を移動していると、市長は出会う人に次々と声をかけるので、いつになっても目的地に到着しないことが多々あったという。
 最後に新屋副市長は「大沼市長は市民とのコミュニケーションを何よりも重視する姿勢を貫かれました。市民を愛し、市民の皆様から愛された市長だったと思います。それは私達職員にとっての誇りであります」と結んだ。
 続いて大沼市長の生い立ちや二〇一六年十一月十日の就任以来の沿革の紹介がナレーションと映像で行われた。
 その後、市民代表の榊原昭雄氏(自治会連合会会長)と、友人代表の竹内純子氏(高校時代の同級生、歯科医)が弔辞を述べた。式参列者には様々な人の姿があった。
 一昨年の市長選時に大沼市長の後援会副会長を務めた長沢靖夫・元市教育長は本紙の取材に対し、「健康には気を付けるよう、彼に何度も伝えていただけに、残念…。彼は豊かな発想力の持ち主で、沼津を元気にするための様々な構想を抱いていた。教育や文化、福祉も重視していこうとしていた。これからの人は、彼の遺志を引き継いでほしい」と話した。
 大岡連合自治会の渡邉修司会長は「大沼さんは、市民との対話を重視した。今までにないやり方だった。しがらみのない立場で沼津を一つにまとめようとしていたが、中途で終わってしまい、残念。これからだという時だったので、悔しさを感じる」と話、した。
【沼朝平成30年4月11日(水)号】
  

Posted by パイプ親父 at 06:32Comments(0)訃報

2018年03月21日

大沼明穂沼津市長逝去

平成30年3月21日(水)朝
大沼明穂市長逝去。
発見者は市役所職員、大沼市長をお迎え時に分かった。
(詳しくは明日記載します)
大沼明穂市長


訃報記事 毎日新聞沼津支局 石川宏記者 
 静岡県沼津市の大沼明穂市長が21日急死した。58歳だった。21日朝、公務出席のため市内の自宅に迎えにいった市職員が、自宅で倒れている大沼市長を発見。救急搬送先の同市立病院で死亡が確認された。死因は調査中。
 大沼市長はITベンチャー企業社長だった2016年10月に「世界一元気な沼津をつくる」「市民参加型の市政実現」を掲げ、3選を目指した現職を破り初当選し、1期目。
 懸案の沼津駅周辺の鉄道高架化事業では、市長選では中立の姿勢を示し、推進派・反対派双方の票を取り込み支持を集めたが、就任後に推進に転じた。
 17年1月、小脳出血と診断され約半月入院したが、その後は公務に復帰していた。
【平成30年3月21日(水) 毎日新聞webニュース:地方版】

大沼明穂市長急死


大沼沼津市長急死 58歳
 鉄道高架推進へかじ
 沼津市の大沼明穂(おおぬま・あきほ)市長が21日午前11時2分、小脳出血のため死去した。58歳だった。同日朝、自宅の寝室で倒れているところを秘書が発見し、搬送先の同市立病院で死亡が確認された。2016年10月に初当選し、現在1期目。沼津市出身。葬儀・告別式の日程は未定。
 市は当面、新屋千樹副市長を職務代理者とする方針。21日、市立病院で記者会見した市幹部によると、午前8時50分ごろ、公務のイベント出席のため秘書が自宅に迎えに行ったものの応答がなく、窓から倒れている姿を確認したため119番した。秘書とのメールのやりとりなどから、同日朝の起床後に倒れたとみられ、事件性はないという。市長は1人暮らしだった。
 大沼市長は就任後の17年1月に小脳出血で約3週間入院。血圧が高く服薬していたものの体調不良を訴えることもなく元気な様子だったという。19日に18年度当初予算などを審議した市議会2月定例会が閉会し、20日は終日、市役所で通常通り公務をこなしていた。
 記者会見で新屋副市長は「あまりに急なことで、職員一同言葉もない」と述べた。
 市長の死去に伴い、市選挙管理委員会への届け出から50日以内に市長選が行われる。
 大沼市長は県立沼津東高、東京大卒。日本IBMを経て独立し、16年の市長選では現職を破って初当選した。同市の懸案事項であるJR沼津駅付近鉄道高架事業について就任当初は「ニュートラル」との立場を取っていたが、その後推進する立場を表明。事業が進まない要因となっている新貨物ターミナル移転用地の取得に向け、土地収用法に基づく調査費を18年度当初予算に計上した。
【静新平成30年3月22日(木)朝刊一面】

