2010年10月28日

王貞治さん

 王貞治さん元プロ野球選手・監督
 野球への情熱変わりなく


 現役時代に「世界の本塁打王」として活躍し、一本足打法でプロ野球歴代最多の868本塁打を放った。「思いもよらなかった。プロ野球で一生懸命にやってきた人の代表として、たまたまわたしが認められたと思う」。謙虚に喜びを表現した。
 2008年限りで監督を退いたが、現在もソフトバンク球団の会長を務めるなど野球に対する情熱は変わらない。「55年の長きにわたって野球とかかわってきた。野球の楽しさ、素晴らしさが私を野球一筋に打ち込ませてくれた」。球団編成部門の事実上トップを務め、夏の甲子園大会などのアマチュア野球の現場にも足を運ぶなど"背広組"としてチームを支えている。
 野球を全世界に普及、発展させるために「世界少年野球大会」の開催を提唱し、1990年から野球教室などの実施に取り組んできた功績も高く評価された。「自分が知っている範囲のことは伝えたい。志す人にとって夢のある野球界でなくてはならない」。熱く語る表情は生き生きとしていた。
(静新平成22年10月26日夕刊)

  

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2010年10月28日

 吉永小百合さん 女優

 吉永小百合さん 女優
 幅広い演技ファン魅了

 文化功労者に選ばれた女優の吉永小百合さん(65)は、1957年のデビュー以来、百本を超える映画に出演。「サユリスト」と呼ばれる熱烈なファンを獲得してきた。
 「キューポラのある街」「愛と死をみつめて」などの青春映画から、女の情念を表現したドラマ「夢千代日記」や「おはん」「映画女優」、最新作「おとうと」まで、数々の作品で見せた幅広い演技が評価された。
 吉永さんは事務所を通じ、「映画人として大変うれしゅうございます。はじめは何も分からず映画の世界に入りましたが、先輩やスタッフの方たちに励まされ、導かれて、50年の歳月がたちました。映画づくりを共にしてきた皆さまに今、本当に深く感謝しております。そしてこれからも、年を重ねながら映画俳優として大好きな道を少しずつ歩いていきたいと願っております」とコメントした。
(静新平成22年10月26日夕刊)
  

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2010年10月28日

塚脇 洋(つかわきよう)氏(48)

 沼津東急ホテル総支配人
 塚脇 洋(つかわきよう)氏(48)
 商店街盛り上げ後押し



 ーホテル業界を取り巻く県東部の現状は。
 「低価格帯のホテルが増え、全体の供給数は増加した。景気悪化も相まってビジネス客の需要は伸び悩み、客室ビジネスは依然厳しい状況。日帰り圏内の都心からの観光客の囲い込みが重要。ブライダルビジネスでは、沼津・マリーナや沼津御用邸を活用した結婚式プランなどホテル稼働率を上げるため、地域の特性を生かした独自の取り組みが大切」
 ー外国人観光客など新たな顧客開拓の展望は。
 「中国や韓国などからの観光客数も徐々に増加している。富士山を一望できる景色はもちろん、沼津魚市場でマグロなどの競りを間近で見学できるツアーは大変な人気を博した。観光資源が豊富な県東部の可能性を強く感じた。料金設定や国家間の関係が客足への影響を受けやすい分、二ーズや情勢をしっかり見極めていきたい」
 ー県東部の活性化に重要なことは。
 「沼津市内の商店街の会合などに参加し、市民の"沼津を盛り上げよう"という意識の高さを肌で感じた。大規模なイベントは難しくても、特産品を生かしたB級グルメの開発など地道な取り組みが大切なのでは。港も巻き込んだ商店街の活性化が町の元気につながる。花火大会や祭りなど人々を引き付けるイベントにも積極的に参加していきたい」
 【沼津東急ホテル】1997年開業。客室は全136室で、宴会場やレストラン、チャペルを備える。平日はビジネス、週末はレジャーを中心に利用客を獲得している。沼津市上土町。
(静新平成22年10月27日「熱き地域人」)
  

