2009年01月30日

加地宗雄次期市立高校長


加地宗雄次期市立高校長が抱負
 「全力尽くして頑張る」

 市立高の加地宗雄・次期校長(56)が二十九日、四月の就任を前に栗原裕康市長にあいさつのため市役所を訪れた。
 加地次期校長は京大法学部法律学科を卒業後、新日鉄に勤務。市立高校長に内定したのを受け、昨年十二月に同社大阪支店調査役を退職。今月二十二日に中石田のマンションに引っ越してきた。市長に対して加地次期校長は、「せっかく採用していただいたので全力を尽くして頑張る」と抱負を語った。
 同席した工藤達朗教育長が沼津の紹介で御用邸の話をすると、「私、歴史とか大好きで」と語り、栗原市長が北条早雲の興国寺城などの話をすると加地次期校長は「戦国時代は大好き」と応じた。
 さらに先祖は上杉姓で謙信後継を争った景勝と影虎の戦いで敗れた側にあったことも語り、「九州も戦国時代は、いろいろないい話や面白い話がある」とした。
 栗原市長は、「静岡県は東・中・西部に分かれていて、食べるのに困ったらどうするか」として、それぞれの地域の気質の違いを説明した。
 工藤教育長は市立高について、「県東部からいろいうな生徒が集まっているので面白い」と話し、市長は「(自分は)政令都市を目指すということを言っているので、(外に向け)あまり『沼津』と言わないようにしている。各首長さんにも『なぜ東部はまとまらないのか』と忸怩(じくじ)たる思いがある。このようなバックグラウンドがあることを理解していただきたい」と語った。
 工藤教育長は「市立での中高一貫はほとんどない。そういう意味では特色がある。その中でも民間から校長を呼んでいるのは全国でもここだけ」とし、栗原市長は「注目される学校になれば定住する人が増える」と期待を寄せた。
 会談後、市立高についての感想を尋ねると加地次期校長は「中高一貫校であるということで継続、計画的に教育ができ、六年間で十分な教育をしていけるという点で価値があると思っている。そのあたりを軸にして、一層の発展を図っていきたい」と希望を語った。
(文・沼朝平成21年1月30日号:画像・静新)
  

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2009年01月30日

緑十字金章・高遠秋雄氏

緑十字金章・高遠秋雄氏

 





















全日本交通安全協会から交通栄誉章「緑十字金章」(優良運転者)を受章した沼津市東椎路の高遠秋雄さん(八一)が二十九日、沼津署を訪れ、大城久和署長に受章を報告した。
 緑十字金章は八段階の表彰制度の最高章。本年度は全国で五十人、県内では二人が受章した。
 高遠さんは昭和二十四年に免許を取得し、富士急行に入社して路線バスや観光バスの運転手などを務めた。現在まで六十年間、無事故・無違反を続けていることが評価された。
 高遠さんは受章の記念の賞状を手に、「常に冷静な運転を心掛けたのが受章につながったと思う。大変光栄です」と喜びを語った。大城署長は「運転手の模範。今後も安全運転を続けてください」と激励した。
(静新平成21年1月30日(金)朝刊)
  

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2009年01月23日

谷田旭さん(国体レスリング少年男子優勝沼津城北高3年)

谷田旭さん(国体レスリング少年男子優勝沼津城北高3年)
 自分磨き日本一目指す
 5歳上の兄と3歳上の姉の影響で、4歳からマットで遊んでいた。「兄のように強くなりたい」と背中を追い続け、兄が達成できなかった高校での全国制覇を果たした。
 中学で全国大会の優勝経験があり、自信を持って進学したが、「練習が大変で何度もやめようと思った」と苦しい時期が続いた。しかし「レスリングを取ったら何も残らない」と、スピードと相手の技に対応できるバランス感覚をひたすら磨き続けた。
 国体では決勝までの全4試合で1ピリオドも落とさない完全優勝。しかし、総体決勝で敗れたライバルの五十嵐琢磨選手(秋田・秋田商)は不出場。「まだ自分は頂点に立っていない」と喜びはすぐに消えた。
 進学する日体大には五十嵐選手も入学が決まっている。「実力者ぞろいの環境で自分を磨き、日本一を目指したい」。そして「あこがれの松永共広選手、(沼津学園高"現飛龍高出)のように世界大会で活躍したい」と力を込める。
 裾野市伊豆島田、18歳。
(静新平成21年1月23日「受賞者の横顔・奨励賞」)
  

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2009年01月22日

山本竜司さん

山本竜司さん
(全国高校総体、全国高校選抜レスリング96㌔級優勝、飛龍高3年)
 日本一の練習量で頂点
 朝、昼、放課後。「強くなるためには練習するしかない」と3年間、厳しいメニューを地道にこなしてきた。努力は人を裏切らず、昨年は全国高校選抜、高校総体で2冠を成し遂げた。
 「常に相手の足元を狙っている」。重量級だが俊敏さは抜群。全国選抜は得意技のタックルがさえ、1ポイントも失わずに頂点に立った。総体ではプレッシャーに襲われ、研究もされて苦しんだが「練習が土壇場で生きた」。
 飛龍高の井村陽三監督をして「練習量は重量級の高校生では日本一」と言わしめる。昼休みさえ筋トレに15分間を費やす。鍛えたふくらはぎは太くなり、マットを強くけり上げる。相手の懐に飛び込むスピードは勢いを増した。
 すでに大学進学を決めている。目標は学生チャンピオン。そして、「オリンピックに出場できるような選手になりたい」と理想を描く。井村監督は「大学では自分自身だけが頼り。積極的な姿勢が大切」とエールを送る。
 沼津市大岡。18歳。
(静新平成21年1月22日「受賞者の横顔・奨励賞」)
  

