2011年11月27日

現代の名工 配管工の青木義光さん

現代の名工
 配管工の青木義光さん
 家業継ぎ、この道38年

 配管工として表彰された青木義光さんは一九五二年四月、清水市(現静岡市清水区)興津生まれの五十九歳=写真。五歳で沼津市に移り、十歳の時、父親の昇さんが下香貫八重に青木設備工業所を創業したことから三小に転校。三中、沼津高専機械科を経て東京の高砂熱学工業に就職。
 一人旅が趣味だった青木さんは高専時代、旅先の日光で出会った利枝さんと恋に落ち、結婚。東京での生活は技術者として仕事も家庭も順調に推移し、警視庁の建設では空調の現場監督を務めるなど将来を期待されていた。
 しかし八〇年、父親が体調を崩したことから、二男一女の長男ということもあり家業を継ぐため沼津に。親から子に技術が引き継がれるのは、傍から見ているだけなら、ほほえましいものだが、血がつながっているゆえに衝突もあったようだ。
 これまで仕事上で大変だったことについて青木さんは「大変だとか、苦労したとかの思いはない。大変なのが仕事だと思っているから」と淡々と話す。
 長女、次女、長男に恵まれたが、跡継ぎ息子は高専を卒業後、外資系企業に就職。会社経営は景気に左右され浮き沈みがあるため、「息子には経営の苦労をさせたくない」と自分の代での廃業もやむを得ないと考えているが、自らは「体を使う仕事なので健康なうちは続けたい」と話す。
 業界発展のため市指定給水工事店協同組合の活動に携わり、二年前には市政功労表彰で産業功労表彰を受け、現在は同組合の理事を務めている。
 青木さんは「まちの水道屋さんとして、住民との付き合いを大切に、サービス第一でお役に立てれば」と話す。
 仕事の傍らには「四葉のクローバー」を栽培。今年はナメクジとダンゴムシが発生し薬剤を散布したことが影響したのか、枯れて全滅。クローバーの中には、時々、五つ葉が出現。それらを栞にして顧客らに贈っている。来年は六葉に挑戦するという。
(沼朝平成23年11月27日号)
  

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2011年11月26日

斉藤一臣(さいとうかずおみ)さん(沼津市)

 上土演舞場を実現した 斉藤一臣(さいとうかずおみ)さん(沼津市)


 沼津市で開催された「よさこい東海道2011」で、新たに上本通り商店街を演舞場に新設するよう奔走し、周辺の店を巻き込んだフードコート「うみゃーKAMIHON」を展開した。出場チーム「鳴子艶舞会」の代表を務める。49歳。
 ー企画の理由は。
 「15回目の節目に街を元気にしたいなと。自治会など地元も賛同してくれ、皆で一つになって夢をかなえた。地域を挙げた取り組みになり、毎日会合を設けた。皆の心意気には頭が下がった」
 ー当日の様子は。
 「沼津の自慢の店が会場に軒を連ね、全国から集まる踊り子や観客を喜ばせた。終わった後『にぎやかで楽しかった』と聞いて、苦労が報われたと涙が出そうだった。やはり街はこうでないと」
 ー今年の感想は。
 「年々広がった輪が新しい取り組みに結実したのは大きい。チームの今年の曲、振り付けのテーマは『永遠(とわ)に』。この楽しいお祭りがずっと続くよう願いを込めて作った」
 ◇
上本通りの一角に飲食店「鳳舞」を構える。色鮮やかな艶舞会の旗が目を引く。
(静新平成23年11月26日「この人」)
  

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2011年11月25日

 肥田敬夫(ひだよしお)さん(沼津市)

経済産業大臣表彰を受けた県計量協会長
 肥田敬夫(ひだよしお)さん(沼津市)

