2012年07月26日
片岡一郎さん・内田祥一さん・勝間田容子さん・三上理恵さん
戦後復興に 夜空の大輪
世代超え街の将来思う

戦後間もない1948年(昭和23年)、戦災に遭った沼津の街や商店街の復興を願って始まった「沼津夏まつり・狩野川花火大会」。まつりのおひざ元、上土(あげつち)商店街の一角にある創業約150年の金物屋店主の片岡一郎さん(78)=写真右=は、川面を鮮やかに照らす大輪の花火に、
「平和を感じたねえ。日本は復興したんだって子供心にうれしかった」と懐かしむ。戦争末期、焼夷(しょうい)弾で焼け野原になった街の姿は忘れられない。
戦後の娯楽が無かった当時、まつりと花火は毎年市民を沸き立たせた。商店街の関係者の中には、「学習院遊泳場が沼津にあった関係か、皇太子だった今の天皇陛下が狩野川を船に乗って見に来られた」と記憶する人もいる。
片岡さんは「街の再興とともに、中心街は周辺地域の物産が集まって活気があふれた。時代が変わってもまつりに多くの人が訪れ、商店街を歩いてくれるのはうれしい」と話す。
「まつりにお神輿(みこし)を持ってきたい」。あげつち商店街振興組合理事長の内田祥一さん(60)=同左から2人目=は約30年前、周辺商店街の若手と奔走し、夏まつりに神輿を登場させたことを思い起こす。「少しでもにぎわいを後押ししようと知恵を絞った」。まつりでは、地元商店前の路上を利用して、フリースローやバスケット、うなぎのつかみ取りなどを企画した思い出もある。
すれ違うのが困難なくらい混雑した以前に比べ、来場者は減ったように感じる。それでも、一年で一番多くの人々が集まるこの花火大会の熱気は格別だ。「この街に来たいと思ってもらえる魅力づくりが大切。世代を超えて商店街や街の将来を考えていく必要がある」と先を見据える。
商店街で生まれ育った勝間田容子さん(42)=同右から2人目=、三上理恵さん(33)姉妹は、「自宅の屋上から見る花火は最高。昔からたくさんのお客さんを迎える特別な日」と街なかで打ち上げられる花火の醍醐味(だいごみ)を語る。
中心街に元気がなくなってきたのは、肌で実感している。「そんな今だからこそ」。調理師免許を持つ容子さんが長年温めてきた夢をかなえ、9月上旬、母親が営んできたクリーニング店を閉じて2人でカフェをオープンする。
最近は商店街に新しく出店した店主のネットワークができ、雰囲気も変わりつつある。花火の時に限らない新たな人の波を呼び込むためにも、「若い力を生かしたい」と夢を膨らませる。
(静新平成24年7月26日「狩野川ひと物語:花火」)
2012年07月19日
宇野統彦さん(うののりひこ)(沼津市)
今春設立された「ふじのくに先端医療推進ぬまづ」の会長
宇野統彦さん(うののりひこ)(沼津市)

設立は4月。ふじのくに先端医療総合特区と連動し、沼津地区の企業の特区関連事業への参画、医療・医用分野進出を促進する。沼津商工会議所副会頭。沼津市出身、66歳。
ー新組織の狙いは。
「特区を地域産業の発展に生かしたい。医療・医用分野は実に幅広い。機械、自動車、製紙などの産業分野を支える製造業者の技術を直接、間接に生かす道もありそうだ。その橋渡し役に努める」
ー沼津の優位性は。
「沼津はもともと、保養地や別荘地として有名だった。多くの著名人が心身を休め、英気を養った。広い意味での健康産業が発展する素地はある。製造業以外の事業者にも好機だ」
ーどんな活動を始めたか。
「沼津商議所と沼津市商工会の会員から46事業者が加入した。第1弾として、特区と地元の先進企業の取り組みを学ぶセミナーを一般に公開して開いた。今後は、医療。介護現場のニーズを探る意見交換会、参加企業向け勉強会などを計画している」
◇
老舗駅弁会社「桃中軒」の会長。
(静新平成24年7月19日「この人」)
宇野統彦さん(うののりひこ)(沼津市)

