2011年07月29日

関口昌男(せきぐちまさお)さん(三島市)

 創立50周年を迎えた沼津史談会長
 関口昌男(せきぐちまさお)さん(三島市)

 郷土の歴史や文学などの調査・研究活動を展開し、今年で創立50周年を迎えた沼津史談会。一昨年度から会長に就任し、5月には周年記念の講演会も開催した。76歳。
 ー半世紀という節目の年を迎えた。
 「設立以来、貴重な郷土の歴史や文化を発掘して顕彰し、会誌に成果を発表してきた。自分自身も高校教諭や大学講師の傍ら、20年以上の会員として国文学を研究し、書いてきた喜びがある」
 ー周年の講演会は思想家の西周を取り上げた。
 「近代日本の礎を築いた沼津ゆかりの偉人の一人だが、認知度はまだまだ低い。沼津香陵ライオンズクラブとの共催で実施することで、より多くの人が関心を持つ良い機会になった」
 ー史談会が抱える課題や今後の展望は。
 「会員数は現在100人を割り込み、ピーク時の3分の1にまで減少している。沼津市史や拓本について学ぶ主催講座などを整備・充実し、広く興味を持たれる努力を進めていきたい」
 ◇
県歌人協会長。県立東部看護専門学校の非常勤講師も務めている。
(静新平成23年7月29日「この人」)
  

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2011年07月26日

飯田陽子氏沼津商議所女性会会長

 沼津商工会議所女性会長
 飯田陽子さん(沼津市)

 沼津商議所の女性会副会長を通算6年担い、ことし5月から現職。飯田鉄工の経理担当、60歳。
―女性会は何を目指すか。
 「沼津の活性化がわたしたちの目的、異業種組織であるため、いろいろな経験やアイデアを持っている。女性の視点、母親の視点を加えて温かで元気な街をつくりたい、そのためにも会員全体で知恵を出し合い感性を磨き合う組織でありたい」
 ―どんな事業に取り組むか。
 「木曽有の大災害があったことしはまず、『絆』と『沼津の防災」をテーマにした。市長とも意見交換をする。いまできること、すべきことに真剣に目を向けたい。前会長が始めた資源再利用の啓発・実践も継続する」
 ー好きな言葉は。
 「和。調和であり、平和である。女性会に限らず、誰もが素晴らしい何かを持っている同じ目的に向かい、その力を発揮できれば、これほど素晴らしいことはない。

 高校時代はボート競技に明け暮れ、現在は始めたばかりのゴルフを楽しむ。
(静新平成23年7月23日「この人」)
  

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2011年07月19日

ニコラ・フォルミケッティさん

 世界的服飾家 ニコラ・フォルミケッティさん
 ルーツは沼津 母の古里で幼少期

 沼津市に生まれ育ち、世界の最前線で創作に励む男性がいる。ニコラ・フォルミケッティさん(34)。2009年からファッション・ディレクターとして米国の歌手レディー・ガガの華やかな舞台を支える。昨年はブリティッシュ・ファッション・アワードでイザベラ・ブロウ賞に輝き、トップクリエーターの称号を得た。ファッションの高みを追求するニコラさんは、同時に「いつになっても僕のホームタウンは沼津」と、故郷を気遣っている。
 ユニクロのファッション・ディレクター、雑誌「ヴォーグ・オム・ジャパン」のクリエイティブ・ディレクターを務め、プラダ、アディダス、リーバイスなどのコンサルタントにも当たるニコラさんは、1977年、イタリア人の父と日本人の母の間に生まれた。沼津第五小を卒業後、中学生活をロンドン、高校生活をローマで送った。
 ファッションの道を志したのは北ロンドン大在学中。専攻は建築だったが、ロンドン市内の著名セレクトショップで修業の機会を得たのをきっかけに、アパレルの世界に飛び込んだ。
 ニコラさんの服飾の原点は沼津市にある。同市出身の母は長年、イタリア製品をメーンにしたブティックを経営する。「幼い時から身近に洋服があり、それを扱う母のセンスに憧れていた。ファッションのルーツは母」と語る。
 現在は自宅があるニューヨークと欧州を飛び回る多忙な日々。毎月1回、ユニクロの打ち合わせやヴォーグの撮影で来日する際は、可能な限り沼津に寄る。わずかな時間でも、両親、弟との会話を大切にする。
 「残念ながら、以前より街に活気がない」。ニコラさんは今の沼津をこうみる。だが、嘆くだけではない。
 「山、海、川と街が接している沼津のような都市は世界でも希少。ローマやロンドンが素晴らしいのは歴史、風土を大切にしているからであり、沼津もこの環境と伝統を大切にしながら新たな挑戦をすれば、魅力を増やせるはず」
 トップクリエーターは12歳までを過ごした街の潜在力を信じている。
【静新平成23年7月19日(火)夕刊】
  

