2009年06月23日

フェルナンド・ヤマダ氏(山田商会副社長)

フェルナンド・ヤマダ氏(山田商会副社長)
【FERNANDO・TERUO・YAMADA 1954年ブラジル・パラー州ベレン市生まれ。2世。パラー連邦大学建築学部卒。Y・YAMADA財務経営担当副社長。パラー州スーパーマーケット協会会長、全ブラジル同協会副会長、創立以来23年間、父が会頭を務めてきたパラー日系商工会議所も3月に引き継いだ。3児の父。】

 ブラジル大手のスーパー経営
 勤勉、誠実モットーに
 〈Y・YAMADA(日本語名称=山田商会)を知らない人はアマゾンにいない。創業者は、1931年に沼津市からブラジルに移住した故山田義雄さんと長男の純一郎社長(83)。現在、経営の中心を担っているのが純一郎さんの長男で2世のフェルナンド副社長(54)で、日本語こそ話さないが県人子孫であることに強い誇りを持っている。千本の寺には山田家の先祖代々の墓があるという〉
 祖父は沼津で八百屋を営んでいたと聞いています。1980年にはじめて日本に行き、その時に沼津の叔母の家にも寄りました。近くに富士山が見えたのをはっきり憶えています。
 一緒に昼食をとり、祖父の弟にも会い、アマゾンでうまく行っていることが報告でき、同じ家系であることに誇りを感じました。たしかソバをご馳走になりました。
 毎年12月、クリスマスの時期に静岡県人とその子孫が、父の家に集まって懇親会をしています。もう10年以上になり、150人も集まって賑やかですよ。
 〈山田商会はブラジル北部最大のスーパーマーケット網に。来年は創立60周年〉
 成長の秘訣(ひけつ)は、それまで誰も顧客対象にしてこなかった、銀行に口座すらもっていない庶民を信用してクレジットカードを発行したことです。普通は富裕層や中産階級などの社会の上層10%を相手にした商売を考えます。ですが我々は圧倒的多数の庶民を信用することで、絶大な愛顧をいただきました。現在は150万枚発行しており、9割がいわゆる貧困層ですが、全32店舗の総売り上げは約586億円です。小売業としては全国でも13位、7300人を直接雇用しており、間接雇用を入れれば2万人以上です。
 〈ポルトガル語のアルファベットは23文字で「Y」は存在しなかった。アマゾン川河口最大の都市、パラー州都ベレンでも戦時中には、枢軸国側移民に対する焼き討ちまで起きる。戦後わずか5年で創業した時、あえて日本人と分かる店名を付けたのは強い誇りがあったからに違いない〉
 祖父は日本にいたころから講道館で柔道を習っており、コンデ・コマ(前田光世=ブラジリアン柔術の祖)の筋金入りの弟子でした。戦争中に強制収容された時に、愛するアマゾンの風俗や自然を描くことをおぼえました。それが今、クレジットカードのデザインとして使われています。
 あちこちの市長が市民の声を代表して出店の要請にきます。ですから、毎年1店ずつ地方部に増やすことを目標にしています。
 モットーは日本文化の特質である勤勉さ、誠実さです。従業員教育に厳しいことで有名ですから、うちで働いたといえば再就職でも有利なくらいです。
 〈ブラジルで日本移民は"農業の神さま"と呼ばれ、祖父や父が強制収容されたトメアスー移住地は、今では環境に優しい森林農業のメッカとして有名になった。9月には日本人アマゾン移住80周年を迎える。山田家が地域発展の立役者の1人であることに異議を唱える人はいないだろう〉
 日本人の顔をしていれば農業者とみられるので、私を見て「何を栽培しているのか」とよく聞かれます。私は従事したことはありませんが、祖父も父も農業をしてきたので誇りに感じます。この地域では、そこから商業に最初の一歩を踏み出したのが山田家であると自負しています。
 (ニッケイ新聞=サンパウロ=深沢正雪)
(静新平成21年6月23日「人思い」)
  

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2009年06月20日

田鍋友時氏(たなべ・ともじ=ギネス認定の世界最高齢男性)

