2008年11月25日
青木登氏
協和発酵キリン富士工場
青木登(あおきのぼる)工場長
患者意識した医薬品開発
長泉町下土狩の富士工場、研究拠点の富士リサーチパークを含む事業所の責任者。外資系製薬メーカーを経て、協和発酵工業で一貫して研究畑を歩んできた。製剤研究所長から二〇〇七年六月現職に。〇八年十月、キリンファーマとの合併で発足した協和発酵キリンの基幹工場となるよう尽力する。
ー富士工場の主要製品を聞かせてください。
「抗がん剤や抗アレルギー剤、降圧薬などの錠剤や注射剤など約八十品目を製造している。需要や営業戦略に応じて生産ラインを切り替え、少量多品種生産を担当する」
ー長泉町という立地のポイントは何ですか。
「医薬品製造に欠かせない良質な水が豊富なことが一番。東京本社との交通の便も良く自然も豊かで、首都圏など県外の学生を採用するのにも魅力がある。また、県立静岡がんセンターや国立遺伝学研究所なども近く、ファルマバレーを通じた情報交流も盛んに行われている」
ー新会社発足で、何に重点的に取り組んでいますか。
「新会社でも高品質の医薬品を安定供給するマザー工場となるため、医薬品の製造管理および品質管理の基準(GMP)を高いレベルで保つべく業務品質向上活動『JUMP』を進めている。人員配置や作業平準化など改善が必要な課題の掘り起こしを全社員で取り組んでいる」
ービジネス上の信条は。
「年間十億錠の薬を作ろうとも一錠一錠の薬効、品質を保証できること。一番大切な人に自信を持って投与できる薬の安全性と品質を確保するため、常に患者さんの存在を強く意識し、患者さんのニーズに合った薬を開発製造していきたい」
若手社員とお酒を楽しむことがストレス解消。沼津市出身。五十四歳。
(静新平成20年11月25日「ビジネスinシズオカ」)

患者意識した医薬品開発
長泉町下土狩の富士工場、研究拠点の富士リサーチパークを含む事業所の責任者。外資系製薬メーカーを経て、協和発酵工業で一貫して研究畑を歩んできた。製剤研究所長から二〇〇七年六月現職に。〇八年十月、キリンファーマとの合併で発足した協和発酵キリンの基幹工場となるよう尽力する。
ー富士工場の主要製品を聞かせてください。
「抗がん剤や抗アレルギー剤、降圧薬などの錠剤や注射剤など約八十品目を製造している。需要や営業戦略に応じて生産ラインを切り替え、少量多品種生産を担当する」
ー長泉町という立地のポイントは何ですか。
「医薬品製造に欠かせない良質な水が豊富なことが一番。東京本社との交通の便も良く自然も豊かで、首都圏など県外の学生を採用するのにも魅力がある。また、県立静岡がんセンターや国立遺伝学研究所なども近く、ファルマバレーを通じた情報交流も盛んに行われている」
ー新会社発足で、何に重点的に取り組んでいますか。
「新会社でも高品質の医薬品を安定供給するマザー工場となるため、医薬品の製造管理および品質管理の基準(GMP)を高いレベルで保つべく業務品質向上活動『JUMP』を進めている。人員配置や作業平準化など改善が必要な課題の掘り起こしを全社員で取り組んでいる」
ービジネス上の信条は。
「年間十億錠の薬を作ろうとも一錠一錠の薬効、品質を保証できること。一番大切な人に自信を持って投与できる薬の安全性と品質を確保するため、常に患者さんの存在を強く意識し、患者さんのニーズに合った薬を開発製造していきたい」
若手社員とお酒を楽しむことがストレス解消。沼津市出身。五十四歳。
(静新平成20年11月25日「ビジネスinシズオカ」)
前田嘉男N観光ボランティア会長
植松泰右 トーヨーアサノ社長
ゴトー社長 後藤久徳(ごとうひさのり)氏(56)
法華宗第138代管長に 光長寺原井日鳳貫首が就任
沼津市教育長に就任した 奥村篤(おくむらあつし)さん
光藤あさ美さん
植松泰右 トーヨーアサノ社長
ゴトー社長 後藤久徳(ごとうひさのり)氏(56)
法華宗第138代管長に 光長寺原井日鳳貫首が就任
沼津市教育長に就任した 奥村篤(おくむらあつし)さん
光藤あさ美さん
Posted by パイプ親父 at 13:58│Comments(0)
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