2010年06月30日

東恵子(ひがしけいこ)さん

 沼津市戸田地区の景観を調査する
 東恵子(ひがしけいこ)さん(静岡市駿河区)


 沼津市戸田地区を景観の観点から調査し、将来の街並みづくりを学生とともに研究、提案する。東海大開発工学部教授。専門は環境デザイン。東京都出身。
 ー研究の状況は。
 「6月上旬に地元住民、学生、行政の3者で現地調査し、内外の視点で地区の魅力と改善点を探った。大規模な住民アンケートも行い、全員参加型の街並みづくりを進めたい」
 ー戸田地区の魅力は。
 「海と山に囲まれた美しい自然。ディアナ号に代表される日露交流の歴史。人情味のある人柄。"戸田らしさ"とは何かをみんなで考え、共通認識を築いていきたい」
 ー学生への期待は。
 「地域の営みを景観でどう表現できるか学生とともに考えている。旅行者や交流人口を増やしていくためには、地元住民だけでは気が付かない、学生たちの外部の目線が不可欠。おくすることなく地域に飛び込んでほしい」
 ◇
趣味は日本各地での食べ歩き。地域の魅力は五感すべてを活用して発掘する。
(静新平成22年6月30日「この人」)
  

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2010年06月30日

 平野幸雄(ひらのゆきお)氏(50)

 富士通静岡東部支店長
 平野幸雄(ひらのゆきお)氏(50)


 東部の情報発信後押し
 ー東京での生活、業務が長い平野さんからみた県東部の印象は。
 「学生時代から伊豆の東海岸はよく訪れていた。子供が小さな時も、成長した後も、どのライフステージでも楽しめる、懐の深い観光地だ。でも、行楽客が感じる魅力と、地元の人々が売りとしているものに差異があるように感じることもある。伊豆、富士山、沼津港の広域的な観光を案内するメッセージを上手に発信できれば、まだ観光入り込みは増やせる」
 ー東部コンベンション計画が進んでいる。
 「製品やサービスを紹介する支店のフェアを2007年と08年に開催した。実は会場選びが難航した。料金やJRを利用する来場者のアクセスを考えると、沼津駅近くに公設のコンベンション施設があれば大変うれしい。企業、業界として情報発信の機会をつくりやすく、それは沼津の産業の活性化にもつながるのではないか。早期の実現を望んでいる」
 ー業務での地域との結び付きは。
 「自治体、企業など幅広い分野のお客さまのお手伝いをさせてもらっている。特に近年はクラウドコンピューティングに力を入れている。地方生まれの優れたソフトウエアやデータセンターの全国展開をサポートする試みだ。インターネットと弊社の営業網を駆使し、県東部の『知』を全国に発信する好機を探している」
 【富士通静岡東部支店】
1987年11月開設。伊豆半島を含む県東部全域が担当エリア。関連企業、パートナー企業と共同でICT関連製品・サービスの販売、サポートを幅広く展開している。沼津市大手町。
(静新平成22年6月30日「熱き人たち」)
  

Posted by パイプ親父 at 15:28Comments(0)熱き人たち

2010年06月17日

青木由明氏

 江原素六先生顕彰会 5代目会長
 青木由明(あおきよしあき)さん(沼津市)














































 明治期に沼津の教育や農業をはじめとする産業振興に尽力した郷土の偉人、江原素六翁の功績をたたえる「江原素六先生顕彰会」の5代目会長。市内約900人の会員の代表として江原翁の精神を後世に伝える。76歳。
 ー江原翁の功績とは。
 「沼津兵学校をはじめとする教育の場を設立し、愛鷹山ろくの御料地を民間に払い下げて農業振興に貢献するなど、沼津の発展に尽力した」
 ー江原翁の人物像は。
 「一言で言えば素六の『素』。自身の損得を抜きにして、長い年月をかけて夢を実現させる純粋で素直な姿が、今でも多くの人に慕われるのだと思う」
 ー顕彰を通して伝えたいことは。
 「どんなに偉大な人物も、結局は一人分の力しか出せない。大きな功績を残すには、常に人が集まってくる魅力と誠実さが大切。言ったことは何年かけても実行し、生涯学び続ける姿勢で多くの人たちの意見に聞く耳を持つ大切さを今の政治に言いたい」
 ◇
趣味は詩吟と作詞。「門池さくら音頭」などの作詞も手掛ける。
(静新平成22年6月16日「この人」)
  

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2010年06月03日

元衆院議員栗原祐幸氏

1日死去の元衆院議員栗原祐幸氏
 気骨ある姿惜しむ声
 県東部に大きな足跡


 労働相、防衛庁長官などを務め、1日に89歳で死去した元衆院議員の栗原祐幸氏(三島市出身)は、地元の県東部に大きな足跡を残した。"血が通った政治"を貫いた栗原氏の気骨ある姿を思い起こし、死を惜しむ声が各方面から上がっている。
 栗原氏が県農業会職員として真っ先に手掛けた農地解放は、後の政治活動の原点となった。元東伊豆町長の田村又吉さん(80)と同町の農業石原寿さん(82)は父親(いずれも故人)が地主と小作農という関係。栗原氏は対立関係にある父親たちの間に入ってわだかまりを解き、その様子に接した当時青年の田村さんや石原さんは後に、ともに栗原氏の心強い支援者となった。
 「親子二代で栗原先生の選挙も支援してね。米寿の祝いでは元気だったのに、急な話で驚いている」と田村さん。石原さんは「つい2、3日前に、栗原さんから毎年送るミカンのお礼の手紙が来たばかり。頑固で人を恐れない人で、手紙には『今少しで誕生日が来る』なんて書いてあった」と残念がる。
 栗原氏が県農協中央会の専務理事時代に、営農課長だった元富士宮市長の渡辺紀さん(80)は「4月にお見舞いにも行き、心配していた。部下への指導は厳しく、農協を発展させた偉大な人。栗原さんが選挙に出る時、遊説隊をやり10日間、寝起きを共にしたのが良き思い出」と振り返った。
 栗原氏から薫陶を受けたという小池政臣三島市長(69)は「今日の米軍普天間飛行場移設問題の混乱状況を見るにつけ、大変惜しい人を亡くしたという感がある。個人的にも私の仲人であり、師父として心から尊敬していた。公平公正で曲がったことが嫌いだった」と悼む。
 中選挙区時代の静岡2区でしのぎを削った元衆院議員の杉山憲夫さん(80)は「今、本当に必要な政治家。言行が一致せず、目先のことだけを言う政治家がいかに多いことか。栗原さんは筋を通し、決してぶれなかった」と惜しんだ。
(静新平成22年6月3日(木)朝刊)
  

Posted by パイプ親父 at 08:55Comments(0)訃報