設立は4月。ふじのくに先端医療総合特区と連動し、沼津地区の企業の特区関連事業への参画、医療・医用分野進出を促進する。沼津商工会議所副会頭。沼津市出身、66歳。
ー新組織の狙いは。
「特区を地域産業の発展に生かしたい。医療・医用分野は実に幅広い。機械、自動車、製紙などの産業分野を支える製造業者の技術を直接、間接に生かす道もありそうだ。その橋渡し役に努める」
ー沼津の優位性は。
「沼津はもともと、保養地や別荘地として有名だった。多くの著名人が心身を休め、英気を養った。広い意味での健康産業が発展する素地はある。製造業以外の事業者にも好機だ」
ーどんな活動を始めたか。
「沼津商議所と沼津市商工会の会員から46事業者が加入した。第1弾として、特区と地元の先進企業の取り組みを学ぶセミナーを一般に公開して開いた。今後は、医療。介護現場のニーズを探る意見交換会、参加企業向け勉強会などを計画している」
◇
老舗駅弁会社「桃中軒」の会長。
(静新平成24年7月19日「この人」)
2012年07月17日
鈴木博子さん(すずきひろこ)(沼津市)
消防功労者総務大臣表彰を受賞した
鈴木博子さん(すずきひろこ)(沼津市)

沼津市まどか女性防火クラブ会長と県女性防火クラブ連絡協議会副会長として、長年にわたり県民の防災意識向上に努めている。市応急手当指導員も務める。65歳。福岡県出身。
ー受賞の感想は。
「家族の理解があったおかげでここまでやりてこられた。大臣表彰はクラブの会員や行政の協刀のたまもの。みんなを代表していただいた賞だと思っている」
ー特に力を入れている活動は。
「『我が家から絶対に火を出さないように』をスローガンに、子どもへの防火教室や住宅用火災警報器の設置を呼び掛けている。また、この時期は高齢者の熱中症対策にも力を入れている」
ー今後の抱負は。
「防災と救急の指導だけでなく、最近は車いすやベッドの乗降支援といった高齢化社会に必要な介護技術の普及啓発にも力を入れている。いろいろな目線で活動の幅を広げていきたい」
◇
沼津国際交流協会の会員として、アジア各国の若者のホームステイを支援している。
(静新平成24年7月17日「この人」)
鈴木博子さん(すずきひろこ)(沼津市)

沼津市まどか女性防火クラブ会長と県女性防火クラブ連絡協議会副会長として、長年にわたり県民の防災意識向上に努めている。市応急手当指導員も務める。65歳。福岡県出身。
ー受賞の感想は。
「家族の理解があったおかげでここまでやりてこられた。大臣表彰はクラブの会員や行政の協刀のたまもの。みんなを代表していただいた賞だと思っている」
ー特に力を入れている活動は。
「『我が家から絶対に火を出さないように』をスローガンに、子どもへの防火教室や住宅用火災警報器の設置を呼び掛けている。また、この時期は高齢者の熱中症対策にも力を入れている」
ー今後の抱負は。
「防災と救急の指導だけでなく、最近は車いすやベッドの乗降支援といった高齢化社会に必要な介護技術の普及啓発にも力を入れている。いろいろな目線で活動の幅を広げていきたい」
◇
沼津国際交流協会の会員として、アジア各国の若者のホームステイを支援している。
(静新平成24年7月17日「この人」)
2012年07月10日
鈴木博子さん(沼津)大臣表彰
鈴木博子さん(沼津)大臣表彰
地域防災力の向上に貢献

県女性防火クラブ連絡協議会の鈴木博子副会長(65)=沼津術まどか女性防火クラブ会長、同市東椎路=が9日、市役所を訪れ、粟原裕康市長に消防功労者総務大臣表彰の受賞を報告した。
鈴木さんは1982年に市のクラブに入会し、寸劇や紙芝居などを通して幼児への防災教育を続けてきた。2002年から県の連絡協議会副会長として、各地で行われる研修会や普及啓発活動を通して、地域防災力の向上をリードしてきた。
鈴木さんは「家族や行政の理解、協力が大きかった。今後も活動を通して県民の防災意識を高めていきたい」と話した。市内で同表彰を受けたのは2人目。栗原市長は「沼津の取り組みは全国に誇れる。地道な活動だが市民にとって本当にありがたい」と話した。
(静新平成24年7月10日朝刊)
地域防災力の向上に貢献

県女性防火クラブ連絡協議会の鈴木博子副会長(65)=沼津術まどか女性防火クラブ会長、同市東椎路=が9日、市役所を訪れ、粟原裕康市長に消防功労者総務大臣表彰の受賞を報告した。
鈴木さんは1982年に市のクラブに入会し、寸劇や紙芝居などを通して幼児への防災教育を続けてきた。2002年から県の連絡協議会副会長として、各地で行われる研修会や普及啓発活動を通して、地域防災力の向上をリードしてきた。
鈴木さんは「家族や行政の理解、協力が大きかった。今後も活動を通して県民の防災意識を高めていきたい」と話した。市内で同表彰を受けたのは2人目。栗原市長は「沼津の取り組みは全国に誇れる。地道な活動だが市民にとって本当にありがたい」と話した。
(静新平成24年7月10日朝刊)