2008年08月31日

内田史彦氏(精密工学研究者・沼津市出身)

内田史彦氏(精密工学研究者・沼津市出身)


「うちだ・ふみひこ氏 日立製作所研究開発本部研究情報統括センタ長。1952年生まれ。大岡小一大岡中一沼津高専。都立大(現・首都大学東京)大学院卒。工学博士。」

研究する心『中高生へのメッセージ』
 頭で考え、伝える訓練を
 中越地震のわずか三週間前だったので、よく覚えています。二〇〇四年十月一日に新潟県の高田高校で、私は県内の理科の先生二十三人を前に、日立の研究トピックスを紹介する機会を得ました。
 私の話が終わると、一人の先生が立ち上がって思わぬ質問をしました。「将来、日立の研究所に入るような科学好きの子供を育てるには、私たちはどのような教育をすればよいのでしょうか」
 プロの先生から教育の質問をされてしまい、少し戸惑いましたが、その時、私はこう答えました。「自分の頭で考えたことを、自分の言葉で、相手に分かりやすく、与えられた時間で話せる子に育ててください」
 社会には、誰かの受け売りの考えを、はやりの言葉で、時間を守らずに話す元子供
(大人)が意外に多いのです。
 誰も知らない現象を、世の中で初めて解明することが研究です。わくわくするこの体験をするためには、たくさんの先輩の知識を吸収することも大切ですが、「なぜだろう?」と自分の頭で考えることが一番です。
 そして、友達や親に自分の頭で考えたことを伝えてみましょう。その時、相手に分かりやすく、短い時間で話すことが大切です。この訓練をしていると、いつの間にか君は科学者になることができるのです。
(静新平成20年8月31日「科学」)
  

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2008年08月29日

井村陽三監督(44)

井村陽三監督(44)
実を結んだ熱血指導
 北京五輪で教え子松永「銀」

「創部23年目の集大成:飛龍高レスリング部」
 北京五輪男子レスリングフリースタイル55㌔級で銀メダルに輝いた松永共広(28)=綜合警備保障、焼津市出身、沼津学園高(現・飛龍高)出=。現地で見届けた飛龍高レスリング部の井村陽三監督(44)は「夢じゃないよなぁ」と感慨に浸った。教え子の快挙は自らが立ち上げたレスリング部23年目の集大成。取り組んできたことが間違っていない証明だった。
「とにかくキツかったがあの3年間があったから今の自分がある」と松永が振り返った高校時代。井村監督が大学卒業直後に創部した。道場づくりからの出発だった。兄弟校の桐陽高の空き教室に、譲り受けた古いマットを敷き詰めた。決して恵まれた環境ではなかったが、格闘技ブームもあって大勢の部員が集まった。
 「情熱は生徒に伝わる」というのが井村監督の一貫した信条。自らが先頭に立って朝練も昼練も放課後も生徒と同じメニューをこなし、基礎を徹底して教え込んだ。1期生の土田弘志OB会長(38)は「スパーリングには最初から最後まで入っていた。日本一情熱を持って指導してくれる先生だと、心に伝わるものがあった」と当時を懐かしむ。
 「持っている能力を最大限に引き出してやるのが僕の役目」と井村監督。初心者に対しても同じだ。中学まで運動経験のなかった山田秀平(3年、沼津大岡中出身)は団体メンバーとして全国総体を戦った。「先生は一人
一人を戦力として見てくれる。マイナス思考で何一ついいところのなかった自分の人生は180度変わった」と、入部当時から約15㌔減の鍛え上げた肉体と自信を手にした。
 同校は全国選抜で団体優勝、全国総体で団体準優勝、全国王者16人を輩出した。皮肉にも強くなるほど厳しい練習が敬遠され、入部者が減る苦しい時代となったが"井村イズム"を受け継ぐOBが支えている。平成10年に発足した沼津学園ジュニアレスリングクラブでは土田OB会長が監督を務め、2期生の植松史隆コーチ(36)らとジュニアの育成に取り組んでいる。
 中学で競技をやめる子供が多いのが悩みだったが、植松さんは「松永が子供に夢を与えてくれた。自分もやればできると思い始めている」と喜ぶ。「全国総体で団体優勝」という井村監督の次なる夢に"松永効果"が追い風になりそうだ。
(静新平成20年8月28日夕刊)
  