 経済産業省が11月に東京で開いた本年度計量記念日全国大会で、計量関係功労者として経済産業大臣表彰を受けた。計量機器メーカー肥田忠(沼津市)社長。2006年から県計量協会長を務めている。70歳。
 ー表彰された感想は。
 「計量機器の製造、販売、修理会社、計量士などでつくるわれわれの業界は、日本経済の縁の下の力持ち。業界の発展が産業振興につながると考え、活動を続けたことが、思いがけず評価された」
 ー県計量協会の活動は。
 「計量機器の検査のほかに毎年、業界の発展に功績のあった県内企業や個人を表彰してきた。現在は、協会の一般社団法人化に向け、準備を進めている。規制緩和や地方分権が進み、協会に期待される役割は大きくなり、責任も重くなった」
 ー今後の抱負は。
 「ここ10年で、機器のデジタル化が急速に進んだ。操作が簡単になった半面、扱う人のモラルが問われている。計量法に則した正しい量り方の普及と啓発に努めたい」
 ◇
学生時代にボート部で協調性や忍耐力を培った。
(静新平成23年11月25日「この人」)
  

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2011年11月23日

落語家の立川談志さん死去 75歳

落語家の立川談志さん死去 75歳

 元参議院議員で沖縄開発庁政務次官もつとめた落語家の立川談志(たてかわ・だんし、本名松岡克由=まつおか・かつよし)さんが21日、死去した。75歳だった。

 1936年、東京生まれ。52年、五代目柳家小さんに入門して「小ゑん」。才能あふれる高座で早くから認められ、63年に真打ちに昇進して五代目立川談志を襲名した。66年に始まった日本テレビ系「笑点」で司会をつとめ、三遊亭円楽らとともにお茶の間の人気者になった。

 71年には参議院議員に当選。自民党入りして、1期務めた。この間、76年には沖縄開発庁政務次官をつとめたが、辞任して離党。

 83年には真打ち昇進制度をめぐって師匠小さんが会長だった落語協会を脱退し、「落語立川流」を作って家元に。古典落語の第一人者として高い評価を受けた。著書も数多く、『現代落語論』(65年)は若い落語家たちの指針となった。
(アサヒコム)
  

Posted by パイプ親父 at 16:41Comments(0)訃報

2011年11月17日

鈴木隆義氏

県は本年度の県優秀技能者を発表した。
表彰式は25日、静岡市清水区の清水テルサで開く。
県優秀技能者
鈴木隆義(67)=沼津市:かわらぶき部門
  

Posted by パイプ親父 at 12:44Comments(0)受賞

2011年11月17日

肥田敬夫氏


 肥田さん受賞の喜び
 計量関連事業で大臣表彰
 沼津市長に報告

 計量関連事業に関する功績で、本年度の経済産業大臣表彰を受賞した県計量協会の肥田敬夫会長(70)が16日、沼津市役所を訪れ、栗原裕康市長に喜びを報告した。
 同表彰は1日に東京都内で開かれた計量記念日全国大会で授与され、関係者ら16人が輝いた。肥田会長はトラックスケールなどを手掛ける肥田忠(同市五月町)などの経営の傍ら、2006年に県の協会長に就任。全国組織の日本計量振興協会でも08年から常任理事を務め、業界振興に尽くしている。
 肥田会長は栗原市長に表彰状や記念品などを披露。受賞を機に、業界の知名度向上を図っていく考えなどを話した。
(静新平成23年11月17日朝刊)
  

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2011年11月17日

米久・藤井社長に栄誉章

米久・藤井社長に栄誉章
 デンマーク 豚肉販売、普及に貢献

 米久(沼津市、藤井明社長)は15日、デンマーク産豚肉の販売、普及に貢献したとして、デンマーク王室ヘンリック殿下栄誉章とデンマーク企業家連盟ディプロマを授与された。
 米久は1985年に輸入を始め、現在の年間輸入量は日本全体の約15%(2万トン)を占める。ハムやベーコンに加工するなどして販売している。
 栄誉章とディプロマは同連盟が王室と政府の協力で1982年に創設した。デンマーク製品の海外での販売・普及に貢献した人物や企業を認める最も権威ある賞。都内の駐日デンマーク大使館で開かれた伝達式で、ダムスゴー駐日大使は「長年、継続的に日本市場に供給し、加えて安全性の周知に支援をいただいた。両国の良好な関係の礎」とたたえた。
 式後、藤井社長は「デンマークは、徹底した品質管理で安定供給ができる信頼度の高いパートナー。大変な栄誉。これを機に両国食肉業界の関係を強めたい」と喜んだ。
(静新平成23年11月16日朝刊)
  