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2011年07月10日

長井長義さん

長井長義(ながいながよし)さん
ぜんそくの特効薬 漢方薬から化学式導く
 日本薬学の父と呼ばれ、薬学研究者らでつくる「日本薬学会」初代会頭をつとめた長井長義(ながいながよし)さんは、ぜんそくの特効薬として世界中で使われている「エフェドリン」の発見者です。
 有機化学の専門家で、同学会の前常任理事平井功一(ひらいこういち)さんは「わたしたち研究者にとって、超伝説的な人」と評します。
 幕末の徳島藩に仕えた医師の家に生まれた長井さんは、誕生間もない明治政府の第1回国費留学生としてドイツに渡り、約13年間、有機化学を学びました。
 1884年帰国。東京帝国大(現・東大)教授や大日本製薬合資会社(現・大日本住友製薬)技師長などに就いていた長井さんは、翌85年に、古くから漢方薬として使われていた「マオウ」と呼ばれる植物からエフェドリンを分離し、分子構造を突き止めて化学式を決定、人工的な合成にも成功しました。
 ただし、気管支ぜんそくの発作を抑えるなどの効果があることは、さらに40年近くたった1924年に海外の研究者が明らかにしました。
 これを機に27年、名前にちなんだ気管支拡張・せき止め剤「エフェドリン『ナガヰ』」が発売され、今でも一般のかぜ薬などに改良型のエフェドリンが入っています。
 平井さんは「化学式が正しいか、簡単に確かめられなかった時代の成果ですごいことです。エフェドリンの化学構造は基本的なもので、これを基に改良や薬効のメカニズムの解明など、その後の化学研究につながっていきました」と話します。
 故郷の徳島大薬学部が中心となって製作された、半生をえがいた映画「こころざし」が今年3月に完成したばかりです。
【静新平成23年7月10日(日)「発明発見伝」】
  

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2011年07月09日

富士通の山本正已社長

富士通の山本正已社長
 富士通社長本社来訪


 「スパコン世界一」 ソフト開発、沼津を拠点に
 富士通の山本正已社長は8日、静岡市駿河区登呂の静岡新聞放送会館を訪れ、松井純静岡新聞社・静岡放送社長と懇談。沼津工場でシステム検証やソフトウエア開発を行った次世代スーパーコンピューター「京(けい)」が世界のスパコンランキングで7年ぶりに1位となったと報告するとともに、同工場のソフト開発環境(サーバー)を将来、外部にも開放する考えを明らかにした。
 沼津工場は8万個もの中央演算処理装置(CPU)を並べた「京」を実際に作動させて性能を検証した。スパコンではCPUの効率は5割程度とされているが、京は93%の高効率を引き出すことができたという。山本社長は「沼津工場は非常に重要な役割を果たした」と述べた。
 富士通は2010年度までに、国内外の拠点に分散していたソフト開発環境を沼津工場に集約して仮想環境を構築。「沼津ソフトウェア開発クラウドセンター」として、同社やグループのソフト開発者が、開発中のソフトが実際に動くかどうかを検証している。
 山本社長はこうした開発環境を自社以外にも開放すると述べ、「沼津を日本のソフト開発拠点として、世界に誇れる優れたソフトを発信してもらいたい」とし、センターの機器を増強していく考えも示した。
 福島第1原発事故に伴う電力不足に関しては、これまで緊急用だった沼津工場の自家発電機を24時間体制で経常的に動かし「節電に有効活用する」と説明した。
【静新平成23年7月9日(土)朝刊】
  