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2008年08月28日

野島はるなさん


ボーリングの全日本ジュニア強化選手
野島(のじま)はるなさん(沼津市)


 全国の中三~高二の男女三十人ずつが選出されるボウリングの全日本ジュニア強化選手に県内女子で唯一選出された。六月には県ジュニア大会高校生女子の部で二連覇を果たした。沼津商業高二年、十七歳。
 ー強化選手に選出された感想を聞かせてください。
「全国の実力者の一人として認められて非常にうれしい。県内の女子で唯一選ばれたことも自信になりま.す」
 ーボウリングの魅力は。
「ピンにボールがぶつかる瞬間が気持ち良くて楽しい。小学三年生から本格的に取り組んでいますが、今でも『ボウリングさえあればいい』というくらい好きです」
 ー今後の目標は。
「国体への出場が決まったので、個人戦で入賞できるよう頑張ります。十一位に終わった全日本高校選手権も、来年は表彰台を目指したい。最終的には世界ユースのナショナルチームに入りたい」

ハイスコアーは289点、母親に連れられて三歳からボールを投げ始めたという。
(静新平成20年8月28日「この人」)
  

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2008年08月28日

鈴木正美さん(沼津市)



沼津の鈴木さん 「夢与えた船忘れないで」
スカンジナビア沈没から2年「優美な姿 模型で再現」


 沼津市西浦に係留され三十六年にわたり海上レストランとして親しまれた客船スカンジナビアが平成十八年九月二日、修復のため上海へえい航中、和歌山県沖で沈没してから間もなく二年。欧州での現役時代には"七つの海の女王"とたたえられた優美な船の姿を、同市下香貫の塗装会社社長鈴木正美さん(六三)が百分の一の模型で再現し、沈没の日を前に今月から一般に公開している。
 模型は全長一・二七㍍。船体はスギの丸太を削り出し、細かいパーツはヒノキの端材を加工。滑車など一部の部品以外はカッターナイフ一本で手作りし、シリコン、ウレタン樹脂の塗装を何重にも施した。昨年末から五カ月かけて制作した。
 鈴木さんは元船員。旧満州に生まれ、母親の郷里の沼津市で育った。国立清水海員学校(現国立海上技術短期大学校)に学び、川崎汽船や日本郵船で国際航路の船員として世界を回ったが、二十三歳の時、病気で退職を余儀なくされた。
 その後、沼津市で会社を興したが、船への愛着は変わらず、スカンジナビアには子供や孫と頻繁に足を運んだ。「年末に伊豆方面へ行く際には決まって立ち寄り、自分の船員時代や現役のころのスカンジナビアに思いをはせた」という。
 船の模型は船員時代に先輩をまねし見よう見まねで作ったのが最初。七年ほど前、友人の息子の大学入学祝いに移民船「あるぜんちな丸」の模型を作ったのをきっかけに再開し、これまでに十隻ほど制作してきた。
 鈴木さんは「スカンジナビアは細部が凝っていて、船主の思い入れが伝わる船。資料が少なく、写真や記憶を頼りに作ったこともあって難しかった。多くの人に夢を与えた船の存在を忘れないでほしい」と話す。
 模型は九月上旬まで、同市西浦の喫茶店「海のステージ」に展示している。問い合わせは同店〈電055(946)2800〉へ。
(静新平成20年8月27日夕刊)
  

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2008年08月23日

石原南盛氏

石原南盛氏
中国・遼寧省人民政府から「遼寧友誼奨」を受賞した:石原南盛(いしはらなみもり)さん中国・瀋陽市
 沼津市立今沢中校長などを歴任。定年退職後、雑誌で日本語教師の募集事業を知り、応募。二〇〇六年から中国・遼寧省の遼寧大学日本語学部で教べんを執る。今夏、同省人民政府から「遼寧友誼奨」を受賞した。六十六歳。
 ー受賞の感想を聞かせてください。
 「大変名誉なこと」で、功績が認められたのならうれしい。中国の学生たちは勉強熱心な上、『教師冥利(みょうり)に尽きる』と思うほど親切。今後も尽力したい」
 ー授業で心掛けていることはありますか。
 「日本語会話や古典文法などを教えているが、どの講義でもヒアリングを取り入れている。会話は相手の話を理解することが大切。『耳』が慣れるよう工夫している」
 ー中国での単身生活はいかがですか。
 「新しいことに挑戦しようと中国へ来たが、同じ漢字文化、はし文化で特に違和感はない。休日は中国国内を旅行するなど、満喫しています」

