2012年03月31日

市立高の村山のどかさん

「春の武道館で柔道全国制覇」 
市立高の村山のどかさん

 日本武道館で十九日に開催された全国高等学校柔道選手権大会(通称・春の武道館)の個人戦女子70㌔級で、市立高二年の村山のどか選手が初優勝した。村山選手は市立高中等部時代、県代表として全国中学校体育大会(全中)に三年連続出場し、高校でも二年連続で総体に出場している有力選手。かねて全国制覇に期待が寄せられていたが、今回、ようやく本領を発揮した。
 女子70㌔級で本領発揮
 接戦ものにし決勝で一本勝ち
 大会での村山選手は、初戦となる二回戦を優勢で勝ち、三回戦、準々決勝、準決勝とも延長戦にもつれ込む接戦をものにし、決勝では昨年の総体で準優勝している長内香月選手(富山県高岡龍谷)を一本で破り、初優勝を手にした。
 村山選手は、両親と兄、妹二人の六人家族。警察官の父親が柔道をやっていたことから兄に続いて四歳で柔道を始め、小学生時代は五年生と六年生の時に全国大会へ出場。五年生の時にはベスト8入りしている。
 三島市立向山小卒業後、市立高中等部に入学。一年生の時は57㌔級で、二年生で63㌔級、三年生で70㌔級と体の成長とともに階級を上げ、三年連続出場の全中では最高成績はベスト16。
 高校進学後、二年連続出場の総体も70㌔級で、いずれもベスト16。昨年も春の武道館への出場を決めていたが、東日本天震災で中止となったため春の武道館は今回が初出場だった。
 身長一六三㌢、得意技は大内刈りの村山選手。「日本武道館は小学生の時、全国大会を経験しているのでインターハイよりも緊張しなかった。一回戦から接戦で勝ち上がり、(旗判定3ー0で勝った)準決勝は自分でも、どちらか分からなかった」という。
 全国大会常運の村山選手だが、決勝戦の相手となった第一シードの長内選手とは初めての対戦。長内選手は優勝候補筆頭で準決勝まで全て一本勝ち。村山選手は「相手は自分よりも力が上だと思っていたので気軽に対戦できた」。
 決勝では積極性に欠けた村山選手が先に「指導」を受けて劣勢に回ったが、相手の左足に自らの左足を掛けて背中から倒して一本勝ち。優勝した瞬間について村山選手は「自分の顔が何も考えていないように見えた。三位が目標だったので自分でも驚いている」と帰宅後、ビデオで試合を見た感想を語った。
 顧問の須田直之教諭は「初戦から気持ちが入っていた。常に攻めていて、技もよく出ていた。五戦のうち三つが延長戦だったが、勝てたのは練習でスタミナが付いた成果。上位に行きたいという気持ちが強かった」と話す。
 中学入学の時から昨年まで村山選手を指導した根木谷信一さん(元市立高教諭・柔道部顧問、現沼津市柔道連盟会長)は、「いつ全日本の強化選手に選ばれるか、という逸材。勝負勘が良く体も強い。立ち技にしても寝技にしても一つのパターンを持っている」と優勝を喜ぶ。
 また、個人戦の翌日に行われた団体戦に出場した同校チームは、一回戦で香川県代表の高松商を2ー0、二回戦で宮城県代表の柴田を2ー1で下したが、三回戦で福岡県代表の敬愛に0ー2で敗れ、ベスト8入りはならなかった。
 同校柔道部で高校時代全国大会を制している女子選手は、バルセロナ五輪の公開競技で金メダルを獲得した佐々木光さんがいるが、当時は春の武道館はなく、この大会の同校からの覇者は村山選手が初めて。
 二十八日には優勝報告のため、市役所に粟原裕康市長を訪ね、市長から進路を尋ねられたのに対し須田顧問は、優勝後、多くの大学関係者から勧誘の声が掛かっている、と応じていた。
 村山選手は目標の高校総体に向け、「今度は優勝を狙っていきたい」と決意を見せるが、将来、進学するか、就職するかは現時点では未定だと、のどかな表情で答えた。
(沼朝平成24年3月31日号)
  