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2009年01月22日

長尾賀伊君(沼津西高)

長尾賀伊君(沼津西高)
フェンシング・カデのエペ世界大会出場
 北京五輪男子フルーレ個人で、太田雄貴選手が銀メダルを獲得し脚光を浴びたフェンシング。西高二年の長尾賀伊君(伊東門野中出身)は今月九日、東京駒沢オリンピック公園体育館で開かれた第16回JOCジュニアオリンピックカップ・フエンシング大会兼2009年世界ジュニア・カデ(十四歳-十七歳未満)・フェンシング選手権大会の男子エペ個人で三位に入賞。二月十五日にスロバキアの首都ブラティスラバで開催される世界大会「カデ男女エペ欧州サーキット」に日本代表として出場することになった。
 長尾君は昨年十一月、沼津市勤労者体育館で行われた県新人戦に出場し、フルーレ個人で三位、エペ個人とフルーレ団体で優勝。JOCジュニアオリンピックカップ・カデにはフルーレとエペ両種目に参戦した。
 フルーレでは上位進出がならなかったものの、四十七都道府県の優勝者ら全国から七十八選手がエントリーしたエペでは準決勝に進出。ここで敗れはしたが、三位決定戦に勝ち世界大会への切符を手にした。
 昨年、高校総体を経験している身長一七一㌢、体重六二㌔の長尾君の得意技は、対戦相手のスキを見つけて走り抜けながら突く「フレッシュ」。小学一年からフェンシングを続けており経験は豊富。
 世界大会については「外国選手と対戦するのは初めてなので、相手の力がどれくらいなのか分からないが、相当勉強になると思う」と初の海外遠征を待ちわびる。二月十日に離日し、ハンガリーのブダペストで合宿した後、大会に臨む。
 同部顧問の山本信教諭は「相手との間合いを計るのが巧みで、相手の動きに合わせて剣さばきができるのが特徴」と評価する一方、「ジュニアオリンピックでは、ノーマークで日本代表入りできたが、これからが本当の勝負」と叱咤激励。
(沼朝平成21年1月22日(木)号)
  

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2009年01月22日

堀内光一郎氏(富士急社長)

富士急行社長
堀内光一郎氏(ほりうち・こういちろう氏日本長期信用銀行を経て1988年
富士急行入社。89年から社長。48歳。)

 高速バス、今後も拡充 
 ー世界不況は、国内の観光レジャー産業にどう影響していますか。
 「景気悪化の影響は本来、外食やレジャーが先行するはずだが、その割には持ちこたえている。富士山周辺の入り込みは昨年、ガソリン高の影響を受けたが、秋口から年末年始まではまずまずだった。ただ一月四日以降は寒さもあって落ちている。景気変動の影響を本当に受けるのは、これからだろう」
 ー新たな投資や採用の抑制など戦略、戦術の変更は考えていますか。
 「社長に就任し、今年で二十年になるが、大きな景気の浮き沈みは三度目。これまで戦略の変更はない。今回も巡航速度を保つ。投資は景気が良くても悪くても計画通り行う。二年半後のハイランドの大型遊具投資も今のところ予定通り。大型遊具は輸入がほとんどなので、むしろ円高で買いやすい時期でもある。社長就任から続けている大卒総合職の二十人採用も変えない」
 ー県東部と都内などを結ぶ高速バスの利用状況はいかがですか。
 「沼津港線は乗り入れを始めた昨夏以降、沼津港で一日平均六人の乗降があるなど好調に推移している。関西線は富士五湖からのバス路線を変更し、富士宮駅や東静岡駅を加えた。ダイヤの拡充はマーケットをみながら、今後も行う」
 ー富士山静岡空港の開港で観光の流れは変わるでしょうか。
 「静岡空港の効果は非常に大きいと考える。百年後に皆が『よくぞ造ってくれた』と言う事業だ。空港名に『富士山』を入れたことも大ヒット。富士山へのゲートウエーとして位置づけられれば、海外に向けたPR効果は極めて大きい。フジヤマリゾートではYetiが雪と富士山が好きな中国人などに有望だろう」
 ー富士山の山梨県側から五合目まで走らせる電気鉄道の構想が持ち上がっています。
 「富士山の環境負荷を減らし、通年観光化するため、富士スカイラインに登山鉄道を引くべきだと(会長を務める)富士五湖観光連盟で考えている。富士急としても十五年前にスイス・マッターホルンゴッタード鉄道と提携するなどし、研究している。八百億円くらいかかるといわれているが、官民一体、静岡側の協力がないとできない」
 (聞き手=東部総局・海野俊也)
(静新平成21年1月22日「新年トップインタビュー」)
  

