2018年12月26日

榊原昭雄氏

榊原昭雄氏

総務大臣表彰を受けた沼津市自治会連合会長
榊原(さかきばら)昭(あき)雄(お)さん (沼津市)
 1994年に吉田町自治会長に就任し、2000年から第四地区西連合自治会長、14年から市の連合会長を務める。長年の活動が評価され11月、「自治会等地縁による団体功労者」に選出された。75歳。
 ー表彰を受けた感想は。
 「活動に参加し始めて約28年。かつては地域のために何かやろうという仲間がたくさんいて、旗を振れば人が動いてくれた。近年は定年の延長もあり、自治会役員の担い手が減っている。今後の組織が心配だ」
 ー市の自治会の現況は。
 「加入世帯比率は8割超。全国的にも高い水準だ。最近は特に地域の活動拠点充実を市に要望してきた。19年に第二地区センターがオープンし、市内全地区への整備が完了する。今後は既存施設の老朽化対策も求めたい」
 ー課題は。
 「防災訓練などを通じた災害に強い地域づくり。役員の貴任分担だけではいざというときに機能しない。顔の見える関係を築くのが"共助"の基本。次世代のリーダー育成も進めたい」
 ー自治体活動の変容をどう見るか。
 「地区によっては新しく来た方との交流が少ない。地域の催しなどを通じて自治会活動の意義を伝えたい。行政や議会と安全安心なまちをつくるという使命は変わらないのだから」

10月には全国防犯協会連合会防犯栄誉銅章も受けた。
【静新平成30年12月26日(水)「この人」】
  

Posted by パイプ親父 at 11:50Comments(0)受賞

2018年12月20日

渡辺英彦氏死去

渡辺英彦さん死去59歳
富士宮やきそば学会長 ご当地グルメけん引

渡辺英彦

 富士宮やきそば学会の会長を務め、食の地域ブランドを生かしたまちおこしモデルの確立に尽力した富士宮市の渡辺英彦さんが19日午前7時40分、病気のため長泉町内の病院で死去した。59歳。同市出身。
 渡辺さんは、地域活性化を目的に2000年に設立した同学会のトップを担った。ユーモアあふれるネーミングを冠した活動を次々に打ち出し、地元で愛されてきた「富士宮やきそば」を地域プランドとして全国区に広め、大きな経済波及効果をもたらした。愛Bリーグ(ご当地グルメでまちおこし団体連絡協議会)の会長も務め、ご当地グルメを通じたまちおこしブームの火付け役として各地の地域活性化に力を添えた。須藤秀忠市長は「まちおこしや情報発信などこれ以上ない貢献をしてもらった」と弔い、個人としては2人目となる市長顕彰を授与する方針を示した。ともに活性化の取り組みを進めてきたNPO法人まちづくりトップランナーふじのみや本舗の渡辺孝秀代表理事(66)は「企画力やリーダーシップにあふれ、今後の市の発展のためにもまだまだ力が必要だった」と惜しんだ。
 2019年1月19日に市内でお別れ会を開く予定。
【静新平成30年12月20日(木)朝刊】
  

Posted by パイプ親父 at 07:36Comments(0)訃報

2018年12月08日

老舗の5代目「飯田邦彦」氏

創業150年老舗の5代目
 食肉技術職の飯田邦彦さん
 表彰を受けた中で、食肉技術職の飯田邦彦さんは、本町にある「古安」の五代目。同店は現在、精肉店と共にステーキと洋食のレストラン、すき焼きとしゃぶしゃぶの店を開く。
 同店は明治元年の創業から百五十年続く老舗で、店名の由来は初代・古屋安五郎さんの名前。文明開化の頃には、カフェも開いていたという。当時は貴重だった氷を氷穴から馬で運んで来て冷蔵庫代わりの氷室を作り、そこに牛肉などを保管して販売した。
 飯田さんが子どもの頃には、高島町の辺りで牧場を経営していて、飯田さんは、三代目となる祖父と一緒に行っては、牛舎の掃除や牛の世話をしていた。
 「牛一頭で嫁入り道具が買える」と言われるほど高価だったが、牛の体を触るだけで肉の状態が分かったという祖父は、近隣から良い牛だけを買い求めていたという。
 また、祖父には先見の明があり、沼津が空襲を受ける前に木材を土の中に埋めておいた。そして、空襲で沼津が焼かれた後には、真っ先に家を建て、困っている人達を住まわせたといい、周囲からも慕われた。
 祖父からは「好きなことがあればやったらいい」と言われながらも、五代目として後を継いだ飯田さん。「この仕事は、牛が本当に好きでないとできない」と言うが、時代と共に苦労も乗り越えてきた。
 安価な輸入牛の急増、狂牛病(牛海綿状脳症)や0157が原因で牛肉が売れない時期もあった。消費者が安さを求めることで、食べるにはふさわしくないような品質の肉を、適切ではない方法で提供する店もあり、そうした中で0157の問題が生じた時には業界全体が大きな打撃を受けた。牛肉を使っていることでコロッケさえ売れず、破棄する時には「命をもらっているのに、と思うと涙が出た」と話す。
 食べ物を扱うからには「おいしい物を提供するのが使命」だと飯田さんは言う。老舗にあぐらをかかず、顧客の要望を聴きながら、また肉を扱う調理人にも教えてもらいながら、どうしたら、より良いものが提供できるのかを常に考えてきた。
【沼朝平成30年12月8日(土)号】

飯田邦彦氏
  

Posted by パイプ親父 at 17:59Comments(0)受賞