 男性長寿世界一
 田鍋友時氏(たなべ・ともじ=ギネス認定の世界最高齢男性)
 19日午前5時、慢性心不全のため宮崎県都城市今町7113の自宅で死去、113歳。宮崎県出身。葬儀・告別式は21日午後1時から都城市平江町17の15、ピースフル都城で。喪主は五男本時(もとおり)氏。
 1895年9月生まれ。2006年6月12日に鹿児島市の徳田二次郎氏が111歳で死去したのに伴い日本最高齢男性になった。07年6月には英国のギネス・ワールド・レコーズ社から世界最高齢男性の認定を受けた。
  ◇
 田鍋友時さんが死去したことに伴い、京都府京丹後市の木村次郎右衛門さん(112)が国内の男性最高齢になった。厚生労働省などが発表した。
(静新平成21年6月20日(土)「訃報」)
  

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2009年06月17日

木村保成(きむらやすなり)さん(沼津市)

県土地家屋調査士会の会長
木村保成(きむらやすなり)さん(沼津市)
 土地建物の調査や測量などを代行する土地家屋調査士約620人で組織する県土地家屋調査士会をまとめる。会長は現在2期目。全国の連合会組織で関東ブロック協議会副会長も務める。61歳。
 ー土地家屋調査士の現状を聞かせてください。
 「県内に16支部があるが、どんな仕事か県民に十分に知られていない。土地や建物の登記簿冒頭にある"表題部"を作る仕事で、地図と境界線の専門家という職能を広く理解してもらいたい」
 ーカを入れている事業は何ですか。
 「境界線のトラブルを裁判を経ずに迅速に決着させる静岡境界紛争解決センターを県弁護士会と運営している。また、地震時などに家屋の被害調査や罹(り)災証明の発行に協力する災害協定を県内全市町と締結した」
 ー2期目の抱負を聞かせてください。
 「境界紛争は潜在的にとても多い。百年に一度の経済危機に直面するなかで、県民に必要とされる土地家屋調査士会を目指したい」
 ◇
 夢はお遍路さん。四国八十八カ所霊場を巡りたい。
(静新平成21年6月17日「この人」)
  

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2009年06月16日

 佐野丹丘氏

 佐野丹丘氏(さの・たんきゅう=本名・常光。書家)は十三日午後九時五十二分、急性心筋梗塞のため、入院中の病院で死去した。八十三歳。自宅は高島町二四の一七。


 通夜は十六日午後六時から三島市加茂の「みしま聖苑」、葬儀・告別式は十七日午前十一時から同所で。出棺は午後零時五十分、火葬一時。喪主は妻の孝子さん。
 佐野氏は一九二六年、函南町の曹洞宗の寺に生まれ、旧制韮山中(現韮山高)、静岡第一師範(現静岡大教育学部)、駒沢大文学部社会科を卒業。小・中・高で教鞭を執り、沼津では原小、西高、東高で教壇に立った。また、僧職として三カ寺の住職を務める一方、宗門の要職を歴任した。
 書家としては戦中から故上田桑鳩師に師事。五三年、ニューヨーク近代美術館日本書道展に出品して以降、国内はもちろん、欧米、アジア各国で作品を発表。国際的な書展開催に携わったほか、中国書法家との交流なども行い、海外への書の紹介だけでなく、書を通じて国際交流、国際親善に多大な貢献を果たした。
 東洋書芸院会長、産経国際書会副会長、東洋書人連合理事長、日本尚書連盟会長、書道研究尚友会会長として書の普及に努めるととともに、後進の指導を熱心に続けた。( 県文化奨励賞や沼津市文化功労表彰を受賞。東洋書芸院会長、沼津文化協会初代会長などを務めた。)

 作品は国内外の美術館、博物館、学校、公共施設、永平寺、総持寺などに所蔵されている。
(沼朝平成21年6月16日(火)号)
  