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2009年01月21日

オバマ新大統領の就任演説要旨

オバマ新大統領の就任演説要旨
 オバマ新大統領の20日の就任演説の草稿要旨は次の通り。
 私は今、直面する使命を謙虚に受け止める。あなたがたにもらった信頼に感謝する。先祖が払った犠牲を忘れない。ブッシュ大統領の国への奉仕と、政権移行期に示してくれた寛大で協力的な姿勢に感謝する。
 今をもって、44人の米国人が大統領の宣誓をした。宣誓は繁栄の高まりのなかで行われることもあれば、穏やかな平和のなかで発せられることもある。しかし、宣誓はしばしば嵐が巻き起こるなかで行われた。この瞬間、米国は高い地位にある者の能力やビジョンのためだけでなく、国民皆が先祖の理想や独立宣言に忠実であるために前進してきた。
 よく理解されているように、我々は危機のまっただなかにいる。米国は暴力と憎しみのネットワークと戦争中だ。経済は一部の人々の強欲と無責任の結果として、ひどくぜい弱になった。同時に、難しい選択をせず、国家を新しい時代に準備してこなかった集団的な失敗でもある。家は失われ、仕事は奪われ、企業は破綻した。健康保険はコストがかかりすぎ、教育制度は多くの場所で破綻している。
 これらは危機の指標だ。もっと把握しにくいのは、失われた自信や米国の衰退が必至なのではないかという恐れなどが国家に広がっているのではないかということだ。
 今日、我々が直面している危機は現実のものだ。それらは深刻で多くの危機だ。短期間で解決できるものではない。しかし米国よ、これらは必ず解決できる。
 今日この日、我々は恐れより希望を、争いや仲たがいより結束を選んだ結果、こうして集まった。今日この日、我々の政治を長いこと混乱させてきた不平や間違った約束、非難や、独断的な意見などの終わりを宣言するために集まった。
 我々は若い国家であり続ける。子供じみたことをやめる時が来た。我々の不朽の精神を再確認し、より良い歴史を選び、高貴なアイデアを世代を超えて受け継ぐ時が来た。すべての人が完全な幸福を追求するチャンスを持ち、平等で自由であるという神の約束を確認するときが来た。
 我々の国の偉大さを再確認するとき、我々はその偉大さが決して生まれ持って与えられたものではないことを理解している。それは勝ち得たものでなくてはならない。我々の道は近道や妥協であったことはない。リスクをとり、行動し、物を作り出す人々によって、我々は繁栄と自由への長い道のりを導かれてきた。
 我々は依然として地球上で最も強い国家だ。我々の労働者は、今回の危機が始まってから生産性が落ちたわけではない。我々の能力は消え去ることはない。今日から我々は立ち上がり、ホコリを落とし米国を再生する作業を始めなくてはならない。
 経済の現状は断固とした迅速な行動を求めている。新しい雇用を創造するだけでなく、成長の新しい基盤を敷くために我々は行動する。
 我々は道路を建設し、橋を架け、商業を育てて我々を結びつけるために、送電網や通信網を構築する。科学のレベルを引き上げ、医療・福祉の質の向上とコストを抑えるためにテクノロジーの素晴らしさを行使する。太陽光、風力などを自動車や工場などに活用していく。新しい世代の需要に合うように教育機関を変革していく。これらは全部、実現できる。我々はやるのだ。
 我々の希望の大きさについて疑問を持つ人々がいる。彼らは我々のシステムがあまりに多くの計画に耐えられないと主張する。彼らはこの国がなし遂げたことを忘れている。
 我々が今日問うているのは、我々の政府が大きすぎるか、または小さすぎるかといったことではない。家族が収入が得られる仕事にありつけ、家族を養うことに寄与しているかなどといったことであり、政府が機能しているかどうかということなのだ。答えがイエスなら、我々は前進していく。ノーなら計画を中止する。市場が善か悪かといったことも問うてはいない。市場の力は富を生み、自由を広げる。しかし、今回の危機は、市場に対する監視の目がなければ、市場が制御不能に陥ることを思い出させた。
 建国の父たちは法による支配や人間の権利などを確かなものにする憲章を書き上げた。これらの理想は今でも世界を照らしている。前世代を思い起こせば、ファシズムや共産主義を倒したのはミサイルや戦車ではなく、強固な同盟と永続する信念だった。彼らは単独では自分たちを守れないことを理解していた。
 我々は責任を持ってイラクを同国民に返し、アフガニスタンの平和のために努力する。旧友やかつての敵と手を携え、核の脅威削減、地球温暖化問題に取り組んでいきたい。自らの目的を達成するために、テロによって無実の人たちを殺害する者に対し、我々の防衛しようとする意識はより高まっており、我々は必ず勝利すると宣言する。
 米国の多様性は弱みではなく、強みだ。我々はキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンズー教徒、無宗教の人がいて、すべての言語と文化が共存する国だ。世界が小さくなる中で、米国は新たな平和の時代に世界を導く役割を果たさなければならない。
 イスラム世界に対して、我々はお互いの利益と理解に基づいて前進する用意がある。汚職を続ける指導者は歴史の誤った方向に進んでいるということを認識すべきだ。
 貧しい途上国の人々に対しては、畑が豊かになり、きれいな水が流れるようになるよう取り組んでいく。米国のような豊かな国は、途上国に負担をかけたり、資源を無駄遣いしたりすることはもうできない。世界が変わったため、我々もそれに合わせて変わらなければならない。
 政府ができること、やらなければならないことはあるが、この国が頼りとするのは米国民の信念と決意だ。堤防が崩れた時に困っている人を受け入れる優しさ、友人が職を失うくらいなら自分の労働時間を短縮する無私の人、煙に満ちた階段を駆け上る消防士の勇気。これらが我々の運命を決める。
 我々が立ち向かう挑戦は新しい。それに立ち向かう手段も新しい。しかし、我々の成功のカギを握る価値観は古い。それは労働、勇気、公正さ、寛容、好奇心、忠誠心、愛国心などだ。これらは我々の歴史を通じて前進の静かな原動力となってきた。
 いま求められているのはこうした真実に立ち戻ることだ。求められているのは新しい責任の時代だ。米国民のひとりひとりが個人、国家、世界に対して義務を負うという認識だ。いやいや請け負う義務ではなく、喜んでつかむ義務だ。難しい課題に全力で向かうことほど、精神を満たし、我々らしいことはないからだ。
 これが米市民としての代価であり、約束である。それは我々の自信の源泉でもある。これがあるからこそ、きょうこの素晴らしいモール(並木道)にあらゆる人種とあらゆる宗教の男性、女性、子供が集まり祝うことができるのだ。これがあるから60年前ならレストランで食事をすることもできなかったかもしれない男の息子が、いまあなた方の前で最も神聖な宣誓をできるのだ。
 だから、我々がどれだけ歩んできたかを振り返りながら、この日を覚えておこう。米国が生まれた年、最も寒い月に、小さな愛国者の集団が川沿いに集まった。首都は見捨てられた。雪には血がにじんだ。革命(独立)の行方が最も危ぶまれた時、我々の国の父は人々にこう読むよう命じた。
 「未来の世界に我々はこう宣言する。希望と善以外は何一つ生き残ることができない真冬の日に、一つの危機に接し、都市と国家はともにそれ(危機)に立ち向かった」
 アメリカよ。危機に直面した今、この困難の冬に、我々はこの永遠の言葉を思い出そうではないか。希望と善によって、氷のように冷たい流れにもう一度勇敢に立ち向かい、来る嵐に耐えようではないか。子々孫々が今を振り返った時に、我々が試練の時に旅を終えることを拒否し、引き返すこともたじろぐこともなかったということを語り継がせようではないか。地平線に視線を定め、神の慈悲を身に浴びて、我々は自由という偉大な贈り物を前進させ、将来の世代に安全に送り届けたということを。
(ワシントン支局)
  

