2012年08月20日

 大井一郎氏

 思い出の記 大井一郎
 大井一郎氏
 創立50周年を祝福し、団の運営に当たられている皆様に感謝します。
発足は、少年少女合唱団構想をお持ちの故松下隆二先生と、先生と親しかったフォンテーヌの吉田謹治が沼津青年会議所(以下JCと称す)の会員であった関係で、丁度沼津JCが日本JC東海地区会員大会を主管した記念事業として合唱団は誕生しました。設立への強い信念をお持ちの松下先生をお手伝いした時の沼津JC理事長の私が生みの親と云われ、面映い思いです。設立時、沼津市教育委員会のあたたかな全面協力で、全市小学校4,5年生の美声の少年少女をセレクトされ、また小学校の音楽教師3名が参加と、全市をあげての発足でした。
 練習は第一小学校の体育館(講堂兼用)で、沼津JC青少年委員長の故加藤晴俊と前述の吉田謹治の姿がいつも会場にありました。私は今でも"森の教会堂"の途中何節かは口ずさむことが出来ます。
 ヨーロッパへの演奏旅行とか数々の優勝と華々しい活躍は各氏のご祝辞又思い出の記へ譲るとしまして(韓国への演奏旅行に同行された後援会長故遠藤永太郎さんの孫、遠藤啓太が本年度沼津JC理事長です)、私が忘れることが出来ないのは先生のご長男高也の痛ましい交通事故死です。葬儀委員長としての弔辞で"幼子がバスに引きずられ、命を賭して走り、力尽き"と鮮明に思い出します。やりきれない悲しい出来事でした。
 爾来、先生は明るく振舞っていましたが、フト淋しげなお姿が思い出されます。そして、先生の葬儀委員長として"先生は音楽家として又合唱の指導、指揮者として超一流でありましたが、世に出て名声を博するか否かは全くの運次第"と申し上げ、超一流の運動選手がオリンピックに出場できるか否かと同じこととの弔辞を思い出しました。例はあげませんが、今でも合唱の指導、指揮者としては全くに秀でていらっしゃった先生と思います。
 この様な訳でして、発足時と松下先生個人との事のみ色濃く思い出します。以后の団のことはよく理解しておりませんでしたが、先生の一周忌の時、発足当時の団の子供達(失礼)と強い結びつきを感じました。そしてこの50周年記念の記述です。
 合唱団の団とは団子です、固まりです。ぜひ団員とOB・OG全体は元より、同じ世代、同じ苦労を分かち合った個々の固まりが、終生の友として絆を育み続けますことを念じて思い出の記とします。
(結成50周年記念演奏会:沼津少年少女合唱団記念誌より)


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Posted by パイプ親父 at 10:02│Comments(0)人物
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