2022年01月21日

伊豆石文化探究会の会長を務める 剣持佳季(けんもちよしき)さん

伊豆石文化探究会の会長を務める
剣持佳季(けんもちよしき)さん(長泉町)
剣持佳季さん

 伊豆半島などで採れ、江戸」昭和初期に建造された建物に多く使われた伊豆石の研究と広報に取り組む。昨年11、12月には沼津市戸田で研究成果を紹介するパネル展を企画した。静岡市清水区出身。27歳。
 ー研究するきっかけは。
 「生まれ育った清水区で毎日、伊豆石の蔵を目にしていた。長野県での大学生活で、昔ながらの建物には石が使われていないことに気づいた。文化の違いを感じ、調べ始めた」
 ー伊豆石の魅力は。
 「研究が進んでおらず分からない部分が多いことにひかれる。石切り場は人工物とは思えないほど巨大なスケールで迫力がある。伊豆石が用いられた宮廷建築は、西洋の技術と調和していて見た目もおしゃれ」
 ー探究会の活動内容は。
 「会員約30人が聞き取りや文献の調査などを行う。県東部を中心に500棟以上の石造建築の分布を明らかにした。西部と中部では保存活動を支援している」
 ー今後は。
 「研究成果を発表していきたい。伊豆石は江戸城などに使われ、明治期には西洋風石造り建築の普及を支えた。激動の時代の日本を伊豆石で救おうとした人の思いが伝わっていないのが歯がゆい。価値を広めることで、建物の解体が進む現状を変えたい」
 ◇
 大学時代は西洋音楽史を研究。ビオラもたしなむ。(東部総局・山本萌絵佳)
【静新令和4年1月21日(金)朝刊「この人」】
  

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2022年01月21日

ウエブで 「ぬまスポ」を手掛ける 杉浦希未子(すぎうらきみこ)さん

ウエブで 「ぬまスポ」を手掛ける
杉浦季未子さん
杉浦希未子(すぎうらきみこ)さん(沼津市)
 ウェブで沼津市のスポーツに関する情報を発信するローカルメディア「ぬまスポ」を8月に始めた。陸上や球技、水泳をはじめ幅広い人材発掘に努める。自身も陸上短距離の選手としてインターハイと国体に出場、今は地元の陸上クラブで指導する。子育て支援も担う株式会社「tasuki」代表取締役。42歳。大阪市出身。
 ーぬまスポの特徴は。
 「世代や競技を問わずに取り上げている。『地元にこんな選手がいるんだ』と多くの人に知ってもらいたい。地元のスポーツイベントも発信している。とにかくスポーツに携わりたくて始めた。読んでくれる人も楽しんでくれれば」
 ースポーツを通じて沼津市を盛り上げたいという思いも。
 「新聞やテレビで取り上げないローカルな情報を紹介し、スポーツに関心を持ってもらったり、始める人が増えたりすれば」
 ースポーツの良さは。
 「自分の限界を知ることと、自分を信じる力が身につくこと。どの世界にも通じることと思う」
 ーぬまスポを軸とした事業の今後は。
 「沼津で育った選手が就職で戻ってきて、選手や指導者として活躍できる環境を少しずつ整えたい。地元企業と連携できれば」
 ◇
 有望株として陸上長距離の地元中学生に熱視線。(東部総局・高橋和之)
【静新令和4年1月20日(木)朝刊「この人」】
  