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2009年06月14日

市消費者研究会会長 小野久代さん

市消費者研究会会長 小野久代さん
 城井前会長の後を受け 当面は従前の活動を継続
 市消費者研究会は、このほど開いた総会で役員を改選。今年一月十四日に亡くなった城井不二子会長の後任として、会長代行を務めていた小野久代さん(76)=千本緑町=が二代目会長に就任した。
 城井会長は昭和四十五年に同研究会を組織し、会員と共に食品の安全性や洗剤の安全と環境汚染問題などについて研究し、独自の調査活動と課題解決のための実践を行った。
 小野さんは三十年程前に城井さんに誘われて会員となり、二十年程前に副会長に就任。仲間と共に城井さんをサポートしてきたが、城井さんの死去を受け、会長代行を務めていた。
 小野さんは、「これまではカリスマ性のあった城井さんの下で、ただ安心してついていけば良かったが、活動を継続させていくために頑張りたい」と話し、当面は、これまでの活動を継続していく。
 無添加の安全な加工食品や無農薬野菜などの共同購入については、「自分達が欲しい安全な食品を業者や農家に提供してもらい購入してきた。消費者が、安全な食品を作る生産者を保護する視点も大事で、共同購入だけでなく、安全な食品を各所で紹介して販路拡大にも協力し、信頼関係を築き、互いに支え合ってきた」とし、これまで同様に続けていく考え。
 食用廃油から作られた粉石けん「ぬまづせっけん」の販売は、川口久江副会長の自宅(沼北町二の一四の一三)で毎週水曜日を中心に販売日を設けて継続していく。
 「食用廃油を回収して粉石けんを作り、洗濯などに使う環境保護活動は私達の活動の原点。今は業者が独自に廃油を回収して作っているが、今後も普及を目指していきたい」と語る。
 一方、活動の一環で、県生活学校連絡協議会の一学級として構成する「松の実生活学校」の活動について、「子どもから、お年寄りまでエコ生活の普及促進を図り、特に、幼稚園や保育園の園児には、楽しむ中で環境教育を考えてもらうために製作した、すごろくゲームやカード、紙芝居、人形劇を積極的に使い、できる範囲の活動を続けていきたい」とし、幼稚園や保育園から要望があれば、出向いて行き、環境教育を実践する。
 小野さんは「まずは今まで続けてきたことを継続し、新たな活動は、それから。来年には設立四十周年を迎えるので、記念行事も計画していきたい」と話している。
 共同購入や同協会に関する問い合わせは小野さん(電話九六三ー七〇一二)、ぬまづせっけんについての問い合わせは川口さん(電話九二二ー一四七六)。
(沼朝平成21年6月14日(日)号)
  

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2009年06月11日

須永秀生(すながひでお)さん(沼津市)

短歌の指導、普及に努める
沼津牧水会副理事長 須永秀生(すながひでお)さん(沼津市)
 沼津市の若山牧水記念館の管理・運営を委託されている沼津牧水会の副理事長。短歌の指導者で短歌祭などでは選者を務める。2008年5月までの6年間、県歌人協会会長。
 ー短歌を始めたきっかけは何ですか。
 「若いころから何か創作を手掛けたいという気持ちがあった。当初は児童文学と短歌に取り組んでいたが、少しの時間でも気持ちを表現できる短歌に傾いていった」
 ー短歌の魅力は。
 「自然や人との出会いなどの刺激に積極的に向き合い、自分の中に取り込むことがで
きる。俳句も詠んでいたことがあるが、自分にとっては短歌の方が情を映し出せ、思いが表現しやすい」
 ー小学校で短歌の授業もしているのですね。
 「1時間だけでも取り組み、1首だけでも詠めば経験として残る。短歌のすそ野を広げ意味で大切。作文を嫌がる子どもも短歌なら楽しんで取り組み、素直な作品を詠んでくれている」
 ◇
 定年まで沼津市内で小学校の教諭を務めた。
(静新平成21年6月10日「この人」)
  

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2009年06月10日

杉山次郎氏

県中小企業団体中央会東部事務所長
 杉山次郎(すぎやまじろう)氏(58)

