2011年01月27日
中村さん(加藤学園暁秀高)
歌会始入選 中村さん(加藤学園暁秀高)
「歌に背中押された」 陛下の笑顔に安心

「歌に背中を押された気がして安心した」。加藤学園暁秀高3年の中村玖見さん(18)=富士市=ら歌会始の儀に招かれた入選者10人が14日午後、宮内庁で記者会見し、自作の歌が皇居・宮殿「松の間」で披露された喜びを語った。
好きな人の自転車のかごに入ったモミジを詠んだ中村さんは「名前を呼ばれて立った時、緊張で頭がふらふらしました」。朗詠が終わって初めて入選の実感が湧いたと話し、「陛下とお会いした時も緊張してしまって、自分の歌を詠み上げるときにつかえてしまったけれど、すごく優しい笑顔で、わたしの途切れ途切れの話を聞いてくださって、ほっとしました。本当に終わった後、幸せな気持ちになったのを、感じました」と振り返った。
「松の間のきれいな床を伝って、音の振動が自分のところまで来た。心が震えた」と感極まったのは京都市の文筆業桑原亮子さん(30)。難聴のため、大学時代に短歌を始めたころから「歌の響きを体感しながら歌を作ることはできないと思っていた」。歌には家族で訪れた岐阜県・奥飛騨の風景を詠んだ。「聞こえなくても31音で入の気持ちを読み取れるのがうれしい」と笑顔を見せた。
友人への思いを詠んだ兵庫県伊丹市の中学3年、大西春花さん(14)は陛下から「一生支え合っていける友達ですね」と声を掛けられた。
カナダ・ブリティッシュコロンビア州在住で、日本から持ち込んだツバキを題材にした庭師の粟津三寿さん(64)はこの日のために来日。懇談で両陛下から「これからはもっと頑張って歌を詠んでください」と激励された。
(静新平成23年1月15日朝刊)
「歌に背中押された」 陛下の笑顔に安心

「歌に背中を押された気がして安心した」。加藤学園暁秀高3年の中村玖見さん(18)=富士市=ら歌会始の儀に招かれた入選者10人が14日午後、宮内庁で記者会見し、自作の歌が皇居・宮殿「松の間」で披露された喜びを語った。
好きな人の自転車のかごに入ったモミジを詠んだ中村さんは「名前を呼ばれて立った時、緊張で頭がふらふらしました」。朗詠が終わって初めて入選の実感が湧いたと話し、「陛下とお会いした時も緊張してしまって、自分の歌を詠み上げるときにつかえてしまったけれど、すごく優しい笑顔で、わたしの途切れ途切れの話を聞いてくださって、ほっとしました。本当に終わった後、幸せな気持ちになったのを、感じました」と振り返った。
「松の間のきれいな床を伝って、音の振動が自分のところまで来た。心が震えた」と感極まったのは京都市の文筆業桑原亮子さん(30)。難聴のため、大学時代に短歌を始めたころから「歌の響きを体感しながら歌を作ることはできないと思っていた」。歌には家族で訪れた岐阜県・奥飛騨の風景を詠んだ。「聞こえなくても31音で入の気持ちを読み取れるのがうれしい」と笑顔を見せた。
友人への思いを詠んだ兵庫県伊丹市の中学3年、大西春花さん(14)は陛下から「一生支え合っていける友達ですね」と声を掛けられた。
カナダ・ブリティッシュコロンビア州在住で、日本から持ち込んだツバキを題材にした庭師の粟津三寿さん(64)はこの日のために来日。懇談で両陛下から「これからはもっと頑張って歌を詠んでください」と激励された。
(静新平成23年1月15日朝刊)
2011年01月26日
山本辰美氏
西武沼津店長
山本辰美(やまもとたつみ)氏(57)