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2009年01月21日

豊田章男氏

トヨタ自動車の社長に就任する
豊田章男(とよだ・あきお)さん
 人は「ジュニァ」「プリンス」と呼ぶ。創業家の直系として生まれた者の宿命だ。継ぐ運命にあった会社は世界最大の自動車会社、トヨタ自動車。並の人間には想像することすら難しい重圧がつきまとってきた。「熟した柿が落ちるように、いつかその時が来る」と覚悟していたが、「その時」はトヨタにとって未曾有の危機とともにやってきた。
 「創業の原点に回帰しつつ、過去にしばられずに大胆に改革を進める」
 自動車販売の激減、利益を吹き飛ばす円高、経済全体を覆う先行きへの不安感ー。「大企業病」も指摘される巨大組織をトップダウンで改革し難局を切り開くため、かけられる期得は大きい。
 曾祖父の佐吉が興した豊田自動織機製作所に祖父喜一郎が自動車部を設置したのが一九三三年。父親の章一郎(現名誉会長)は経団連会長として日本を代表する企業の地位を不動にした。自らも四十四歳で取締役に就任、四十九歳で副社長になるなどスピード出世で帝王学を身に付けてきた。「豊田の姓に生まれたのは、わたしに選択権があったわけではない」と複雑な思いはある。だが「現場に一番近い社長でありたい」と、目指す社長像は明確だ。
 根っからの車好きで、子供のころの夢は「タクシーの運転手」。レーサーにもなりたかったが、危険な職業には反対されると思ったという。二年前に国際レース出場資格を取得し、ドイツのサーキットでデビューも果たした。五十二歳。愛知県出身。
(静新平成21年1月21日「時の人」)
  

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2009年01月21日

内田文喬(うちだふみたか)氏(67)

内田法律事務所長
 内田文喬(うちだふみたか)氏(67)
(【内田法律事務所】東京で10年間の活動後、昭和52年に生まれ故郷の沼津市に事務所を開設。内田氏を含め弁護士2人が所属する。内田氏は平成9年から1年間、県弁護士会の会長を務めた。現在、県人権擁護委員連合会長。沼津市神田町。)

 活性化策に住み良さを

 ー沼津市や県東部地区の活性化策について聞かせてください。
 「沼津市と富士市は人的にも経済的にも交流が少ない。両者が結びつきを深めて核となり、東部地区をけん引していく必要がある。中部や西部は静岡市や浜松市が中心となり、経済圏を形成している。エリアごとに分断している現在の状況は良くない。沼津市に限って言えば、風光明媚(めいび)で東京にも近い。産業というより、住みやすさを強調した方がいい」
 ー合併についてはいかがですか。
 「県東部地区は財政的に豊かな市町が多い。浜松市のように体力的に格差のある自治体が合併するならメリットはあるだろうが、今の東部地区には急いで合併する必要性はないのではないか。合併した自治体もあるが、メリットがまだはっきりと見えてこない。住民の間で機運が高まっているとも言えず、今はビジョンをしっかりと描くときだ」
 ー教育面ではどのように考えていますか。
 「最近の子どもは親としかつながりがないと感じる。昔は地域との触れ合いがあった。少子化で親が一人の子どもと接する時間は増えるが、一方で親離れできない子どもを生む。今の子どもには競争力がない。極端な競争は差別にもつながりかねないが、そのバランスを上手に保つことが今後の教育課題だと思う」
(静新平成21年1月21日「熱き地域人」)
  

