2018年08月28日

斉藤滋与史氏告別式

斉藤滋与史氏告別式


 故斉藤滋与史氏功績しのぶ
(富士で告別式)
 建設相(現国土交通相)や県知事などを歴任し、9日に100歳で死去した斉藤滋与史氏の告別式が27日、富士市の葬儀場でしめやかに営まれた。川勝平太知事や小長井義正富士市長、県内選出の国会議員ら県内外の政財界から約千人が参列し、数々の功績に思いをはせながら故人の冥福を祈った。
 参列者は遺影が飾られた祭壇の前で次々と焼香した。安倍晋三首.相からの弔電と大島理森衆院議長からの弔詞も読み上げられた。喪主を務めた養子の斉藤斗志二元防衛庁長官は時折声を詰まらせながら「100歳の誕生日を迎えた日に息を引き取るというまれに見る人生。祝いの品に囲まれて大往生だった」とあいさつした。
 初代富士市長や建設相就任時の様子、知事時代に取り組んだ静岡空港や新東名高速道をはじめとした社会資本整備など、波瀾(はらん)万丈の人生と業績を振り返った追想録が最後に流され、目頭を押さえる参列者の姿もあった。
 告別式後、川勝知事は「偉大なる知事だった」と語り、斉藤元知事の後継を担った石川嘉延さんは「本県の基盤づくりに大きな足跡を残された」としのんだ。小長井市長は「豊かな生活を送れているのは、滋与史さんの功績のたまものだと改めて感じた」と悼んだ。
【静新平成30年8月28日(火)朝刊】

斉藤滋与史氏告別式記事
  

Posted by パイプ親父 at 05:53Comments(0)訃報

2018年08月21日

藤本理稀(よしき)ちゃん

お帰り母の胸に
山口2歳男児退院
 山口県周防大島町で行方不明となり、3日
ぶりに保護された藤本理稀(よしき)ちゃん
(2)が20日、入院先の同県柳井市の病院から
退院した=写真=。病院前で理稀ちゃんを抱
いて取材に応じた母美緒さん(37)は「感謝の
気持ちしかない。無事帰ってきて何より。本
当にありがとうございました」と話した。
【静新平成30年8月21日(火)朝刊】
藤本よしきチャン
  

Posted by パイプ親父 at 09:50Comments(0)時の人

2018年08月10日

斉藤滋与史氏逝去(100歳)



斉藤滋与史元知事死去
100歳 社会資本整備を推進
 国会議員として建設大臣(現国土交通相)などを歴任し、1986年6月から2期目途中の辞任まで知事を務めた斉藤滋与史氏が9日午前7時15分、心不全のため富士市内の病院で死去した。18年8月9日生まれで、100歳の誕生日を迎えた朝だった。富士市出身。自宅は富士市比奈960。通夜、密葬は近親者で行い、後日、告別式を行う。日程は未定。
 大昭和製紙(現日本製紙)の創業者・故斉藤知一郎氏の次男。41年、早稲田大商学部を卒業後、同社に入り、61年副社長に就任。64年、45歳で吉原市長に当選後、2市1町の合併の中心的な役割を果たし、66年初代富士市長に就いた。
 69年、51歳で衆院議員に転じ、田中派に所属。6期務めた。小沢一郎自由党代表や、官房長官などを務めた故梶山静六氏らとは同期だった。鈴木善幸内閣で建設相に就任。82年6月には構造不況で苦しむ大昭和製紙の社長に就き、短期間で再建にこぎ着ける原動力になった。
 86年、県政に転身。4期目を目指した現職の故山本敬三郎氏との自民党公認争いは党内外を巻き込む激しさだった。
 知事就任後は社会資本整備に努め、静岡空港や新東名、中部横断、三遠南信、伊豆縦貫の4路線のほか、日韓共催による2002年サッカーW杯の試合会場になったエコパスタジアムを中心とする小笠山総合運動公園、富士山こどもの国などの大規模プロジェクトに道を開いた。県立美術館の分館であるロダン館の整備を進め、舞台芸術オリンピック誘致や日本一健康づくりにも力を入れた。
 88年秋勲一等瑞宝章を受章。93年6月、2期目の任期を1年残して病気のため知事を辞任した。
【静新平成30年8月9日(木)夕刊】

斉藤元知事死去
 「豪快で繊細」「先見の明」
 人柄や功績しのぶ声
 斉藤滋与史(さいとう・しげよし)元知事の死去を受け、在職当時を知る関係者らは9曰、「豪快で繊細」「先見の明があった」などと故人をしのぶとともに、魅力的な人柄や功績をたたえた。
 =関連記事27面へ
 秘書課長などとして斉藤氏を支えた吉岡徹郎さん(76)は「豪快でいて繊細。厳しいところもあったが、気遣いが細やかで皆に慕われた」と人となりを語った。数日前に入院先を見舞い「まだまだ大丈夫と思ったが、100歳を迎えた朝に生涯を終えるとはあの人らしい」と述べた。知事就任から秘書として仕えた元副知事鈴木雅近さん(75)は「秘書の何たるかから勉強させてもちった。豊富な経験を持ち県政に精通していた」としのんだ。
 斉藤氏の後継を担い、静岡空港建設などを引き継いだ石川嘉延さん(77)は「斉藤氏は30年、50年後を見通す先見の明があった。さまざまな大規模プロジェクトの着地点が見えた段階で職務を引き受けさせてもらい、幸運だった」と話した。川勝平太知事は数々の功績を挙げ「斉藤知事がまいた種の多くが実を結び、県民がその成果を享受している」とのコメントを出した。
 自民党県連会長で国土交通副大臣の牧野京夫参院議員(静岡選挙区)はテレビ局記者だった当時、斉藤知事を取材。「『道路は福祉だ』とよく言われた。その言葉が今、副大臣として生きている」と指摘。自民党の望月義夫衆院議員(静岡4区)は「新東名高速道や中部横断自動車道の建設に先鞭(せんべん)を付けた。庶民の気持ちをよく理解する、党人派の力強い政治家だった」と振り返った。
 27日に告別式
 斉藤滋与史元知事の告別式は27日午後1時半から富士市青島200の1のJA富士市やすらぎ会館で。喪主は養子の斗志二(としつぐ)氏。
【静新平成30年8月10日(金)一面】