沼津市の自宅に一時帰国中。孫娘(五つ)との再会に目尻を下げる。
(静新平成20年8月23日「この人」)
  

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2008年08月21日

勝亦裕太選手(全中陸上・金)

勝亦祐太選手(御殿場富士岡)男子3千V 全中陸上
08/21 08:21 (静新webnews)
 全国中学校体育大会は20日、新潟県の東北電力ビッグスワンスタジアムで陸上競技を行い、男子3000メートルで勝亦祐太選手(御殿場富士岡)が8分27秒57の大会新をマークし、優勝した。県勢の大会金メダル第1号。
 勝亦選手はスタートから先頭に立ち、2位以下を大きく引き離してゴールした。勝亦選手は、21日の1500メートルで2冠を目指す。

「すべて出した」喜び爆発
 会心のレースだった。男子3000メートル決勝で大会新の8分27秒57をマークして優勝した勝亦祐太(御殿場富士岡)は、力強く人差し指を突き上げ、ゴールに飛び込んだ。「今まで練習してきたことがすべて出せた。120%以上の出来だった」と喜びを爆発させた。
 レース前、「ガチガチに緊張していた」という勝亦は「後ろは気にするな。自分の走りをしろ」と萩倉史郎コーチからアドバイスを受け、気持ちが楽になったという。
 前半から先頭に立ち、1周ごとにペースを上げる自分のスタイルを貫いた。残り2周の時点で、2位以下に約50メートルの差をつけ、独走状態に。「後半にタイムを伸ばす練習を積んできたが、こんなに作戦通りにいくとは思わなかった」と勝亦。大会前の自己ベスト8分41秒62を14秒近く上回った。
 21日の1500メートルにも出場する。夢の長距離2冠の期待が掛かるが、「(2冠は)あまり意識していない。今日の結果に満足せず、1500メートルでも自分の最高の走りをするだけ」と静かに闘志を燃やした。
  

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2008年08月21日

松永共広選手(レスリング銀)

レスリング銀 松永会見

 【北京20日・本社臨時支局】「よくやったと自分で思っています。今は喜びの方が大きいです」。レスリング男子フリースタイル55㌔級で銀メダルを獲得した松永共広選手=綜合警備保障、沼津学園高(現飛龍高)出、焼津市出身=が一夜明けた二十日、北京市のホテル内のジャパンハウスで記者会見を行った。現役引退するかどうかについては「ゆっくり休んでから考えたい」と明言を避けた。
 表彰台に立った時は、「自分を応援してくれた両親やコーチなどへの感謝の気持ち、厳しい練習に耐えてきたことなど、いろんな思いがこみ上げてきた」と言う。
 一九五二年ヘルシンキ大会以来、不参加だったモスクワを除くすべての五輪でレスリング男子がメダルを獲得してきた伝統を守れたことについては「まずは自分のために頑張りましたが、結果がついてきてよかった」と喜んだ。
 「表彰式の後、テレビでしか見たことのなかった女性アナウンサーが取材スペースにいた。こんなところに自分がいるなんて信じられなかった」と一躍注目を浴びるようになった驚きを口にした。
 松永選手は閉会式後の二十五日に帰国する。
(静新平成20年8月21日(木)朝刊)
  

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2008年08月11日

阿部誠氏(県東京観光案内所所長)