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2009年01月20日

広瀬裕太さん

広瀬裕太さん(全国高校総体レスリング優勝沼津城北高3年):奨励賞
 努力の成果力強く発揮
 「ここで優勝できなかったらレスリングは終わりにしよう」。そう考えていた昨年夏の全国総体120㌔級で念願の日本一。「自分を信じて努力し続けた成果が出た」と喜ぶとともに、次の舞台でも日本一にーと目標を描くようになった。
 「自分を試せるスポーツ。迫力がすごい」と小学4年で競技を始めた。転機は中学2年の時。両ひざのじん帯を痛めて足に負担をかけられなくなり、徹底的に上半身を鍛えた。結果、「パワーで相手を圧倒するスタイル」を確立できた。昨年春のジュニア五輪120㌔級は準優勝。総体ではジュニア五輪で敗れた村木孝太郎選手(滋賀・栗東高)と決勝戦で再戦。力強さを発揮し、雪辱を果たした。
 高校で指導を受けた沼津城北高の相磯武仁元監督と篠原正樹監督に「体当たりの指導で自分を大きく成長させてくれた」と感謝の言葉を口にする。進学する早稲田大では「技とスピードを磨きたい」とさらなるレベルアップを図る。沼津市西間門、17歳。
(静新平成21年1月20日「受賞者の横顔」)
  

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2009年01月17日

宮武裕昭氏・国交省沼津河川国道事務所長

宮武裕昭氏・国交省沼津河川国道事務所長
 (みやたけ・ひろあき氏1991年、旧建設
省入省。内閣府では防災を担当。2008年4
月から現職。40歳。)
 狩野川河口の不法係留船
 自主撤去求め危険性訴え
 沼津市の狩野川河口部で昨年、不法係留船の自主撤去が大幅に進んだ。河川法に違反する係留船は、二〇〇二年の三百十一隻から約五分の一の六十隻に減少。河川管理者の国土交通省沼津河川国道事務所は引き続き、係留船が唯一残る狩野川左岸の我入道地区の対策に取り組む。
 ー船の自主撤去が加速度的に行われた理由は何でしょうか。
 「危険性が所有者に理解されたことが大きい。合法か否かは本当はさまつなことで、最終的に問われるのは現実的に安全かどうかという事実。東海地震発生時には五㍍弱の津波が来襲すると想定される狩野川河口では、船が堤防を越えて住宅地へ飛び込むことも予想される。繰り返し危険性を訴えてきたことに加え、(転覆や沖への流出が相次いだ)〇七年の台風9号もターニングポイントとなった」
 ー昨年は行政代執行法に基づく強制撤去を実施しましたが、影響はありましたか。
 「台風の接近にともなう(九月の)緊急代執行以来、予想以上に自主撤去が進んだ。そういう意味では影響はあったと思う。ただ、行政代執行は手段の一つにすぎない。一層意義深いのは、ほとんどの船が自主的に撤去されたということ。これほどまでに自主的に改善された事例は全国的にも珍しい。『不法係留船カルテ』をつくり毎日パトロールを行うなど、断固たる姿勢が利用者に伝わったと思っている」
 ー今後の取り組みについて教えてください。
 「陸間(こう)への衝突が懸念される我入道地区は、現時点では安全とは言えない。県から港湾使用の許可を受けている漁船もあるが、そもそも河川法(国)にも港湾法(県)にも前提として、利用者には適正に使用する責任がある。利用者個々に事情はあるだろうが津波は待ってくれない。国だけで対策を進めれば行政代執行しかないが、梅雨や台風の出水期を大きな山ととらえ、自主的な撤去を求めていく。合法か違法かの法律論だけでは現実から目を背けることにもなりかねない」
 ー狩野川河口部の将来像を聞かせてください。
 「行政代執行をした管理者の立場から言えば、住民に頻繁に利用される環境が望ましい。狩野川河口からは富士山が美しく見える。船の自主撤去も進み、港大橋から沼津港へ案内する際には胸を張って景色をおすすめできる。まさに景勝という言葉がぴったり。ささいなきっかけから地域が荒れていく『割れ窓理論』を防ぐためにも、公園整備などを沼津市や住民の方々と一体となって考えていきたい」 (聞き手=東部総局・佐藤章弘)
(静新平成21年1月17日「本音インタビュー」)
  

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2009年01月17日

東芝機械社長:中島礼二氏

東芝機械社長:中島礼二氏
(なかじま・れいじ氏1970年東芝機械入社。取締役相模工場長、同営業統括部長などを経て2003年社長就任。東京都出身。62歳。)