Posted by パイプ親父 at 11:59Comments(1)熱き人たち

2010年10月21日

沼津商議所 新会頭市川篤氏

 沼津商議所 新会頭に市川氏



 副会頭は3氏新任
 今月末で任期満了を迎える沼津商工会議所の次期正副会頭人事が20日、内定した。後藤全弘会頭(78)=ゴトー相談役=は退任し、新会頭に市川厚副会頭(76)=石川建材工業相談役=を起用する。
 副会頭は3氏が新任。28日の臨時議員総会で正式決定する見通し。
 市川氏は沼津市出身。1990年から2006年までの同工業社長時代には建築資材の販売からビル内装工事へと方針転換する経営革新を進めた。04年から2期連続で副会頭、今期は筆頭副会頭を務める。
 後藤氏は07年に会頭に就任し、1期の間、新商議所会館の建設決定や、国の認定を受けた市中心市街地活性化基本計画案の審議、07年に発足した県東部地域コンベンションビューローの設立に尽力した。中心市街地活性化策に精通していることもあり続投を求める声もあったが、自身の年齢などに配慮して固辞したとみられる。
 市川氏の会頭就任に伴い宇野統彦副会頭(65)=桃中軒社長=が筆頭副会頭に昇格、副会頭には岩崎一雄氏(70)=イワサキ経営グループ代表取締役=、秋元一寿氏(63)=秋元水産代表取締役=、山中利之氏(63)=山中兵右衛門商店代表取締役=の3氏が新たに就く。現副会頭の石橋昭彦副会頭(72)=イシバシプラザ社長=は退任する。
(静新平成22年10月21日朝刊)


 新会頭に市川厚氏を承認
 商議所定例常任委で次期役員
 沼津商工会議所は二十日、定例常議員会を開き、後藤全弘会頭が一期三年の任期満了とともに退任し、市川厚副会頭(76)の新会頭就任を承認した。二十八日開催の議員総会に諮る。
 常議員会で後藤会頭は「思い残すことなく退任させていただくことになった。商工会議所のあるべき姿を模索しながら、いろいろな事業をさせてもらったが、大過なく会頭職をまっとうできたのは皆さんのおかげ」とあいさつした。
 市川副会頭は、昭和二十七年に沼商卒。長崎屋勤務を経て三十一年、石川木材工業(現石川建材工業)入社。四十八年、同社取締役、平成二年に社長、十八年から相談役。
 商議所では十一年から十六年まで建設業部会長、十六年に副会頭、十九年から筆頭副会頭。
 副会頭は、宇野統彦桃中軒社長の留任のほか、岩崎一雄イワサキ代表、秋元一壽秋元水産社長、山中利之山中兵衛門商店社長の新任を承認した。
(沼朝平成22年10月21日号)
  

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2010年10月14日

ルイス・ウルスアさん

ルイス・ウルスアさん
リーダー「最後の1人」、全員生存の功労者

 【コピアポ=浜砂雅一】33人の作業員の「最後の1人」として救出されたルイス・ウルスアさん(54)は、カプセルから69日ぶりの地上にゆっくりと一歩を踏み出した。
 地底生活で弱った目を保護するための黒いサングラスをかけ、笑みを浮かべながら、出迎えたピニェラ大統領らとしっかり抱き合った。
 大統領が「素晴らしいチームリーダーだった」とたたえると、ウルスアさんは「救助隊員に感謝します。チームのみんなを誇りに思います」と語った。首にチリ国旗を巻いたウルスアさんを囲んで、鉱山の男たちが歌う野太いチリ国歌が現場に響いた。
 ウルスアさんは、8月5日の落盤事故で閉じ込められてから同22日に生存確認されるまでの17日間、避難所に備蓄されていた数日分の食料や牛乳の配分を決め、全員の生存につなげた最大の功労者だ。48時間ごとに「スプーン2杯分のツナ、ミルク1口、ビスケット1枚」で食べつなぐ配給を決め、坑内のトンネルを寝室や食堂などに区切り、集団生活に欠かせない規律を確立した。
(2010年10月14日11時47分 読売新聞)
  