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2012年03月30日

高橋秀則(たかはしひでのり)さん

東海鉄道OB会沼津支部長として清掃活動などに取り組む
高橋秀則(たかはしひでのり)さん(沼津市)

 東海鉄道OB会沼津支部の会員約220人をまとめる。毎春、沼津市高沢町の高沢公園内にある蒸気機関車(D52ー136)の清掃活動などに取り組む。現役時代は原駅や冨士川駅の駅長などを歴任した。74歳。
 ー力を入れたい活動は。
「蒸気機関車の清掃をはじめ、子どもや地域住民向けのSL説明会を開催していきたい。イラストなどを使って、蒸気機関車の魅力や特徴を多くの人に知ってほしい。地元である大岡駅の清掃にも頻繁に取り組んでいる」
 ー0B会の課題は。
 「趣味の多様化や定年退職者数が減少し、会員の高齢化が進んでいる。若い世代の確保が必要。鉄道の魅力を伝えていくために会員数を増やし、活動を充実させていきたい」
 ー蒸気機関車の魅力は。
 「車掌時代は煙で頁っ黒になったが、音を立て石炭で動く力強さがあった。高沢公園の機関車は沼津機関区に在籍し、御殿場線で活躍していた列車と同じ形式。沼津になじみ深い」
 ◇
手先が器用で、竹細工や日曜大工に毎日取り組む。
(静新平成24年3月30日「この人」)
  

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2012年03月28日

土屋誠司(つちやせいじ)氏

 富士和会長
 土屋誠司(つちやせいじ)氏(82)
 地震に備え地盤調査を

 ー東日本入震災による影響は。
 「千葉県の一部地域などでみられた液状化現象への関心が急速に高まっている。しかし、地盤調査への動きは鈍い。液状化の危険性は県の第3次被害想定などで過去に公表されてきた。自分たちが住む土地の地盤特性を理解し、個々人が地震と向き合っていく必要がある。被害を最小限で食い止めるためにも、啓発に力を入れていきたい」
 ー企業理念は。
 「人々の暮らしに安心を提供すること。すべての建物は土地の上に成り立っている。地盤情報は人々が暮らす上でなくてはならないもの。これまで県内全域で、市役所や主要道路、大規模施設などの地質調査を手掛けてきた。長年にわたって蓄積したデータや経験がある。地盤情報は目に見えないだけに、信用が最も大切。社会貢献にも常に目を向けていきたい」
 ー地域貢献に向け取り組んでいることは。
 「学者らによる沼津市や三島市、田方平野の地質の調査を実施した。まとめた結果を県地学会で発表した。他地域の調査も検討している。震災後、地学教育の重要性を見直す動きも高まっている。将来、自然災害の被害を軽減していくためにも、初期教育で防災意識を高めるべきだ。そして、多くの若者が地震対策や発生のメカニズムに興味を抱いてほしいと願っている」
 【富士和】建設コンサルタント(地質部門)。地形、地表調査、ボーリング調査、計器による調査などを県内全域で手掛ける。取引先は官公庁や企業。1957年創業。本社静岡市駿河区。本社分室沼津市大岡。
(静新平成24年3月28日「熱き地域人」)
  

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2012年03月28日

 野津和男(のづかずお)さん

 年代物の発動機の修復や保存を続ける
 野津和男(のづかずお)さん(沼津市)