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2011年11月09日

吉谷幸博(よしたにゆきひろ)氏(51)

 富士通静岡東部支店長
 吉谷幸博(よしたにゆきひろ)氏(51)
 システムの共有化提案

 ー県東部の印象は。
 「首都圏へのアクセスが良く、観光資源も豊富だが、三島市、長泉町など活気や特色のある地域が分散し、核となる大規模な商圏がないと感じている。周辺地域の企業や経営者も、県東部経済に対して、こぢんまりした印象が強いのではないか。活性化のためには広域的な自治体間の連携が不可欠だと感じている」
 ー力を入れている事業は。
 「現在、富士通全体で利用者が既存のICTシステムを必要なだけ活用できる『クラウドサービス』の拡大を進めている。県東部には中小規模の療養・介護型高齢者医療施設が集中している。多くの施設は大規模な専用システムを必要としないため、クラウドサービスの展開に可能性を感じている。また、大手企業の出先機関が多い地域でもあり、多様なシステムが求められる。顧客満足度を高めるサービスの提供に努めた
い」
 ー業務を通じてどう地域に貢献するか。
 「自治体間のシステムの共有化などを提案していきたい。伊豆地域を中心に小規模な市町は、それぞれのシステムで同じ業務をしている場合が多いので、コストカットや行政の広域化につなげられるのではないか。計画が進む東部コンベンションセンターに関しても、システム面で県東部の活性化に携わっていきたい」
 【富士通静岡東部支店】 1987年11月開設。富士川以東から伊豆半島全域を担当する。関連企業、パートナー企業と共同でICT関連製品、サービスの販売、サポートを幅広く展開している、沼津市大手町。
(静新平成23年11月9日「熱き地域人」)
  

Posted by パイプ親父 at 11:50Comments(0)熱き人たち

2011年11月07日

男子 浜松日体大V3 女子 三島北5度目

静岡県高校駅伝
男子 浜松日体大V3 女子 三島北5度目


 男子第62回、女子第24回県高校駅伝競走大会は6日、袋井市のエコパスタジアムを発着点とする小笠山総合運動公園周回コースで行われた。7区間42・195㌔で争った男子は浜松日体が2時間9分49秒で3年連続6度目の優勝を果たした。5区間21・0975㌔の女子は三島北が1時間14分42秒で2年、ぶり5度目の女王に輝いた。
 両校は12月25日に京都・都大路で開催される全国大会に出場する。
(静新平成23年11月7日朝刊)
  