 原点見つめ開発推進
 ー景気の現状をどうみていますか。
 「〇八年春の段階で世界規模の金融問題は実体経済に大きな影響はないとみていたが、夏以降の変化は急激だ。経験のない落ち込みで、回復局面が見えないことが不安心理に拍車を掛けている。特に自動車業界の業績悪化が響き、〇九年は相当厳しいと覚悟している」
 ー機械業界の見通しを聞かせてください。
 「工作機械業界はここ数年、増収増益傾向にあって体力があり、一ー二年の不景気には耐えられる。一方、プラスチック機械業界は中国などアジアのメーカーとの激しい価格競争で各社の財務体質が良いとは言えず、立ち行かないところも出るだろう。業界の再編は避けて通れない」
 ー中期経営計画(二〇〇七年四月ー一〇年三月)の目標は達成できますか。
 「三カ年の中期経営計画は毎年見直しているが、現時点では無理。〇九年度は単年度予算の達成に集中する。一〇年度に売上高二千億円、売上高経常利益率12%以上とする旗は降ろさないが、少ない売り上げでも赤字を出さない筋肉質の体制をつくり、在庫品や仕掛品を減らしてキャッシュフローを改善する」
 ー厳しい局面を乗り切る戦略は。
 「特効薬はない。ものづくり企業の原点に立ち返る。品質確保や生産性の向上を実現し、開発の手は緩めない。景気が回復してトンネルを出たとき、電気自動車や燃料電池などのクリーンエネルギー、微細加工といった次世代技術の分野は大きく市場が開く。今取り組まなければ出遅れる。大型機械は世界的に需要があり、特に中国政府が打ち出した総額四兆元(約五十二兆円)の景気刺激策が、当社が得意なエネルギー分野に注がれることを期待している」
 ー業界に必要な取り組みは何ですか。
 「ものづくり立国を目指すなら、投資減税など設備投資優遇を政府が真剣に検討するべき。日本は減価償却期間が長く、国内の設備は古い。新しい機械を購入しているアジア勢などの生産性が数年後には日本を上回る。企業が設備投資をしやすくなる施策が製造業の競争力を高め、雇用や内需の拡大にもつながる」 (聞き手=東部総局・金原一隆)
(静新平成21年1月17日「新年トップインタビュー」)
  

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2009年01月17日

城井不二子氏:訃報

訃報:城井不二子氏

長年連れ添いました妻城井不二子は、
一月十四日七十九歳で死去いたしました。
お別れの会は親族のみにて行いました。
なお、香典・供花等もご遠慮申し上げます。
生前故人が賜りましたご厚情に感謝申し上げ
るとともに、謹んでお知らせいたします。

 平成二十一年一月十七日
 城井登志男
(沼朝平成21年1月17日(土)号)


 城井不二子さん
(しろい・ふじこ=沼津市消費者研究会会長)は、十四日午後七時二十七分、肺炎のため入院先の病院一で死去した。七十九歳。自宅は高沢町三の二二。近親者だけで密葬を済ませた。
 城井さんは昭和四十五年、沼津市消費者研究会設立以来、会長を務めた。同研究会は「ふるさとの自然と暮らしを守る」ことをテーマに、安全を一つ一つ確かめ、生産者や製造業者と話し合い、共同購入を進めるという消費者活動を進めてきた。その一環として、アーケード名店街で無農薬・無添加食品を扱う「コミュニティ朝市」を誕生させた。
 四十九年には市内の六団体で沼津市消費者協会を設立し、その先頭に立って消費者問題を取り上げ、課題解決に尽力。
 さらに、「沼津方式」と呼ばれる分別収集がスタートし、当時のごみ問題解決に一定の前進を見る中で、取り残された食用廃油処理のため、手作り石けんから、メーカーを説得して「ぬまづ石けん」誕生につなげた。
 また、地球温暖化が言われる以前から車の排ガス問題に取り組み、大気汚染状況を定点観測。結果を発表し身体への影響などについて警鐘を鳴らし続けた。
 毎年末、沼津朝日新聞に「くらしの視点」を執筆。その年一年間の消費者問題を取り上げ、食の安心・安全、消費者被害の実態などを解説し消費者意識の高揚を訴えた。昨年の掲載が絶筆となったが、最期まで消費者の立場からの問い掛けを続けた。
 各種消費者団体役員だけでなく、市や県の審議会委員なども務め、地域の発展にも貢献した。
(沼朝平成21年1月21日(水)号)

  

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2009年01月17日

サレンバーガー機長(空軍出身)