 大正時代から戦後復興期にかけて国内の各種産業を支えた年代物の発動機。当時の機械を収集、修復、保存し、各地で運転実演会を開いて産業遺産としての価値を紹介している。65歳。
 ー古い発動機に関心を寄せる理由は。
 「幼いころに亡くした父を懐かしみ、5年ほど前から愛用のポンポン船に載っていた焼き玉工ンジンを探し始めた。関連のNPOや産業考古学の学会にも参加し、全国を巡って発動機を集めている」
 ー活動で留意する点は。
 「先人が試行錯誤の末に開発したものばかり。可能な限り原形に近く復元し、資料とともに動く状態で残している。作業を通じて当時の開発者に思いをはせたり、収集活動で多くの人と出会う楽しみもある」
 ー将来の目標は。
 「発動機を使った新たなまちづくりを提案したい。機械に触れながら歴史を学べる常設の展示施設があったり、焼き玉エンジンを積んだ観光船が就航したりすれば、地元の活性化にもつながるはず」
 ◇
トヨタの技術者として長年、車両開発を担った経歴を持つ。
(静新平成24年3月28日「この人」)
  

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2012年03月27日

井上修一筑波大名誉教授

筑波大名誉教授
井上修一(いのうえしゅういち)さん

 4月28日に全国公開される映画「わが母の記」(モントリオール世界映画祭審査員特別グランプリ受寅)の原作者井上靖氏の長男。専門はドイツ文学。撮影が行われた旧天城湯ケ島町(現伊豆市)にも居住した経験を持つ。京都府出身。71歳。
 人間物語「わが母の記」
 ー映画の印象は。
 「伊豆の湯ケ島や沼津の風景も含め、映像のきれいな映画。父の原作もそうだが、老人の介護を扱った話ではない。互いの理解が成り立たず、離れていた母子の結び付きの物語として表現されている。人間の物語だ。作品を通じて原田真人監督がどのような日本の家族像を思い浮かべているのかがよく分かった」
 ー井上靖氏はどんな父親だったか。
 「家の中ではとにかく必死で仕事をしていた。書斎の空気は張り詰め、中に入るのは怖かった。小学生の時から『おやじは頑張っている。じゃまをしてはいけない』という気持ちが自分の中にあった。友達は家で騒ぐと父に怒られるので『おやじがうちにいる』と言うと遊びに来なかった」
 ー父からアドバイスを受けたことは。
 「息子に対してあれこれ言わなかったが、『本を読め』とは言われた。大学に入った時にも『大学の授業なんかつまらない.から出るなよ。本を読め』と言っていた。当時はフランス語やドイツ語の授業が好きで、父の教えを守らずに出席した。だが、授業に出るより本を読んだ方が人間は成長し、立派になると今になって思う。仕事については『自己表現ができる職業がいい』とアドバイスされた。父が言ったことは全部当たっていた」
 ー天城湯ケ島にいた頃の思い出は。
 「小学1年の2学期から3年の終わりまで住んでいた。川が本当に好きだった。水がきれいで、夏休みにはずっと川に入っていた。魚をとったりして遊び、体が冷えてくると、岩にしがみついた。父が『しろばんば』で書いたのと同じ子どもの世界が残されていた。その後、東京に引っ越したが、汚くて嫌いだった。東京に出てきた翌年の夏休みに湯ケ島に行った時には、とにかく川に入りたかった」
(静新「聞きたい言いたい」)
  