 全力で新支援事業周知
 ー中小企業支援団体の観点から、東部の経済環境をどうみますか。
 「東部を含め、中央会87人の情報連絡員からの景況報告だと、おしなべて売り上げが低下し、収益が悪化している。雇用、資金繰りの厳しさは悲鳴に近い。ただ(中小企業の各)組合の総会などで聞く経営者の声は、厳しさを口にしながらも、『厳しさは前提として何とか乗り切る。経費見直しもすれば、社員教育も進める』と前向きだ。東部地域の経営者の底力を感じる」
 ー東部の活性化をどう支援しますか。
 「全国中小企業団体中央会では、今回の国の補正予算で700億円にのぼる中小企業支援事業を確保した。そのひとつの試作開発支援事業は、試作開発から販路開拓までに必要な人件費、材料費、外注費、委託費、マーケティング調査費まで補助する画期的な予算だ。東部でも中央会が中心になって積極的に周知し、活用してもらう。15日から始まる申請に向けて、説明会や書類申請の支援など作業が集中するが全力を挙げる」
 ー静岡空港開港で県東部や富士山周辺の観光はどう展開すべきですか。
 「空港は東部の観光業が元気になる起爆剤。特に新市場の中国は経済躍進が目覚ましい上に、7月からは個人観光ビザが北京、上海、広州に限り発給される。これをいかに取り込み、誘客を図れるかが観光振興のキーワードとなる。静岡は海外誘客では後発。先行した競合地域に負けない戦略と官民一体の展開が求められる」
【県中小企業団体中央会東部事務所】中小企業連携組織の運営・指導や中小企業の経営指導を行う。傘下組合は東部274組合(全県1042組合)。職員8人。沼津市八幡町
(静新平成21年6月10日「熱き地域人」)
  

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2009年06月05日

井出啓之(いでひろゆき)さん(裾野市)

沼津市体育協会の理事長に就任した
井出啓之(いでひろゆき)さん(裾野市)

 NPO法人沼津市体育協会の副理事長から4月1日付で就任した。沼津のスポーツ振興に全力を傾ける。飛龍高教頭。53歳。
 ー抱負を聞かせてください。
 「体協には38団体が所属するが、結束力を高めたい。老朽化している市民体育館に代わる総合体育館の新設を求め、(県と市が整備を進めている)東部コンベンションセンターの機能充実にも期待したい」
 ー体協はどのような活動を行っていますか。
 「市民の健康増進を目的に、『みんなでラジオ体操』や『狩野川健康マラソン』などを開催している。体協スローガンの『スポーツの香りのする街・沼津』実現を目指している」
 ー沼津市民のスポーツ意識をどう見ますか。
 「スポーツに関心を持つ人は確実に増えていると感じる。体協が開く運動教室の参加人数も多くなってきている。この機運をさらに高め、スポーツ人口拡大につなげていきたい」
 ◇
合気道6段。全国高校合気道連盟の副理事長。
(静新平成21年6月5日「この人」)
  

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2009年06月03日

加藤修一(かとうしゅういち)氏(52)

加藤工務店代表取締役社長
 加藤修一(かとうしゅういち)氏(52)
(【加藤工務店】1972年設立、従業員数26人。公共施設、マンション開発、医療施設などの建設を手掛ける。沼津市で手掛けるPFIは自由ケ丘団地整備事業に続き2件目。本年度、北消防署新庁舎の建設事業に着手する。同市大諏訪。)