大沼明穂市長急死記者会見


大沼市長急逝
沼津振興道半ばで・・・・
政財界、市民ら「無念」
 IT企業社長から市長に転身を果たした初当選から約1年5カ月。大沼明穂沼津市長が21日、死去した。58歳という若さでの急逝。収容先の病院には多くの関係者が駆け付け、市民や経済人らは任期半ばでの市長の死を悼んだ。
 大沼市長が心肺停止の状態で搬送された沼津市立病院には21日午前、市幹部や市議らが駆けつけ騒然となった。頼重秀一市議会議長は「世界一を目指すという目標を市民に投げ掛け、機運を高めていこうという時期で、とても残念」と肩を落とした。
 体調面で不安を抱えていた大沼市長。後援会幹部によると、鉄道高架事業関連の予算編成が大詰めを迎えた2017年宋ごろから支援者に「やめたい」と漏らすこともあった。支援者の後藤義男沼津魚仲買商協同組合理事長は「意見対立する案件では市長自身が苦労することで全員の納得を得ようとしていた」と穏やかな人柄をしのんだ。
 地元経済界にも衝撃が走った。岩崎一雄沼津商工会議所会頭は、大沼市長と同時期に就任した。「産業振興に関する意見を分け隔てなく取り入れる庶民的な市長だった」と惜しんだ。20日午前に大沼市長と面談した沼津観光協会の土屋雄二郎会長は「体調が悪そうには見えなかったが、市長就任で生活が激変し心労は相当なものだったろう」とおもんぱかった。「沼津駅の高架化を実現する市民の会」の市川厚会長は「反対地権者を戸別訪問するなど、鉄道高架実現に向けた努力に頭が下がる思い。残された者が遣志を継ぐ必要がある」と語った。
 近親者や旧友にも訃報が伝わった。病院に駆けつけた親族の男性(83)は「政治の素人として市政に飛び込んだが、沼津を良くしたいという思いは強かった」と振り返った。17年11月の支援者集会であいさつした沼津東高同級生の木村光正さん(58)は「プレッシャーを表に出さずに明るく振る舞っていた」と在りし日の姿を思った。大沼市長宅前で手を合わせた同級生の野毛由文さん(57)は「10日前の同窓会で市の今後を熱く語っていたのに」と声を詰まらせた。
【静新平成30年3月22日(木)朝刊22面】

 鉄道高架など懸案山積
 沼津市の大沼明穂市長が21日に死去した。JR沼津駅付近鉄道高架事業など懸案事項が山積する中で、前回選から約1年半で再び実施されることになる市長選は、市政の継続性や鉄道高架事業の今後の進捗(しんちょく)を見据えて市の将来像をどう描くかが焦点となる。
 事業の検証を訴えて幅広い層から支持を受け初当選した大沼市長は就任後に一転、事業の推進を表明した。反対住民の激しい反発を受けつつも、鉄道高架事業に関連する貨物ターミナル移転用地(同原地区)の地権者を自ら訪問するなど、市民と直接対話する姿勢を貫いた。
 2017年末には川勝平太知事と県庁で会談し、18年2月に入って土地収用法に基づく移転用地の立ち入り調査実施方針を表明。杉山盛雄県議会議長は「一生懸命努力され、川勝知事にも熱意が伝わっていた。県東部の拠点都市のリーダーを亡くした影響は相当大きい」と述べた。
 土地収用法に基づく調査費を盛り込んだ18年度当初予算が19日の市議会2月定例会で可決され、閉会したばかり。後藤克裕市企画部長は21日の記者会見で、19日の大沼市長の姿を「『ハードな議会だった』と言っていたが、大きな課題の整理を付けて安堵(あんど)していた」と振り返った。
 事業に根強い反対があり現在も30件の地権者が用地買収に応じていない中、次期市長には、18年度にも実施が見込まれる立ち入り調査に向けた対応が求められる。事業に反対する川口三男市議は「鉄道高架については立場が異なるが、沼津を良くしようという考えは同じ方向を向いていた。こういう結果になり残念」と大沼市長をしのんだ。
【静新平成30年3月22日(木)朝刊22面】