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2012年03月22日

ノーマン・ミネタ氏

ノーマン・ミネタ氏

 両親の古里、清水町と三島市を訪れた元米閣僚
 差別撤廃へ教育が大切 正しい決断重ね復興を
【ノーマン・ミネタ氏 1931年.米カリフォルニア州サンノゼ市生まれ。日系2世。父は清水町出身の峰田国作、母は三島市出身のかね(旧姓渡辺),サンノゼ市長、米下院議員などを経て2000年にクリントン政権で商務長官、日系初の米閣僚となった。ブッシュ政権では運輸長官。現在は大手広告会社ヒル・アンド・ノウルトンの副会長を務める。】
 元米閣僚で両親の故郷の清水町と三島市を訪れたノーマン・ミネタ氏(80)がこのほど、静岡新聞社の単独インタビューに応じた。ミネタ氏は運輸長官時に遭遇した2001年9月の米中枢同時テロで、第2次大戦中に日系人として強制収容された経験から、米国内に渦巻く反イスラム感情に毅然とした姿勢を貫いた。人種差別を繰り返してはならないと訴え、東日本大震災からの日本の復興にもエールを送った。
 ー両親の古里を訪問した感想は。
 「大きな喜び。アメリカ人であることと同時に、先祖に誇りを持っている。自分の成功があるのはすべて、両親と家族のおかげ。自宅には父が撮った冨士山の写真がたくさん飾ってあり、私も軍にいた1955年に頂上まで登った」
 ーテロの時は航空行政のトップとしてどのような意志で臨んだのか。
 「人種や宗教的な理由で、旅客機への搭乗拒否などの差別を絶対にしてはならないと言った。それは自分が日系人というだけで強制収容された経験があるからだ。差別は未知から起こる。教育が大切だ」
 ー下院議員時代は「市民の自由法」(日系アメリカ人補償法)の成立に力を注いだ。
 「88年にレーガン大統領が法案に署名し、自由と権利を侵害したことを謝罪、損害賠償も実現した。法案提出から10年以上たっていた。多くの日系人の努力のたまもので、感無量だった」
 ー強制収容とはどんなことだったのか。
 「命令から1週間ほどの間にキャンプに移らなければならなかった。11歳の少年にとって飼っていた犬をあきらめるのはつらく、父は農場も仕事も全て失った。温かいサンノゼから北のワイオミングへの移動で、とても寒く、凍えた」
 ー日米関係への期待は。
 「さらに強固に、アジアの近隣諸国に何が起ころうとも揺るがない絆を築くべき。日本は世界有数の経済大国。自信を取り戻してほしい。私にとってルーツであり、偉大な国だが、まだ完全に世界の中で使命を果たしていない」
 ー東日本大震災をどう受け止めたか。
 「世界中が日本を支援する重責を担っている。復興には、日本が正しい決断を積み重ねていくことが重要だ」
 (聞き手=東部総局。川内十郎)
(静新平成24年3月22日朝刊「インタビュー」)
  

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2012年03月16日

岩崎豊(いわざきゆたか)さん

30周年を迎えた沼津市シルバー人材センターの理事長
 岩崎豊(いわざきゆたか)さん(沼津市)

 2008年6月に理事長に就任し、30年の節目を迎えた。72歳。沼津市出身。
 ー30年を振り返って。
 「目指してきたのは、働く意欲を持つ高齢者に頼りがいがあるセンター。270人でスタートした会員数は1300人まで増加し、成長を続けてきた。一方で、契約金額は05年に最高の6億7千万円を突破して以降、現在は約5億円と減少傾向。景気低迷を反映し、厳しい現状もある」
 ー特徴ある活動は。
 「沼津垣の製作販売。伝統技術の継承を目的に1996年にスタートし、年1回技術講習会を開いている。風や海岸からの砂を防ぐ本釆の目的に加え、庭造りの一環で取り入れる家庭もあると聞く。昨年は10件程度の受注があった」
 ー今後の抱負を。
 「定年延長や再雇用の充実など社会の変化もある。会員の入会時期は現在より遅れる可能性もあるが、受け入れ環境の充実に努めたい。来年度は雇用する事業所や利用者、会員の意向を把握するアンケート調査の実施を予定している」
 ◇
趣味は健康づくりの一環で取り組むゴルフ。
(静新平成24年3月16日「この人」)
  