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2011年07月07日

坂田泉(さかたいずみ)さん

坂田泉(さかたいずみ)さん
海岸に地上絵を制作する「町かどアーティスト」
 坂田泉(さかたいずみ)さん清水町伏見

 沼津市の千本浜海岸をキャンバスに、その場にある石のみで20~30㍍級の石の地上絵を制作する芸術家。「町かどアーティスト」として、アートと地域の融合による活性化や観光資源開拓の可能性を模索する。58歳。
 ーどんな作品か。
 「20年近く前から海岸で富士山と竜や日の丸、ハートやヨットの絵柄を色違いの石を組み合わせて描いている。その場にある石をそのまま使い、加工や着色はしない、他から持ち込まない、持ち出さないがモットー」
 ー石の地上絵の魅力は。
 「制作に必要なのは、海岸の石を1個ずつ運ぶ人の手のみ。デジタル全盛の対極にある原始的なアナログ作業と、汗をかく芸術が面白い」
 ー制作の目的は。
 「沼津の長い海岸線を生かした観光名所が制作費ゼロでできるか実験する意味がある。海岸アートを見るためだけに、県外から訪れる人もいる。若手の市職員も制作に協力してくれ、その可能性に期待している」

趣味はサッカー観戦。フットサルで石を運ぶ体力を鍛える。
【静新平成23年7月7日(木)「この人」】
  

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2011年07月01日

原の岡本・鶴淵ペア

 沼津勢34年ぶり優勝の快挙
 県中学生ソフトテニス 原の岡本・鶴淵ペア


 原中(奥村仁校長)の男子ソフトテニス部の三年生、岡本哲明・鶴淵健伍の両選手ペアが、六月十八日に富士宮市で開催された第42回県中学生ソフトテニス選手権で優勝した。
 一九七〇年に始まった同選手権での市内校優勝は第6回大会の四中(植松・山田ペア)以来三十四年ぶりとなる快挙で、市内テニス関係者の喜びは大きい。
 同大会男子の部には各地域の予選を勝ち抜いた百二十八ペア(ダブルス)が出場し、トーナメント方式で実施。岡本・鶴淵ペアは、第一試合を3ー1、第二、第三試合をジュースの末3ー2で辛勝。
 接戦を制し勢いに乗った同ペアは、二年生ペアながら昨年の全国中学校総合体育大会(全中)に出場した富士川二中(富士市)を準決勝で3ー1と退け、決勝も3ー1で勝ち、沼津市に優勝をもたらした。
 小学五年生の時に地域の原ジュニアソフトテニスクラブに入った二人は、それ以来ペアを組み、息はピッタリ。昨年の同大会ではベスト16入りし、十一月の県新人戦では準優勝している。
 ソフトテニスは七ゲームマッチで四ゲーム先取すると勝ちだが、雨が降ったり止んだりの今回は五ゲームマッチの三ゲーム先取という方式で行われ、岡本・鶴淵ペアは七試合を戦った。
 岡本君は「目標はベスト4だったけれど優勝できて、とてもうれしかった」、鶴淵君は「あまり実感はなかったが、とにかくうれしかった」と原中にとって初めてとなる優勝を振り返った。
 原ジュニアの会長として二人を指導した齋藤秀・市ソフトテニス協会会長は「岡本君は非常に熱心でトレーニング方法など分からないことがあると聞いてきた。鶴淵君はおとなしい子で、コツコツ努力する印象があった」と振り返った。
 また優勝については「本当に素晴らしい。優勝は想像もしていなかった。昨年秋の県準優勝で成長を知った。勝つことによって大会への出場機会も増え、たくましくなった。(原中の)松下先生が基本をしっかり教えているから」と喜んだ。
 原中ソフトテニス部監督の松下浩司教諭は「基本は攻めのテニス。二人共よく声を出してチームワークがいい」と評価。後衛の岡本君は「相手前衛を見て、空いたコースにパッシングを決める」、前衛の鶴淵君は「サーブレシーブが安定し、ボレーが得意」と、自らの特長を語った。
 二人の最大目標は全中出場。全中予選となる九日からの市内大会、二十七日からの県大会、さらに、東海大会に進出して個人(ペア)で七位以内、団体(三ペア)で三位以内にならないと全中出場権は得られない。
 沼津からは選ばれることが少ないという県選抜メンバー(八人)には今回、岡本君が入った。
 岡本君は高校入学後もテニスを続けたいというが、鶴淵君は未定だという。
【沼朝平成23年7月1日(金)号】
  

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