2016年11月09日
訃報 小野眞一氏死去
小野眞一氏 (おの・しんいち=元加藤学園考古学研究所所長、元沼津市議)は七日、死去した。八十八歳。自宅は富士市境五八。
通夜が十一日午後七時から富士市伝法二三三一の一、セレモニーホール平成記念館で行われ、告別式は十二日午前十時半から同会館で。出棺は正午。喪主は娘の辻眞理子さん。
小野氏は、学生だった昭和二十年代から登呂遺跡の発掘作業に参加するなど早期から考古学の分野で活動し、県東部における考古学研究のさきがけ的存在となった。加藤学園高(当時は沼津女子商)の教員となり、同学園考古学研究所の所長も兼ね、後に常葉天教授を務めた。
考古学者としては弥生時代の専門家として県東部の考古学研究に多大な貢献をしたほか、講演活動も行い、考古学普及に一役買った。
また、東熊堂の高尾山穂見神社境内に古墳が存在する可能性を昭和五十三年(一九七八)ごろから指摘していたことでも知られる。その指摘の正しさは、高尾山古墳の発見により証明された。
昭和四十八年(一九七三)には、市長選に伴う市議補選に出馬して当選し、市議を一期務めた。
【沼朝平成28年11月9日(水)号】
通夜が十一日午後七時から富士市伝法二三三一の一、セレモニーホール平成記念館で行われ、告別式は十二日午前十時半から同会館で。出棺は正午。喪主は娘の辻眞理子さん。
小野氏は、学生だった昭和二十年代から登呂遺跡の発掘作業に参加するなど早期から考古学の分野で活動し、県東部における考古学研究のさきがけ的存在となった。加藤学園高(当時は沼津女子商)の教員となり、同学園考古学研究所の所長も兼ね、後に常葉天教授を務めた。
考古学者としては弥生時代の専門家として県東部の考古学研究に多大な貢献をしたほか、講演活動も行い、考古学普及に一役買った。
また、東熊堂の高尾山穂見神社境内に古墳が存在する可能性を昭和五十三年(一九七八)ごろから指摘していたことでも知られる。その指摘の正しさは、高尾山古墳の発見により証明された。
昭和四十八年(一九七三)には、市長選に伴う市議補選に出馬して当選し、市議を一期務めた。
【沼朝平成28年11月9日(水)号】