沼津市制方針継続を
大沼市長急逝
国家記議員や県内各党 選挙言及避ける
 沼津市の大沼明穂市長の急逝を受け、地元国会議員や県内の政党関係者からは22日、大沼市長の方針を継承して懸案のJR沼津駅付近鉄道高架事業などを着実に推進すべきとの声が相次いだ。一方、近く行われることになる市長選については、急逝から間もないこともあり、いずれも慎重な発言にとどまった。
 希望の党の渡辺周氏(衆院静岡6区)は「市の活性化のアイデアを持ち、人柄も良かった」と大沼氏をしのび、市政運営に関し「これから軌道に乗り始める矢先だった」と惜しんだ。市長選については「大沼氏の葬儀が終わるまでは、次はどうだという話はすべきでない」と述べた。
 自民党の勝俣孝明氏(衆院比例東海)は「大沼氏の色を出した市政運営がいよいよできるという期待があったので残念」と語った。次期市長に関しては、インフラ整備などの政策を念頭に「国と連携して政策を引き継いでいける人というのが大前提」と指摘した。
 自民党県連の中沢公彦幹事長は鉄道高架事業に関し「地域の発展のために引き続き推進を」と強調。市長選に向けては「地元の意向を尊重し、推薦要請があれば対応する」と述べるにとどめた。公明党県本部の高田好浩幹事長は「鉄道高架事業以外にも大きな課題があり、地域の活性化に何が必要かを考えるべき」と話した。民進党県連の岡本護幹事長は市長選への対応について「今のところ静観。候補者擁立は考えていない」と語り、鉄道高架事業については「粛々とこれまで決めたことを進めるべき」との認識を示した。
(静新平成30年3月23日(金)朝刊)

  

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2018年03月08日

訃報 榛村純一氏死去


榛村純一1

榛村純一氏死去 83歳
元掛川市長 生涯学習推進
 元掛川市長の榛村純一(しんむら・じゅんいち)氏が7日午後、大動脈解離のため市内の病院で死去した。83歳。自宅は掛川市上垂木542。通夜は11日午後6時から、告別式は12日午前9時30分から、いずれも掛川市杉谷南2の18の2のセレモニーホールやすらぎで。仏式。喪主は長男航一(こういち)氏。

 掛川酉高、早稲田大卒。家業の林業を継ぎ市森林組合長を経て1977年から2005年まで市長を7期務めた。任期中は二宮尊徳の報徳思想を生涯学習運動に発展させ、市民参加のまちづくりを全国に先駆けて推進した。地域を挙げた活動で東海道新幹線掛川駅の誘致や掛川城天守閣の木造再建などを実現させ、経済発展に大きな功績を残した。
 93年から15年まで県森林組合連合会長。11年から17年6月まで県茶業会議所会頭と日本茶業中央会長。01年から現在まで大日本報徳社社長。早稲田大など四つの大学で客員教授を務めた。市長時代に本紙コラム「窓辺」を執筆した。

榛村純一2


 茶業林業振興に寄与
榛村氏死去「報徳思想」全う
 掛川市長を7期務めて7日、83歳で亡くなった榛村純一氏は、報徳思想が説く勤勉勤労や助け合いの姿勢を自ら貫いて生涯を全うした。
 榛村氏は13日に開かれる新幹線掛川駅30周年式典で記念講演するため、自宅で連日膨大な資料を読み返し、完成させたレジュメを6日夜に関係者に配ったばかり。7日午前、突然倒れたという。
 大日本報徳社の綱取清貴事務局長は「お元気だったので本当に驚いている」と話し、松井三郎市長は「かけがえのない方を失った」と悲しみを口にした。
 榛村氏の学識は国内の茶業、林業振興に大きく寄与した。市長時代の1998年、全国の茶どころ市町村の首長を招いて「全国茶サミット」を開催。知られ始めていた茶の「光の部分である効能」と「陰の部分である農薬や肥料の弊害」をトップが認識することの重要性を強調し、食文化を通して質の高い日本人論を語り合おうと呼び掛けた。
 県茶業会議所会頭職でも手腕を発揮。成岡揚蔵県茶商工業協同組合理事長は「需要開拓につなげる『5路線』など戦略的な茶業振興策を提案してくれた」と感謝する。同会議所の小沢俊幸専務理事は「茶発展のキーワードは機能性だと繰り返し若手研究者の養成に力を注いだ」と先見性に改めて敬意を表した。
 現会頭の上川陽子氏(衆院静岡1区)は「偉大なご功績を思うとき、後を託された私たちの責任の重大さを痛感いたします」とコメントした。
 県森杯組合連合会長を榛村氏から引き継いだ中谷多加二県議は「林業の発展に尽くし功績は大きい。学究肌で理論的。森林や山村の活用について独自の文化論を交えて研究し続けた」としのんだ。
【静新平成30年3月8日(木)朝刊】
  

Posted by パイプ親父 at 12:36Comments(0)訃報