2009年06月01日
佐野主税:アサヒビール名誉顧問(三島市出身)
佐野主税:アサヒビール名誉顧問(三島市出身)
【さの・ちから氏 昭和5年生まれ。三島市出身。沼津中学(現沼津東高)、慶大法学部卒。アサヒビールに入社し、副社長を経て平成2年、アサヒ飲料設立と同時に社長に就任。同社会長、相談役を経て平成16年5月からアサヒビール名誉顧問。大学時代にボート部だった縁で日本ボート協会長も務める。】
"自然保護"の定着期待
三島というと、水の町として有名です。東海道線三島駅に降り立つと、それにふさわしいしつらえがしてあり、それに続く楽寿園とそこから流れる川はいつも清らかに保たれています。そのためのボランティアによる自然トラスト活動が行われています。
私は三島市田町の出身でありますが、今では南田町という町名になっています。三島市が南に延びて、中郷村(現在は三島に編入)と接していました。あたりはまさに水の都と言える所で、背景に富士山を仰ぎ、東は箱根連山を見て冬になると風はかなり冷たかったものです。四つ川という冷水が田んぼの間を流れ、先の先に"どんどん"という急流で深い川がつながっていました。そこに飛び込み、泳ぐことは少年たちの誇りであったかと思います。そのあたりを、夏になりますとホタルが舞っていました。何とも言えない、自然そのものでした。
一方、北の方の街を見渡すと、高層ビルとしては唯一、三島信用金庫の建物のみでした。また、軍都ということで野戦重砲連隊が向き合って2つあり、旅団司令部もありました(現在、日大三島校舎、三島北高、北中等になっています)。
その広い、練兵場に時に飛行機が飛来し、それを伝え聞いた私たちは跳んで見に行ったものでした。現在は東レ三島工場となっています。
今まで書いた景色は現在、大きく変わりました。人口は市制ギリギリの3万人から、10万人を超えるまでに膨らんでいます。現在有名になっている柿田川湧水はすぐ近くにあり、付近一帯がまさに水、水、水であったわけです。ここにもボランティアグループがあり、環境運動が行われています。
本年4月25日、東京三田の慶応大学で毎月1回行われている"あるびよんクラブ"(英国が好きで学ぶ会)において慶大の横山千昌教授の「アメニティとは何か」という講演をうかがいました。
それによると、イギリスでこの環境問題はどうなっているのかというと、元々主としてイングランドにはコモンズーCOmmOnS(共有地、入会地)ーという制度があり、これが大きく働いているようです。フットパス(公共の散歩道)や盛んなウオーキングにもつながっていて、そのために所番地がなく○○家という表示しか存在しない土地があります。日本のように私権を持てば何をしてもよいということにはならないようです。有名なコツウオルズのウオーキングもその一つとの事だそうです。
経済発展し、地方都市が変わるのはやむを得ないこととは思いますが、自然保護の考え方はますます重要になってくると思います。わが故郷三島市が市のコンセプトとして、こういうことに深い理解があるのは素晴らしいことです。これからもぜひ、こういう方向で進めていただきたいと思います。
(静新平成21年6月1日「随想・水のうた」)
【さの・ちから氏 昭和5年生まれ。三島市出身。沼津中学(現沼津東高)、慶大法学部卒。アサヒビールに入社し、副社長を経て平成2年、アサヒ飲料設立と同時に社長に就任。同社会長、相談役を経て平成16年5月からアサヒビール名誉顧問。大学時代にボート部だった縁で日本ボート協会長も務める。】
"自然保護"の定着期待
三島というと、水の町として有名です。東海道線三島駅に降り立つと、それにふさわしいしつらえがしてあり、それに続く楽寿園とそこから流れる川はいつも清らかに保たれています。そのためのボランティアによる自然トラスト活動が行われています。
私は三島市田町の出身でありますが、今では南田町という町名になっています。三島市が南に延びて、中郷村(現在は三島に編入)と接していました。あたりはまさに水の都と言える所で、背景に富士山を仰ぎ、東は箱根連山を見て冬になると風はかなり冷たかったものです。四つ川という冷水が田んぼの間を流れ、先の先に"どんどん"という急流で深い川がつながっていました。そこに飛び込み、泳ぐことは少年たちの誇りであったかと思います。そのあたりを、夏になりますとホタルが舞っていました。何とも言えない、自然そのものでした。
一方、北の方の街を見渡すと、高層ビルとしては唯一、三島信用金庫の建物のみでした。また、軍都ということで野戦重砲連隊が向き合って2つあり、旅団司令部もありました(現在、日大三島校舎、三島北高、北中等になっています)。
その広い、練兵場に時に飛行機が飛来し、それを伝え聞いた私たちは跳んで見に行ったものでした。現在は東レ三島工場となっています。
今まで書いた景色は現在、大きく変わりました。人口は市制ギリギリの3万人から、10万人を超えるまでに膨らんでいます。現在有名になっている柿田川湧水はすぐ近くにあり、付近一帯がまさに水、水、水であったわけです。ここにもボランティアグループがあり、環境運動が行われています。
本年4月25日、東京三田の慶応大学で毎月1回行われている"あるびよんクラブ"(英国が好きで学ぶ会)において慶大の横山千昌教授の「アメニティとは何か」という講演をうかがいました。
それによると、イギリスでこの環境問題はどうなっているのかというと、元々主としてイングランドにはコモンズーCOmmOnS(共有地、入会地)ーという制度があり、これが大きく働いているようです。フットパス(公共の散歩道)や盛んなウオーキングにもつながっていて、そのために所番地がなく○○家という表示しか存在しない土地があります。日本のように私権を持てば何をしてもよいということにはならないようです。有名なコツウオルズのウオーキングもその一つとの事だそうです。
経済発展し、地方都市が変わるのはやむを得ないこととは思いますが、自然保護の考え方はますます重要になってくると思います。わが故郷三島市が市のコンセプトとして、こういうことに深い理解があるのは素晴らしいことです。これからもぜひ、こういう方向で進めていただきたいと思います。
(静新平成21年6月1日「随想・水のうた」)
Posted by パイプ親父 at 12:28│Comments(0)
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