県東京観光案内所所長:阿部誠(あべまこと)さん
「観光県・静岡の魅力発信」

 昭和四十四年に旧国鉄に入り、平成二年、JR東海から分社化したJR東海ツアーズに移った。今年四月、県東京観光案内所を運営する県観光協会に出向し、現職。自宅の沼津市から東京・有楽町まで新幹線で通う日々。五十八歳。
ー首都圏の人たちに静岡を売り込む重要な役割ですね。
 「月に一度、レジャー記者クラブや日本旅行記者クラブに出向き、県内で翌月に行われるイベント情報を会見で発表しています。メディアの威力は大きく、貴重な機会ですね。県内の観光情報を集めた冊子も作っていて、各市町にある観光協会との密な連携は欠かせません」
ー手応えはありますか。
 「日に百二十人ほど案内所を訪れます。そのうちの二十ー三十人が、、例えば『沼津に行きたいが、どこが観光スポットか』『熱海への交通手段はどれがいいか』と具体的な目的で来てくださいます。人気はやはり伊豆。全体の七割近くが伊豆目当てでしょうか。静岡はとにかく東西に広いですから、中西部の魅力も伝わるように仕掛けたい。そのために自分でもたくさん旅行するように心掛けています」
ー他県では案内所のアンテナショップ化が進んでいます。
 「この案内所でも緑茶あめや缶入りおでんを販売しています。うなぎパイや安倍川もちなどの銘菓は問い合わせが多く、今後置いていく予定。ただ、最近は静岡の特産も以前に比べてあちこちで手に入りやすくなりましたから、アンテナショップになる必要はないのではないかと。あくまで観光案内所として勝負していきたいです」
(静新平成20年8月11日「インタビュー」)
  

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2008年08月06日

斉藤洋氏(さいとうよう)(60)

沼津三菱自動車販売社長
斉藤洋氏(さいとうよう)(60)
「観光地の広域連携を」

 ー東部・伊豆地域の活性化には何が必要でしょうか。
 「伊豆の観光は、旅館やホテルに宿泊するだけでなく、登山や釣りなど海や天城山系の自然の能動的な楽しみ方をもっと提案していい。ただ、荷物があるから行楽客は一つの宿泊地を拠点に動かざるを得ないのが現状。例えば、各地の観光協会などが連携して客の荷物を預かり、次の宿泊先に届けることができれば、観光客は荷物を気にせずにアウトドアを満喫できる。観光地同士が広域的なネットワークを作れば、新たな伊豆の楽しみ方が提案でき、『伊豆は一つ』というイメージもできあがると思う」
 ー富士山静岡空港の課題はありますか。
 「以前、ホームステイで訪れた米国人が『山の緑が深い』と伊豆の自然に非常に感激している姿に驚かされた。富士山や伊豆の自然には外国人を感動させる力があり、琴線に触れる部分は地元に住むわれわれとは同じではない。空港を利用して訪れる外国人が注目する場所は、従来の景勝地や観光地以外の何気ない所にあるかもしれない、新たな地域資源を見いだすチャンスととらえ、大いに研究しておく必要がある」
 ー地域づくりへの考えを聞かせてください。
 「十二年間、伊東市の教育委員を務めてきたが、最近の事件の凶悪化、低年齢化に強い危機感がある。人間の素晴らしさに感動し、世の中をたくましく生き抜く忍耐力や努力を学ぶ心の教育を小学校低学年までに充実させたい。次世代の東部・伊豆を担う子どもをわれわれが力を注いで育てなくてはいけない」

メモ【沼津三菱自動車販売】
昭和53年に伊東市に伊豆三菱自動車販売として創業。61年に現所在地に移転し、現社名となる。県東部、伊豆地域で三菱自動車全車種を扱う特約店。沼津市松長。
(静新平成20年8月6日「熱き地域人」)
  

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2008年08月02日

旭日双光章受章:庄司睦氏

旭日双光章受章:庄司氏を祝う会
沼津のホテル

 前JAなんすん組合長で、元沼津市議会議長の庄司睦氏(七三)=沼津市原=の旭日双光章受章を祝う会が一日、沼津市内のホテルで開かれ、斎藤衛市長ら二百七十人が参加した。
 庄司氏は昭和五十八年から沼津市議を五期、平成五-七年には議長を務めた。十一-二十年にはJAなんすん組合長。斎藤市長は「今後も沼津市発展のため、持てる力を存分に発揮してほしい」とあいさつ。庄司氏は「市議、組合長が全うできたのは皆様のおかげ」と謝辞を述べた。
(静新平成20年8月2日(土)朝刊)
  

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