2009年07月29日
勧山雅子さん(すすやま・まさこ=勧山弘・真楽寺住職の妻)
勧山雅子さん
(すすやま・まさこ=勧山弘・真楽寺住職の妻)は、二十七日午前十時二十分、老衰のため療養先の医院で死去した。八十五歳。住所は末広町一七〇。
通夜が三十日午後七時から真楽寺で行われ、葬儀・告別式は三十一日午前十一時から同寺で。その後、身近な親族、親しい間柄の人達の見送りを受けながら出棺、火葬。喪主は弘(ひろむ)師。
雅子さんは、旧日向佐土原藩主の旧伯爵島津久範の次女。旧薩摩藩主、島津忠義の孫にあたり、香淳皇后とは、いとこの関係にある。女子学習院を卒業し、昭和二十三年に弘師と結婚。戦災で灰燼に帰した寺の復興に弘師と共に汗を流し、バラック建てから堂宇再建に坊守(ぼうもり=浄土真宗で住職の妻を言う)として内助の功を発揮した。
勧山雅子さん献眼
また、雅子さんは、我が国アイバンク運動の草分けである弘師、弘師の母親と共に昭和三十九年にアイバンク登録しており、目の不自由な人のために角膜を提供した。この献眼の担当は沼津ライオンズクラブ。
(沼朝平成21年7月29日(水)号)
(すすやま・まさこ=勧山弘・真楽寺住職の妻)は、二十七日午前十時二十分、老衰のため療養先の医院で死去した。八十五歳。住所は末広町一七〇。
通夜が三十日午後七時から真楽寺で行われ、葬儀・告別式は三十一日午前十一時から同寺で。その後、身近な親族、親しい間柄の人達の見送りを受けながら出棺、火葬。喪主は弘(ひろむ)師。
雅子さんは、旧日向佐土原藩主の旧伯爵島津久範の次女。旧薩摩藩主、島津忠義の孫にあたり、香淳皇后とは、いとこの関係にある。女子学習院を卒業し、昭和二十三年に弘師と結婚。戦災で灰燼に帰した寺の復興に弘師と共に汗を流し、バラック建てから堂宇再建に坊守(ぼうもり=浄土真宗で住職の妻を言う)として内助の功を発揮した。
勧山雅子さん献眼
また、雅子さんは、我が国アイバンク運動の草分けである弘師、弘師の母親と共に昭和三十九年にアイバンク登録しており、目の不自由な人のために角膜を提供した。この献眼の担当は沼津ライオンズクラブ。
(沼朝平成21年7月29日(水)号)