2024年12月05日
堀田力氏死去(90歳)
元検事・堀田力さん死去90歳
ロッキード事件を捜査
戦後最大の疑獄とされるロッキード事件で、捜査の中核を担った元東京地検特捜部検事堀田力(ほつた・つとむ)さんが11月24日午前3時25分、老衰のため神奈川県の自宅で死去した。90歳。京都府出身。葬儀は近親者で済ませた。喪主は妻明子(あきこ)さん。後日、お別れの会を開く予定。病気療養中だった。
京大卒業後、1961年検事任官。大阪地検検事、東京地検特捜部検事、甲府地検検事正などを経て、90年に法務省官房長に就いた。
特捜部が76年に田中角栄元首相を逮捕したロッキード事件の捜査では、在米大使館での勤務経験を生かして米国との交渉に尽力した。有罪判決を受けた田中元首相の公判も担当。追及の鋭さから「カミソリ堀田」の異名で知られた。
91年に退官し、福祉事業に転身。社会福祉や教育の分野で国の審議会メンバーを務めたほか、現在の「さわやか福祉財団」を創設し、ボランティア活動の意義を全国に訴え続けた。2020年に閣議決定された検察官の定年延長を可能とする検察庁法改正案に反対し、検察OBが提出した意見書に名を連ねた。
ロッキード事件の捜査を共に担当した元検事総長の松尾邦弘弁護士(82)は、堀田さんの米側の人脈が大きな役割を果たしたと述懐。
「旧来の検察にはない発想を持ち、退官前から時に組織に厳しい意見も言っていた。鋭い視点と広い視野を持ち、尊敬する存在だった」と惜しんだ。
「評伝」政治と一線画す
東京地検特捜部が1976年に田中角栄元首相を逮捕したロッキード事件。今年11月に亡くなった元検事堀田力さんは疑惑発覚後、米国側に証拠引き渡しを求めて交渉した。三木武夫首相(当時)は米側の資料を見たがったが、上司と共に抵抗した。田中元首相に近い政治家にも見せなかつた。「政治的に利用されれば潜行捜査ができず、真相解明に影響が出る恐れがあった」。政治の世界と一線を画した理由を取材にそう語っていた。
「堀田さんだったら、どう考えるだろうか」。董陶を受けた元最高検次長検事の伊藤鉄男さんは、大きな局面を迎えると、その存在が頭に浮かんだ。堀田さんは検事退官後、福祉事業を手がけた。「大きい夢を抱き、実行する人だった。人のために役立つことをしたい、との思いからだろう」
76年2月、米上院の公聴会でロッキード社の航空機売り込み工作が暴露され、ロ社副会長が丸紅専務を通じ「政府高官に献金した」と証言した。
法務省参事官だった堀田さんは米側に証拠の引き渡しを求めることができると主張したが、検察内部からは疑問の声も上がった。その時、東京高検検事長だった神谷尚男さん(故人)が「ここで検察が立ち上がらなければ、今後20年間は国民に信頼されない」と語り、捜査を進める方針が定まった。
「失敗しても現場ではなく自分が責任を取るということ。そうじゃないと下は動けない」。堀田さんはこのエピソードを繰り返し紹介した。あるべき上司の姿として考えていたのだろう。
「出世とは関係なく、目の前のことを一生懸命にやる。国民の感覚を大切にする。権力の行き過ぎた行使にならないように良識を持つ」。堀田さんが話していた検察官のあるべき姿をいま一度かみしめたい。
【静新令和6年12月5日朝刊】
Posted by パイプ親父 at 10:25│Comments(0)
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