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2011年11月04日

北杜夫さんを悼む  宮田毬栄

北杜夫さんを悼む  宮田毬栄
 甘美な苦痛と悲しみ抱え

 北杜夫さんび不意の死に打ちのめされる思いがする。どこかで恐れてはいたけれど、否定していた現実を前にして、私は暗闇の底に落とされてしまった気持ちをもてあましている。
 中央公論社の「週刊公論」に連載された「どくとるマンボウ昆虫記」を担当した20代初めから、退社しても続いた北さんとの交流は50年に及んだ。
 作家と編集者の関わりばかりか、北さんは私の主治医だったことがある。私はある時、鬱(うつ)的な心臓神経症と診断され、北さんの兄上、斎藤茂太氏が院長をつとめる斎藤神経科に入院したのだ。当時の北さんは作家の仕事と並行して、慶応病院神経科医局と斎藤神経科の両方で働いていた。北さんは誠心誠意私を治そうと治療に当たってくださった。
 白衣の北さんは衿(えり)足がきれいな白皙(はくせき)の青年医であり、女性患者の憧れの的だったらしい。北さん自身は、「精神を病んでいる人が担当医に恋するのは顕著な症状の一つなの」と言って私を笑わせた。
 名医の北さんのおかげで、私は約1カ月のうちに完治し、仕事に復帰した。 後年、人騒がせな躁鬱(そううつ)人間と化した北さんにはすぐれた医師の気配は残っていなかった。それを無念に感じているとみえ、北さんは私に何度も念を押すのだった。
 「ぼくが優秀な医者だって言えるのはまりちゃんしかいないのだから、いつか絶対に証言してね。わかってる?」
 北さんは1992年春から私が編集する「中央公論文芸特集」に「どくとるマンボウ医局記」を書いてくださった。実に17年ぶりの「どくとるマンボウ」ものである。前々からこの医局記を依頼していたのだが、北さんは「もう少し待って、X教授とY教授が亡くなったら書けるので」と言っていたのだ。
 慶応病院神経科にたむろする奇人変人の医師や患者を描いた爆笑を呼ぶ作品であるとともに、文学者の目で見つめた驚くべき人間認識の書といえる。人びとを幸せにした「どくとるマンボウシリーズ」後期の傑作である。
 「どちらかというと精神がおかしい人の方が好き」と書く北さんの純粋性は医局記だけでなく、他の作品にも通底している。初期短編「岩尾根にて」「羽蟻のいる丘」の澄みきった仔情(じょじょう)性。長編「楡家の人びと」「白きたおやかな峰」「輝ける碧き空の下で」などに見られる物語を構築していく怜悧な意思。さらには、父である大歌人斎藤茂吉を描く評伝「青年茂吉」「壮年茂吉」「茂吉彷徨」「茂吉晩年」の四部作に表れる透徹した客観性。それぞれの特徴はあるものの、作品すべてに流れる純粋性は北杜夫独自のものだ。
 「親父は僕を愛している。僕も親父を愛している。すばらしい苦痛」。旧制松本高校時代の膨大な日記を編んだ「或る青春の日記」には北文学の原型がつまっている。まさに北杜夫の心の秘密を読む宝庫なのだが、中でも私は右の文章に惹(ひ)かれる。甘美な苦痛は青春の属性であろうが、トーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」にしびれた北さんは、青春の甘美な苦痛と悲しみを生涯胸に抱えた文学者だった。
(エッセイスト)

北杜夫さんは10月24日死去、84歳。
(静新平成23年11月4日夕刊)
  

Posted by パイプ親父 at 17:24Comments(0)作家

2011年11月03日

川ロフサ(かわぐち)氏

 瑞宝単光章(社会福祉功労)
 川ロフサ(かわぐち)さん
 (元民生・児童委員、沼津市)
 高齢者手助けに注力
 36年間の活動が評価されたことを大変うれしく思います。「頑張りすぎないで」という先輩の言葉にも助けられ、長年にわたり高齢者支援に力を注いできました。老人ホーム利用者の相談員を務めたほか、災害に備えた地域の要救護者マップを作成したことが印象深い。一人一人を訪ねて病状や必要な治療法を聞き取るなど、委員として信頼関係の大切さを学びました。体が動く限り高齢者の手助けをしていきたい。
(静新平成23年11月3日朝刊)
  

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2011年11月03日

後藤全弘(ごとろかねひろ)氏

 旭日双光章(産業振興功労)
 後藤全弘(ごとろかねひろ)さん
 (元沼津商工会議所会頭、沼津市)
 沼津活性化へ諸事業
 会員のためになくてはならない組織であろうー。商工会議所時代はそんな思いでさまざまな事業に挑戦しました。東部地域コンベンションビューローの運営、沼津市中心市街地活性化協議会の設立などが印象深いですね。女性会や青年部の活力に後押しされ、職員の地道な努力に支えられました。一線を離れてあらためて、沼津は恵まれた地だと感じます。まちの力を引き出そうという次世代の力に期待します。
(静新平成23年11月3日朝刊)
  

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2011年11月02日

飯田與司郎(いいだよしろう)さん

黄綬 業務精励 宅地建物取引業
 飯田與司郎(いいだよしろう)さん
 不動産の可能性を探究
 「地域の魅力というのは、土地をどれくらい生かせているかに大いに関係ある。逆に言えば、土地から地域再生を図ることもできるはず」。日焼けした顔で熱弁する。
 自社で30年以上にわたり不動産部門の責任者を担う。事業者組織の全日本不動産協会、不動産保証協会の運営にも携わってきた。
 1980年代に週貸アパートを先駆的に運営するなど、不動産の可能性を常に探究。「すべての産業と暮らしの基礎は土地」と胸に刻み、利便の向上と地価の安定を模索してきた。
 本業を離れたNPO活動でも、緑地で高齢者の生きがい作りに挑む。「地の力」を信じて。
(静新平成23年11月2日朝刊)
  

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