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2010年10月14日

チリ落盤奇跡の生還

 「チリ落盤12人生還」
全員救出作業続く きょう完了の見通し










 【コピアポ共同】チリ北部コピアポ郊外のサンホセ鉱山落盤事故で、地下約700㍍に閉じ込められていた33人の作業員のうち、フロレンシオ・アバロスさん(31)が13日未明(日本時間同日午後)、救出用カプセルで地上に引き上げられ、8月5日の事故発生から69日ぶりに生還した。救出作業は夜を徹して続けられ、13日午前までに12人が助け出された。
(静新平成22年10月14日(木)朝刊)

  

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2010年10月07日

鈴木章・根岸英一名誉教授ノーベル化学賞受賞

「日本人2氏ノーベル化学賞」
鈴木・根岸氏有機化合物合成
 製薬、電子産業に応用
























































































































 【ストックホルム共同】スウェーデンの王立科学アカデミーは6日、2010年のノーベル化学賞を、製薬や電子産業などの幅広い分野で使われる有機化合物の合成技術を開発した鈴木章・北海道大名誉教授(80)と、根岸英一・米パデュー大特別教授(75)、リチャード・ヘック米デラウェア大名誉教授(79)の3人に授与すると発表した。
 授賞理由は「有機合成におけるパラジウム触媒クロスカップリング反応」。炭素の原子は安定しており原子同士を結合させるのは難しいが、3氏は金属のパラジウムを触媒に使い結合に成功。医薬品や液晶などの複雑な有機化合物を簡単に作る方法をそれぞれ開発し、有機化学の発展に貢献した。
 日本人の受賞は08年の益川敏英・京都大名誉教授ら4人以来、2年ぶりの快挙で、化学賞では下村脩・米ボストン大名誉教授に続き計7人に、ノーベル賞全体では計18人となる。鈴木氏は北海道大の記者会見で「名誉ある賞をいただけてうれしい」と語った。根岸氏はスウェーデン王立科学アカデミーの記者会見に電話で「ノーベル賞を夢見ていた。とても幸せだ」と述べた。
 3氏の方法は、1個のパラジウム原子で複数の炭素原子が出合い、化学反応が進んで大きな分子が合成される。根岸氏と鈴木氏の反応原理は基本的には同じで、パラジウムに加えて根岸氏は亜鉛、鈴木氏はホウ素を用いるのが特徴。根岸氏の方法は1977年に発表、鈴木氏はさらに幅広い実用につながる方法を79年に発表した。「根岸カップリング」「鈴木カップリング」の名で知られている。
 ヘック氏の反応原理は2氏とは異なるが、医薬品製造などに利用されているという。3氏の方法が広がるまでは、複雑な有機化合物を合成するには不要な副産物がたくさんできてしまう問題があった。
 授賞式は12月10日にストックホルムで開かれ、賞金1千万クローナ(約1億2千万円)を3氏で分け合う。

 非常にラッキー
 鈴木章・北大名誉教授の話 
図らずも名誉ある賞を受賞できることを非常にうれしく思う。北大の多くの同僚や学生の一生懸命で真摯(しんし)な努力のたまものだ。研究者は社会に貢献するような研究をしたいと思っているが、考えてもできない。それをできたのは非常にラッキーだった。
 夢が現実に
 根岸英一・米パデュー大特別教授の話
 恩師が8年前、わたしと鈴木さんの2人をノーベル賞にノミネートしたいと話してくれた。やってきたことを認められても不思議ではないと思った。夢が現実になった。ノーベル賞は、おとぎ話のような存在だった。
(静新平成22年10月7日朝刊)
  

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