2020年12月15日

矢田凡久氏「訃報」

 矢田保久(凡久)氏
(やた・やすひさ=遠藤三郎元建設大臣秘書)は12日、老衰のため上土町の自宅で死去した。105歳。
矢田凡久氏

 通夜が15日午後6時、葬儀・告別式が16日午前11時半から下香貫上障子の沼津平安典礼会館本館で行われる。喪主は長女の杉本万千さん。
 矢田氏は小山町出身。旧制沼中(現・東高)29回卒。書店などの勤務を経て、当時の衆院静岡第二選挙区選出の遠藤代議士(故人)の秘書を務め、現在の自民党幹事長二階俊博氏らの育成にも携わった。
 後、首都高速公団調査役として首都高建設、沼津市の原精一市政で企画部長を務め、御用邸払い下げ、東海大学誘致などにかかわった。
 字画の関係から「凡久」のペンネームで「やすひさ」を名乗ったが、「ぼんきゅう」として通り親しまれた。
【沼朝令和2年12月15日(火)号】


矢田保久氏死去
105歳、元建設相元秘書
 故遠藤三郎元建設相の秘書を務めた矢田保久(やた・やすひさ)氏は12日午後5時51分、老衰のため、沼津市上土町の自宅で死去した。105歳。小山町出身。通夜は15日午後6時から、葬儀は16日午前11時半から沼津市下香貫上障子402の1の沼津平安典礼会館本館で。喪主は長女杉本万千(すぎもと・まち)さん。
 矢田氏は1953年から長年にわたって、旧衆院静岡2区選出の遠藤氏の秘書を務め、後輩秘書だった二階俊博氏(現自民党幹事長)らを育てた。沼津市企画部長も務め、沼津御用邸の市への移譲に関わった。
 政治の舞台裏活躍
 12日に105歳で死去した矢田保久さんは、東名高速道や狩野川放水路の建設に尽力した故遠藤三郎元建設相を秘書として支えた。「不正を嫌い、清貧」「やると決めたら諦めずに必ず成し遂げる」。関係者は矢田さんの人柄や功績をしのんだ。矢田さんは遠藤氏と同じ旧制沼津中(現沼津東高)出身。後輩秘書の土屋孝男さん(73)=沼津市=は「遠藤先生とはあうんの呼吸で縁の下の力持ちだった」と振り返る。矢田さんは自民党の二階俊博幹事長の活躍を期待していたという。
 大中寺(沼津市)の下山光悦住職(73)は矢田さんと親交が厚く、沼津御用邸移譲の経緯などを郷土誌に掲載した。「軍人として二・二六事件を、秘書として政治の舞台裏を目撃した。まさに歴史の生き証人。どの話も印象的だった」と悼んだ。
【静新令和2年12月15日(火)朝刊】
  

Posted by パイプ親父 at 05:18Comments(0)訃報