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2012年03月09日

科学技術、教育課題 複眼的思考で解決

文化勲章受章 長倉三郎さん(沼津市出身)
 初の一般書で指南
 科学技術、教育課題 複眼的思考で解決

 文化勲章受章者の科学者長倉三郎さん(91)=沼津市出身、東京大名誉教授日が、初の一般書「『複眼的思考』ノススメー調和が必要な変革の時代を迎えて」(くもん出版)を出版した。「膨張と拡大」の20世紀が残した科学技術や日本の教育などの課題を指摘。物事の両面を見て調和を考える「複眼的思考」での解決の大切さを説く。
 長倉さんは夏目漱石の文明開化論、自らの生い立ちや研究を通して複眼的思考を紹介。科学技術は高度文明を築いたが、一方で人類社会の持続的発展や地球環境を損ないかねないとし、物質面偏重の西洋文明に「足るを知る」という東洋的価値観を導入するなど、東西文明を融合した「調和の文明」への転換を提唱する。
 今後の日本に期待しながらも社会全体の気力低下を課題に挙げ、学校教育の見直しを迫る。リーダーの条件や次世代へのメッセージもつづっている。
 長倉さんは「教育だけでなく経済、政治にも個人と社会の調和が重要。日本人が不得手な複眼的思考を定着させたい」と強調。自分ができなかったことの実現を若者に期待するからこそ社会は発展するーとして若い世代にエールを送るとともに「同時に社会への責任感を」と呼び掛けた。
(静新平成24年3月8日夕刊)
  

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2012年03月07日

 松下宗柏(まつしたそうはく)さん

「ふじのくに留学生支援の会」
代表 松下宗柏(まつしたそうはく)さん(沼津市)

 2月23日の「冨士山の日」に合わせて、母校の東京外国語大などから世界各国の留学生を招き、冨士山周辺や県東部の名所巡り、一般家庭での宿泊体験を提供する「冨士見留学生ツアー」を開いた。赤ちゃんの奉納泣き相撲で知られる沼津市の長興寺の住職。63歳。
 ―なぜツアーを。
 「学生時代から周囲の留学生から見た日本の文化や美意識について考えてきた。富士山の世界文化遺産登録に向けて、いま一度、日本人である自分自身もこの国の魅力を再認識する機会にしたいと思った」
―留学生から感じることは。
「とにかく富士山が見たいという思いの強さに触れ、世界から見た冨士山という存在の大さをあらためて実感した。違う宗教、文化にも接することができ、刺激も大きい」
 ー印象深いことは。
 「留学生から『日本人を信じている』と言われた。東日本大震災からの復興を信じているということ。留学生との交流の場をもっと増やして『ふじのくに』を元気にしたい」
 ◇
来年は、より交流を重視したツアーを計画中。
(静新平成24年3月7日「この人」)
  

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2012年03月02日

平舘亮治さん

平舘亮治さん
 〈テナガエビ〉繊細な味わいと食感

 フランスのコート・ダジュール地方などで経験を積んだ平舘亮治さん(43)がラセール(沼津市)の料理長に就任したのは11年前。開店前には沼津港へ日参するが、秋から春にかけてはトロール漁の獲物が特に楽しみだという。
 「シマエビ、アカエビ、ホンエビー。築地では見ることがないエビばかり」。新鮮な甲殻類は、地元産野菜と合わせて提供する。中でもテナガエビはよく用いる。
 下ゆで後、氷を入れた塩水に取る。「べースの味を決めてしまう。少し塩分を入れることで、甘みが引き立つ」。身の歯応えがふわりとしており、かむと徐々にほどけていく。「味わいや食感が繊細。他のエビにはない要素」とほれ込む。
 頭部や殻は別の鍋で煮出し、「ジュ・ド・クリュスタッセ」(甲殻類のだし)と言われるうま味たっぷりのスープに変身させる。ここにクリームやコンソメなどを加えたムースは、コク深さと軽い口当たりが同居する。
 「今の時期ならカブと相性がぴったり」。ゆでたテナガエビを酢でマリネした赤カブとあえ、なめらかなムースや白カブのピューレなどと一緒に楽しむ。ほどよい酸味とじんわりとした甘みのコントラストが、口の中で際立った。
 ◇
 フランス料理ラセール沼津市大岡日
吉1706の2。〈電0120(007)037〉
(静新平成24年3月1日夕刊)
  

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