 「PFI事業で地域貢献」
 ー県東部の発展にはどんな視点が必要ですか。
 「地域に必要とされる会社であり続ける、という視点。例えば家造りなら、地域の風土や文化を踏まえ、お客さまに近い視点できめ細かな選択肢を提供していく。官庁関係ならPFI(民間資金活用による社会資本整備)事業に積極的に参加すること。先日、沼津市消防本部・北消防署庁舎整備事業をPFIで行う民間事業者の代表として、市と基本協定を結んだ」
 ー実際に携わる立場から、PFIの重要性をどう見ますか。
 「建設工事のみの業務に比べて、市の事業の一部を何年にもわたって担う責任はさらに重い。しかし市は行財政改革の一つとしてPFI事業に取り組んでいるため、それを応援する義務もある。地元企業としては『市の負託に応えたい』との思いから、5年前に関連企業と勉強会を始め、市営住宅自由ケ丘団地の整備事業に続いて今回も、消防庁舎のPFI事業を受託することになった。官民協働の考え方に立つPFI事業を遂行することこそ、地域の発展に貢献できると確信している」
 ー会社経営の観点から、合併は必要ですか。
 「必要だ。5年、10年先の地域のビジョンが見えない現状では、将来展望が描きにくい。合併が推進され、この地域の方向性が明確化することで、活力を取り戻す源になる。将来を見通して考えれば、一つの都市圏を目指す方がベターであることは、多くの経済人の共通認識だろう」
(静新平成21年6月3日「熱き地域人」)
  

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2009年06月01日

佐野主税:アサヒビール名誉顧問(三島市出身)

佐野主税:アサヒビール名誉顧問(三島市出身)
【さの・ちから氏 昭和5年生まれ。三島市出身。沼津中学(現沼津東高)、慶大法学部卒。アサヒビールに入社し、副社長を経て平成2年、アサヒ飲料設立と同時に社長に就任。同社会長、相談役を経て平成16年5月からアサヒビール名誉顧問。大学時代にボート部だった縁で日本ボート協会長も務める。】

"自然保護"の定着期待

 三島というと、水の町として有名です。東海道線三島駅に降り立つと、それにふさわしいしつらえがしてあり、それに続く楽寿園とそこから流れる川はいつも清らかに保たれています。そのためのボランティアによる自然トラスト活動が行われています。
 私は三島市田町の出身でありますが、今では南田町という町名になっています。三島市が南に延びて、中郷村(現在は三島に編入)と接していました。あたりはまさに水の都と言える所で、背景に富士山を仰ぎ、東は箱根連山を見て冬になると風はかなり冷たかったものです。四つ川という冷水が田んぼの間を流れ、先の先に"どんどん"という急流で深い川がつながっていました。そこに飛び込み、泳ぐことは少年たちの誇りであったかと思います。そのあたりを、夏になりますとホタルが舞っていました。何とも言えない、自然そのものでした。
 一方、北の方の街を見渡すと、高層ビルとしては唯一、三島信用金庫の建物のみでした。また、軍都ということで野戦重砲連隊が向き合って2つあり、旅団司令部もありました(現在、日大三島校舎、三島北高、北中等になっています)。
 その広い、練兵場に時に飛行機が飛来し、それを伝え聞いた私たちは跳んで見に行ったものでした。現在は東レ三島工場となっています。
 今まで書いた景色は現在、大きく変わりました。人口は市制ギリギリの3万人から、10万人を超えるまでに膨らんでいます。現在有名になっている柿田川湧水はすぐ近くにあり、付近一帯がまさに水、水、水であったわけです。ここにもボランティアグループがあり、環境運動が行われています。
 本年4月25日、東京三田の慶応大学で毎月1回行われている"あるびよんクラブ"(英国が好きで学ぶ会)において慶大の横山千昌教授の「アメニティとは何か」という講演をうかがいました。
 それによると、イギリスでこの環境問題はどうなっているのかというと、元々主としてイングランドにはコモンズーCOmmOnS(共有地、入会地)ーという制度があり、これが大きく働いているようです。フットパス(公共の散歩道)や盛んなウオーキングにもつながっていて、そのために所番地がなく○○家という表示しか存在しない土地があります。日本のように私権を持てば何をしてもよいということにはならないようです。有名なコツウオルズのウオーキングもその一つとの事だそうです。
 経済発展し、地方都市が変わるのはやむを得ないこととは思いますが、自然保護の考え方はますます重要になってくると思います。わが故郷三島市が市のコンセプトとして、こういうことに深い理解があるのは素晴らしいことです。これからもぜひ、こういう方向で進めていただきたいと思います。
(静新平成21年6月1日「随想・水のうた」)
  

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