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2022年01月21日

2022年01月13日

庄司清和氏 死去


庄司清和氏 死去
庄司清和氏
 82歳 米久創業、時之栖会長
 大手食肉メーカー米久の創業者で、県内で観光・レジャー施設を展開する時之栖会長の庄司清和(しょうじ・きよかず)氏が12日午前1時25分、誤嚥(こえん)性肺炎のため、御殿場市内の病院で死去した。82歳。裾野市出身。通夜は15日午後6時から、葬儀・告別式は16日午前9時半から裾野市御宿307の4、セレモニーホール裾野平安会館で。喪主は妻良子(りょうこ)さん。=関連記事28面へ
 東京農大畜産科卒。1965年、沼津市で食肉加工の米久食品(現・米久)を個人創業し、69年に法人化。主力どなるソーセージの生産を始め、業界初の生ハム専用工場を新設するなど、事業を拡大させた。96年には東証1部上場を果たし、天手メーカーの地位を確立した。
 94年には御殿場高原ホテル(現・時之栖)を設立し、いち早く地ビールの製造に乗り出した。97年に大手スーパーのヤオハンジャパンが倒産した際には、自身が保有していた米久株を売却し損失補填(ほてん)に充てた。
 2000年に米久会長を退き、時之栖の経営に専念。御殿場高原時之栖をホテルやレストラン、サッカー場、ノ温泉・物販施設などを備える県内随一の複合レジャー施設に育て上げた。観光客に加え、スポーツ合宿の受け入れを積極的に進めた。
 浜松市北区のはままつフルーツパークの指定管理を担い、富士市の大学跡地に複合型スポーツ施設「エスプラットフジスパーク」をオープンするなど、県内各地で誘客に貢献した。
 県障害者スポーツ協一会の初代会長も務め、誰もがスポーツを楽しめる環境づくりに尽力した。
 庄司清和氏死去
 豊かな発想楽しさ創出
 県内関係者功績しのぶ
 12日に82歳で亡くなった時之栖会長の庄司清和氏。豊かな発想力で事業を拡大し、同社を有数のリゾート企業に育て、地域経済にも大きく貢献した。関係者から功績や人柄をしのぶ声が相次いだ。
 本社のあるリゾート施設、御殿場高原時之栖(御殿場市)は広大な敷地に飲食店やスポーツ施設、美術館などを備える。1995年
のオープン当初はホテル2棟と売店だけだったが、庄司氏のアイデアを基に拡張を繰り返した。冬のイルミネーションは風物詩として定着。年間利用者数は推定180万人に上る。
 庄司氏は整備や改修をする現場に連日、足を運び、ある日、思い立ったように指示を出した。椅子やテーブルのデザインに至るまで細やかに。施設内で飲食店を運営するイベント企画会社社長の勝亦秀行さん(68)=同市=は「年を重ねても考え方が柔軟、おしゃれだった」と振り返る。 会うたびに「お客さんを楽しませているか」と言葉を掛けられ、「もうかっているかとは絶対に聞かなかった。客を大切にしていた」という。「コロナ収束後にどんなアイデアを出すか見たかった」と惜しんだ。
 同市の勝又正美市長は「御殿場高原時之栖は御殿場になくてはならない施設。市内経済も恩恵を受けている」と謝意を示した。
 米久も、個人創業から一代で県内を代表する食品メーカーに押し上げた。現役の役員や幹部に薫陶を受けた”教え子"は多い。本社従業員の誕生日を覚え、毎年、声を掛けることを忘れない気遣いの人でもあった。同社生え抜きの堀内朗久社長は「教えを胸に刻み、『感動を創る』という創業精神をしっかりと受け継いでいく」と誓った。
 石川嘉延前知事の1期目から後援会幹部を務め、県内観光の振興の面からも県政を支えた。石川前知事は「現代でいうベンチャーであり、一代で事業家として成功された。教わることが多く、亡くなられたことは残念でならない」と悼んだ。
 「はままつフルーツパーク時之栖」(浜松市北区)の指定管理を時之栖に委ねている同市の鈴木康友市長は「手腕を当施設でも生かされ、感動を与えるレジャー要素で年闇約30万人を迎えるまでに再生できた」と、感謝と哀悼の意を表した。
 県経営者の中西勝則会長は「希代の起業家として生涯をかけて夢を追い続ける姿は、多くの経宮者の胸に刻まれた」とコメント。県商工会議所連合会の酒井公夫会長は「数々の独創的かつ先駆的な取り組みを行った経営者であり尊敬していた」。スズキの鈴木修相談役は「地に足が着いた、きめ細やかな経営をされた」と語った。
【静新令和4年1月13日(木)朝刊】
  

Posted by パイプ親父 at 11:49Comments(0)訃報