2008年08月29日
井村陽三監督(44)
井村陽三監督(44)
実を結んだ熱血指導
北京五輪で教え子松永「銀」

「創部23年目の集大成:飛龍高レスリング部」
北京五輪男子レスリングフリースタイル55㌔級で銀メダルに輝いた松永共広(28)=綜合警備保障、焼津市出身、沼津学園高(現・飛龍高)出=。現地で見届けた飛龍高レスリング部の井村陽三監督(44)は「夢じゃないよなぁ」と感慨に浸った。教え子の快挙は自らが立ち上げたレスリング部23年目の集大成。取り組んできたことが間違っていない証明だった。
「とにかくキツかったがあの3年間があったから今の自分がある」と松永が振り返った高校時代。井村監督が大学卒業直後に創部した。道場づくりからの出発だった。兄弟校の桐陽高の空き教室に、譲り受けた古いマットを敷き詰めた。決して恵まれた環境ではなかったが、格闘技ブームもあって大勢の部員が集まった。
「情熱は生徒に伝わる」というのが井村監督の一貫した信条。自らが先頭に立って朝練も昼練も放課後も生徒と同じメニューをこなし、基礎を徹底して教え込んだ。1期生の土田弘志OB会長(38)は「スパーリングには最初から最後まで入っていた。日本一情熱を持って指導してくれる先生だと、心に伝わるものがあった」と当時を懐かしむ。
「持っている能力を最大限に引き出してやるのが僕の役目」と井村監督。初心者に対しても同じだ。中学まで運動経験のなかった山田秀平(3年、沼津大岡中出身)は団体メンバーとして全国総体を戦った。「先生は一人
一人を戦力として見てくれる。マイナス思考で何一ついいところのなかった自分の人生は180度変わった」と、入部当時から約15㌔減の鍛え上げた肉体と自信を手にした。
同校は全国選抜で団体優勝、全国総体で団体準優勝、全国王者16人を輩出した。皮肉にも強くなるほど厳しい練習が敬遠され、入部者が減る苦しい時代となったが"井村イズム"を受け継ぐOBが支えている。平成10年に発足した沼津学園ジュニアレスリングクラブでは土田OB会長が監督を務め、2期生の植松史隆コーチ(36)らとジュニアの育成に取り組んでいる。
中学で競技をやめる子供が多いのが悩みだったが、植松さんは「松永が子供に夢を与えてくれた。自分もやればできると思い始めている」と喜ぶ。「全国総体で団体優勝」という井村監督の次なる夢に"松永効果"が追い風になりそうだ。
(静新平成20年8月28日夕刊)
実を結んだ熱血指導
北京五輪で教え子松永「銀」

「創部23年目の集大成:飛龍高レスリング部」
北京五輪男子レスリングフリースタイル55㌔級で銀メダルに輝いた松永共広(28)=綜合警備保障、焼津市出身、沼津学園高(現・飛龍高)出=。現地で見届けた飛龍高レスリング部の井村陽三監督(44)は「夢じゃないよなぁ」と感慨に浸った。教え子の快挙は自らが立ち上げたレスリング部23年目の集大成。取り組んできたことが間違っていない証明だった。
「とにかくキツかったがあの3年間があったから今の自分がある」と松永が振り返った高校時代。井村監督が大学卒業直後に創部した。道場づくりからの出発だった。兄弟校の桐陽高の空き教室に、譲り受けた古いマットを敷き詰めた。決して恵まれた環境ではなかったが、格闘技ブームもあって大勢の部員が集まった。
「情熱は生徒に伝わる」というのが井村監督の一貫した信条。自らが先頭に立って朝練も昼練も放課後も生徒と同じメニューをこなし、基礎を徹底して教え込んだ。1期生の土田弘志OB会長(38)は「スパーリングには最初から最後まで入っていた。日本一情熱を持って指導してくれる先生だと、心に伝わるものがあった」と当時を懐かしむ。
「持っている能力を最大限に引き出してやるのが僕の役目」と井村監督。初心者に対しても同じだ。中学まで運動経験のなかった山田秀平(3年、沼津大岡中出身)は団体メンバーとして全国総体を戦った。「先生は一人
一人を戦力として見てくれる。マイナス思考で何一ついいところのなかった自分の人生は180度変わった」と、入部当時から約15㌔減の鍛え上げた肉体と自信を手にした。
同校は全国選抜で団体優勝、全国総体で団体準優勝、全国王者16人を輩出した。皮肉にも強くなるほど厳しい練習が敬遠され、入部者が減る苦しい時代となったが"井村イズム"を受け継ぐOBが支えている。平成10年に発足した沼津学園ジュニアレスリングクラブでは土田OB会長が監督を務め、2期生の植松史隆コーチ(36)らとジュニアの育成に取り組んでいる。
中学で競技をやめる子供が多いのが悩みだったが、植松さんは「松永が子供に夢を与えてくれた。自分もやればできると思い始めている」と喜ぶ。「全国総体で団体優勝」という井村監督の次なる夢に"松永効果"が追い風になりそうだ。
(静新平成20年8月28日夕刊)