地域と店の共生目指す
ー中心市街地の中核店舗として、街の現況をどう見るか。
「10年前と比べれば集客力は落ちた。買い物のお客さまが郊外へと向かう傾向は確かにある。だが、手をこまねいているわけではない。中心市街地の良さを磨き、楽しく人が集う街に。専門サービスなど百貨店らしさを追求し、誰もが訪れたくなる店に。そんな取り組みは進行し、可能性も成果も見えてきた。この街にはまだまだ力がある」
ー西武沼津店はどんな試みをしているか。
「毎月25、26日の朝市や同25日~月末の銘菓販売会は地元の農業者や菓子店に出店いただいている。定番化で認知度が上がり、街を訪れる人も増えた。地域の皆さんと一緒に共生していく店でありたい。そのために、われわれの側からお客さまや地域の取引先、商店街、サークルなどに近づいていくことが大事」
ー沼津駅周辺が活性化するのに何が必要か。
「ソフト面で言えば、商店街、行政、大型店が一体となった取り組みが街を盛り上げる。昨年12月の鍋フェスタは好例だった。わくわくする仕掛け作りに当店も協力する、ハード面では公共交通機関があるという強みを一層生かすこと。車がなくても過ごせる街はきっと見直される。沼津駅の南北の連絡を良くし、街に一体感と広がりを持たせることも急務。凛(りん)として輝く街であるために」
【西武沼津店】1957年、西武百貨店の最初の地方店としてJR沼津駅南口で開業。71年に道路を挟んだ南側に新館が完成し、増床した。県東部で唯一の百貨店。従業員は650人。沼津市大手町。
(静新平成23年1月26日「熱き地域人」)
山本辰美(やまもとたつみ)氏(57)

地域と店の共生目指す
ー中心市街地の中核店舗として、街の現況をどう見るか。
「10年前と比べれば集客力は落ちた。買い物のお客さまが郊外へと向かう傾向は確かにある。だが、手をこまねいているわけではない。中心市街地の良さを磨き、楽しく人が集う街に。専門サービスなど百貨店らしさを追求し、誰もが訪れたくなる店に。そんな取り組みは進行し、可能性も成果も見えてきた。この街にはまだまだ力がある」
ー西武沼津店はどんな試みをしているか。
「毎月25、26日の朝市や同25日~月末の銘菓販売会は地元の農業者や菓子店に出店いただいている。定番化で認知度が上がり、街を訪れる人も増えた。地域の皆さんと一緒に共生していく店でありたい。そのために、われわれの側からお客さまや地域の取引先、商店街、サークルなどに近づいていくことが大事」
ー沼津駅周辺が活性化するのに何が必要か。
「ソフト面で言えば、商店街、行政、大型店が一体となった取り組みが街を盛り上げる。昨年12月の鍋フェスタは好例だった。わくわくする仕掛け作りに当店も協力する、ハード面では公共交通機関があるという強みを一層生かすこと。車がなくても過ごせる街はきっと見直される。沼津駅の南北の連絡を良くし、街に一体感と広がりを持たせることも急務。凛(りん)として輝く街であるために」
【西武沼津店】1957年、西武百貨店の最初の地方店としてJR沼津駅南口で開業。71年に道路を挟んだ南側に新館が完成し、増床した。県東部で唯一の百貨店。従業員は650人。沼津市大手町。
(静新平成23年1月26日「熱き地域人」)
2011年01月02日
高峰秀子さん死去86歳
高峰秀子さん死去86歳、「浮雲」「二十四の瞳」

「浮雲」「二十四の瞳」など数々の名作映画に主演した俳優の高峰秀子(たかみね・ひでこ、本名・松山秀子)さんが28日、肺がんのため東京都内の病院で死去した。86歳だった。葬儀は近親者だけで行った。喪主は夫の映画監督松山善三さん。
1924年函館生まれ。5歳で松竹蒲田撮影所に入社し、野村芳亭監督「母」でデビュー。五所平之助監督「大東京の一角」、小津安二郎監督「東京の合唱」などに出演し、一躍子役スターとなった。
37年、PCL(現・東宝)に移籍。翌年、山本嘉次郎監督「綴方(つづりかた)教室」で貧しいながら明るく生きるヒロインを演じた。戦後、新東宝を経てフリーになり、50年代の日本映画黄金期に、木下恵介や成瀬巳喜男といった巨匠監督の作品に次々に主演。「デコちゃん」の愛称で日本を代表する女優として活躍した。
当時の代表作には、日本初の本格的カラー映画「カルメン故郷に帰る」(51年)、島の分校の女性教師を演じた「二十四の瞳」(54年)、男と女の深い業を重厚に描いた「浮雲」(55年)、灯台守夫婦の物語「喜びも悲しみも幾歳月」(57年)などがある。
55年、当時助監督だった松山善三さんと結婚。61年には松山さんの初監督作「名もなく貧しく美しく」で、ろう者の夫婦を小林桂樹とともに感動的に演じた。「華岡青洲の妻」「恍惚の人」などに出演の後、79年の「衝動殺人 息子よ」を最後に女優業を引退した。
文才や画才にも恵まれており、近年は文筆業に専念していた。女優引退前の76年には、エッセー「わたしの渡世日記」で日本エッセイスト・クラブ賞を受けている。