 サレンバーガー機長(空軍出身)
 「ハドソンの奇跡」 恐怖の5分沈着冷静
 まるでグライダースムーズに着水
 【ニューヨーク16日共同】米ハドソン川へのUSエアウェイズ機不時着は、米空軍から同社に移ったサレンバーガー機長(五七)による熟練の操縦が、乳児を含む乗客乗員百五十五人の命を救った。離陸から不時着までの恐怖の五分間。冷静な判断が「ハドソンの奇跡」(パターソン・ニューヨーク州知事)を導いた。
 エアバスA320が、現場から東へ約十二㌔のラガーディア空港を北側へ向かって離陸したのは十五日午後三時二十六分。直後、エンジンに鳥を吸い込み、乗客は「爆発したような音」を聞いたり、「エンジンからの炎」を目撃。機内が静まり返った時、同機の高度は九百㍍余だった。
 機長は管制官に、ニュージャージー州の空港が見えることも伝えたが、直後に南側へ急旋回。ハドソン川上空をグライダーのように滑空、徐々に高度を下げた。
 「身構えてください」。機長の指示で乗客は頭を抱え込み、前かがみの姿勢に。六十四歳の女性は「祈って、祈って、祈った」(ニューヨーク・タイムズ紙)。三時三十一分。機体は損傷を減らすため、機首を上げ気味にして不時着した。
 不時着が事前に伝えられず、空港着陸と勘違いした人もいたほどスムーズな着水に成功。機内への浸水で着水を知り、乗客が出口に殺到して一時パニックになったが、すぐ乗員の指示に従った。
 機長はパイロットの傍ら、航空安全コンサルティング会社の代表を務め、パイロット組合では事故調査委員。グライダーの免許も持っていた。記者会見したブルームバーグ・ニューヨーク市長は、機長が乗客の脱出後、残った人がいないか再確認のため、沈みゆく機体の通路を二回行き来したことを紹介し、「プロの仕事だ」と評価した。
(静新平成21年1月17日(土)朝刊)
  

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2009年01月15日

県中小企業団体中央会新会長に佐野光治氏

県中小企業団体中央会新会長に佐野光治氏
01/15 08:17 (静新webnews)
 県中小企業団体中央会は14日、臨時総会を静岡市駿河区のホテルで開き、昨年10月に死去した井上光一会長の後任に、11月から会長代行を務めてきた長泉工業団地協同組合の佐野光治理事長(85)を選出した。任期は2010年6月までの1年半。
 佐野新会長は「中小企業を取り巻く経済状況は非常に厳しいが、協同組合事業を積極的に活用するなどして乗り越えたい」と決意を述べた。また、中央会組織の機能強化へ向けた財政基盤の見直しなども課題に挙げた。
 佐野氏の新会長就任などに伴う役員補充も行われ、新理事に沼津魚仲買商協同組合の後藤義男理事長と県商工協同組合の望月浩理事長の就任が決まった。
 臨時総会後、トップセミナーと新春交流会も行われた。トップセミナーには会員ら約230人が出席し、ジャーナリストの三神万里子さんが「連携の手法とおさえるべき潮流」と題して講演した。
  

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2009年01月15日

菊川千代子さん(三島の老舗洋菓子元店主)

菊川千代子さん(三島の老舗洋菓子元店主)
 太宰も惚れた"看板娘"逝く
 明治から平成 気丈に生きた96年
 三島市広小路町に本店がある洋菓子の老舗「ララ洋菓子店」の店主だった菊川千代子さん(同市芝本町)が九十六歳で亡くなり、十四日、告別式が行われた。夫の故儀雄さんとともに昭和七年に創業した喫茶室もある店には三島で一夏を過ごした太宰治も通い、千代子さんのファンだったという。千代子さんを知る人たちは明治、大正、昭和、平成を気丈に生き、多くの人に慕われながら七十歳まで店に立った"看板娘"をしのんでいる。
 千代子さんは東京に生まれ、三島の和菓子屋の三男だった儀雄さんと結婚。東京のハイカラな空気も吸っていた儀雄さんは「俺は洋菓子で行く」と千代子さんと現在の本店所在地に店を開いたという。
 太宰は昭和九年八月、同市泉町の故坂部武郎さん方に約一カ月滞在し、「ロマネスク」を書き上げた。作家で県伊豆又学フェスティバル委員の中尾勇さん(同市大宮町)が坂部さんに聞いた話では、太宰は毎日のように散歩の途中に店に寄ってレコードを聞きながらコーヒーを飲み、千代子さんのことを「自分好み」と話していたという。
 千代子さんの長男の恒明さん(七五)によると、千代子さんは太宰が店に来ていた認識は特になく、子どもたちに話したこともなかった。
 千代子さんは三十年ほど前に儀雄さんを亡くし、店を恒明さん夫婦に任せて以降もアドバイスを惜しまず、茶道や俳句などの趣味にも熱心だった。恒明さんは「ぐちを言わず、楽天的で好奇心がおう盛。お菓子のことで工夫を欠かさなかった」と千代子さんの遺志を受け継いでの家業発展を誓っている。
(静新平成21年1月15日(木)朝刊)
  

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2009年01月14日

渡辺彩香さん

ゴルフ女子ナショナルチーム
渡辺(熱海小嵐中)が初選出
 日本ゴルフ協会(JGA)は13日、2009年の女子ナショナルチームのメンバー6人を発表し、熱海小嵐中3年の渡辺彩香(15)が初選出された。
 渡辺は昨年8月の日本ジュニア選手権女子12-14歳の部で優勝するなど進境著しい若手のホープ。10代の選手が6人のうち4人を占めたが、この中でも渡辺が最年少での選出となった。
 JGAは各選手に対し、コースマネジメントやトレーニングなどの強化プログラムを徹底し、世界で活躍する選手の育成を図る。4月にインドネシアで開催されるクイーンシリキットカップに出場し、2002年大会以来7度目の優勝を目指す。
(静新平成21年1月14日(水)朝刊)
  