斉藤滋与史元知事
弱者救済政治の原点
老練さと激しさ同居
 哀惜 21世紀の大交流時代を見据え、静岡県の社会資本整備に心血を注いだ元知事、斉藤滋与史さんが9日、亡くなった。100歳の誕生日だった。陽気で人をそらさない語り口。市長、衆院議員、知事と長年の政治経験で鍛えた政策面でのツボの押さえどころは絶妙だつた。
 斉藤さんが政界に足を踏み入れたのは「戦争の犠牲になった人々を救済したい」との一念から。4年半の軍隊生活を終えて引き揚げたところ、戦友の3分の2が戦死していた。「懸命に生きようとする遺族を見るにつけ、国が救ってやらねばと思った」
国会では社会労働委員会一筋。中国残留児の肉親捜しが軌道に乗った時は「肉親と再会してパーパ、マーマと抱き合う。こんな感動的シーンがほかにありますか」と、思い出しては涙したことも。
 知事就任後はバブル景気に遭遇。順調な県政運営の下で静岡空港や新東名、小笠山運動公園など大規模プロジエクトの道筋をつけることに意を注いだ。多くは県民の財産となり、現在も利便性向上や産業活性化、スポーツ・文化の振興などの効果を生んでいる。ただ、斉藤県政の積極的な社会資本整備が、その後のバブル崩壊などにより県財政を圧迫した側面もある。
 政治家として節目節目に残した語録に真骨頂を示した。清水市(現静岡市清水区)の火力発電所建設問題では、発電所をかまどに例え、県議会で「かまどを(富士山の見える)玄関口に建てる家がどこにありますか」と"一喝"。国政、地方政治の修羅場をくぐり抜けてきた政治家らしい老練さと気性の激しさを持ち合わせていた。
 知事2期目の任期途中で病に倒れて入院。その後、公務に復帰したものの、体調が優れず1993年6月、辞職を決意した。持論通りの潔い進退だった。
(論説委員長・榛葉隆行)

 地元富士の偉人に哀悼
関係者「大きな存在、残念」
 建設大臣(現国土交通相)や県知事を歴任した斉藤滋与史氏が死去した9日、地元富士市の関係者は郷土の偉人をしのび、哀悼の意を表した。
 斉藤氏は旧吉原市長として2市1町の合併を実現。初代富士市長として市繁栄の基盤づくりに尽力し、2006年には富士市名誉市民の称号が贈られた。小長井義正市長は「故人が残された礎のもと、さらなる富士市の発展に努めていくことが、遺志にかなうことだと強く感じている」とコメントした。
 吉原市長時代から市職員として50年以上の親交があった富士市町内会連合会の小出礼節会長(78)は、訃報を聞いて言葉を失った。「当時の市長公室に配属された入庁1年目の年に、市長になられた。新しい富士登山道の発掘のため、一緒に歩いたことも。結婚式では仲人もしていただいた」と振り返り「非常に優しく、『大企業の創業一族』とは思えないほど温かい方だった」と悼んだ。
 大昭和製紙(現日本製紙)の副社長を務め、吉原商工会議所の会頭として地域産業の振興もけん引した。富土商工会議所の牧田一郎会頭は突然の悲報に驚き「地域にとって大きな存在だった。とても残念だ」と語った。
 日本製紙広報室は「突然の訃報に接し、大変鷲いております。ご冥福をお祈りいたします」とのコメントを出した。
(富士支局・塩見和也、船田枝里)

 ロダン館建設道筋
 9日亡くなった元知事の斉藤滋与史は、フランスの彫刻家オーギュスト・ロダンの作品を展示する県立美術館の分館「ロダン館」〔静岡市駿河区)の建設に道筋を付けるなど、本県の文化振興に貢献した。
斉藤氏は知事在任中、仏ロダン美術館に親書を送るなどし、傑作とされる「地獄の門」のこうにゅうに尽力。実兄で美術品収集家として知られた故斉藤了英氏からも「考える人」の寄贈を受け、収蔵作品の充
実に努めた。知事退任後の94年に開館したロダン館は、世界有数のロダン作品展示施設として親しまれている。
県立美術館の木下直之館長は「ロダン館実現にご尽力いただいた。ご冥福をお祈りします」と悼んだ。
【静新平成30年8月10日(金)27面】

  

Posted by パイプ親父 at 13:38Comments(0)訃報