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2009年01月14日

後藤磯吉氏(はごろもフーズ顧問)に渋沢栄一賞

後藤磯吉氏(はごろもフーズ顧問)に渋沢栄一賞
 企業経営、教育にも尽力
 今日の日本経済の礎を築き、教育や福祉などの社会事業にも尽力した渋沢栄一翁の精神を受け継ぐ企業経営者に贈る「渋沢栄一賞」を制定している埼玉県は十三日、本年度の受賞者の一人に、はごろもフーズ顧問の後藤磯吉氏(八九)=静岡市清水区=を選んだと発表した。県内企業では初の受賞で、後藤氏は「身に余る光栄」と感想を述べた。
 後藤氏は昭和二十二年、はごろもフーズ社長に就任し、同三十三年にはツナ缶詰の代名詞となる「シーチキン」の発売で、同社を全国的に知られる企業に押し上げた。清水商工会議所会頭、清水市社会福祉協議会会長なども務め、同六十二年には優れた研究に取り組む学校や教育団体を支援する「はごろも教育研究奨励会」を創設した。
 こうした功績を踏まえて県経営者協会が渋沢栄一賞の候補に後藤氏を推薦していた。
 同賞は渋沢翁の出身地の埼玉県が平成十四年度から表彰制度をスタートし、本年度の三人を含め受賞者は十九人。受賞の知らせに後藤氏は「随分と厳しい状況にさらされてきたが、その都度多くの人に助けられてきた。今後もできる限りの努力をさせていただきたい」とのコメントを寄せた。表彰式は二月十日に埼玉県内で行われる。
(静新平成21年1月14日(水)朝刊)
  

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2009年01月13日

スルガ銀行社長・岡野光喜氏

スルガ銀行社長・岡野光喜氏
 【おかの・みつよし氏 富士銀行を経て1975年にスルガ銀行入社。85年に頭取(現社長)に就任し、2000年から社長兼CEO。63歳。】
 火中の今、将来に照準

 ー景気の現況をどうみますか。
 「世界的金融危機の実体経済への影響が深刻化している。国内景気も厳しい状況だ。世界経済の下支え役を担っていた新興国にも大
きな影響が出ていて、経済が一段と減速する中で、下押し圧力が急速に高まっている」
 ー景気回復にはどのくらいかかるでしょうか。
 「雇用情勢を含め、状況はさらに厳しくなるリスクが存在する。第一次オイルショックを超える経済の低迷が予想され、国内の企業業績回復には相当の時間が必要と思われる。米国的資本主義から二十一世紀の新しい資本主義繁栄に向け、今はスクラップ・アンド・ビルドのスクラップにぶつかっている。新しい芽が出て、景気回復につながるまでには三年か四年はかかるだろう」
 ー厳しい局面を乗り切る新戦略は。
 「引き続き得意分野の個人、中小企業向け商品の提供を第一に進める以外にない。ただ、禅に『真金(純金)は火中にあり』という言葉がある。金融危機で火がぼんぼん燃える今は、まさに火中。その中で、来るべき来年、再来年の戦略を練ってコンセプトを出せば、それが花開く。火を消すことばかりに気を使ってはだめ。今こそ次の戦略を考えるべき」
 ーゆうちょ銀行の五十店舗で実施している個人ローン代理販売の状況はいかがですか。
 「中間期の実行額は百七十五億円だった。スルガ銀の新規契約に比べ少ないように見えるが、与信実績がないゆうちょ銀職員にアドバイスしながらの数字。今後はプロモーション展開による店頭受け付けなどに力を入れ実績を積み上げていく」
 ー県東部の活性化にどう取り組みますか。
 「東部はものづくりに加え、水産や旅館・ホテルをはじめとするサービスなど多様な産業があることが特徴で、潜在成長性は高い。静岡がんセンターを拠点とするファルマバレー構想も進む。セミナー開催の協賛など多方面から貢献していく」
 ーサッカー天皇杯特別協賛の狙いは。
 「サッカーに関するあらゆる人の夢を応援する『IDREAM(サッカーの夢応援)』の一環。スルガの名を認知してもらえればビジネスチャンスも広がる」(聞き手=東部総局・海野俊也)
(静新平成21年1月13日「新年トップインタビュー」)
  

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2009年01月10日

後藤政彦氏

後藤政彦さん(県レスリング協会常任理事)
 愛情込めジュニア育成
 良いことも悪いことも、目に付いたら流さない。その場で褒めるし、注意もする。だから生徒を「常に集中して見ていなきゃ」。県レスリング協会理事を務めて20年。ジュニア世代の育成に取り組み続けている。
 競技人口の拡大を目指し1988年、沼津レスリングクラブを設立。中学までは技術は二の次。徹底して「気持ち」と「バランス感覚」を鍛え上げる。元気なあいさつ、ひたむきな姿勢を何より評価する。
 レスリングがとことん好きだ。「飲んでいても話題はレスリング。3、4時間はあっという間」。練習に一切妥協はしないが、愛情は子どもたちに伝わっている。中学からは一転して技術指導。指の使い方や手の置き方など細部に至る。
 クラブ設立当初の生徒数は5人に満たなかったが、今では40人が通う。昨年は卒業生の高校生3人が全国を制した。それでも、「マイナースポーツ」との実感は消えない。「まだまだ地道な活動が必要」と、さらなる普及へ力を注ぐ。 沼津市松長。49歳。
(静新平成21年1月10日「第57回静岡新聞・静岡放送:受賞者の横顔」)
  

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