2008年11月22日

名取栄一翁伝:2

名取栄一翁伝2
没後50年、足跡は今・2
「沼津信用金庫を創設」
 商都、戦災から復興
 昭和三十三年の成人の日。水上直行さん(七〇)=現沼津信用金庫顧問=ら成人式を迎えた沼津信金の五人の行員が、名取邸を訪ねた。初代理事長の名取栄一翁は緊張でコチコチの一人一人に笑いかけながら記念の万年筆を手渡し、「信金というのは、儲けばかりじゃだめなんだ」などと中小企業金融の心得を伝えた。
 沼津市は二十年七月の空襲で中心部のほとんどが焦土となった。戦後、中小企業や商店街の復興に向け、先立つものはなんと言ってもカネ。バラックで仮店舗は建てられても、市中銀行は貸し出し制限がかけられ、商品を仕入れる資金を簡単に貸してくれる機関が少なかった。
名取栄一翁伝:2 名取翁は「戦災復興のため、何より先に中小企業者を再起させる金融機関をつくるべき」と決意し、市内有力者らと二十五年、沼津信用組合(翌年、信用金庫に)を創設。沼津商工会議所の一角で業務を始めた。
 創立当初は日銭が入る魚市場や青果市場、西浦などの農業組合に協力を求めて預金してもらい、その資金を中小企業や地域の商店に低利で貸し出した。「担保などはほとんど取らなかったそうである」と名取栄一翁伝記は伝える。
 担保を入れればどの銀行でも貸し出すが、戦災で傷んだ中小企業者、商店は入れるべき担保がない。名取翁は「事業場が事業をするのではない。人間が事業をするのだ」と経営者の評価に融資基準の重点を置いた。
 毎朝十時には出勤。給与は辞退した。「和服の着流し姿が定番。いつもニコニコしていたと聞いている」と堀田大洋同信金専務は、会議室に飾られた和服姿の肖像写真を見上げた。
 水上さんは「名取翁は雲上人。二十歳そこそこの行員が話しかけるなんて考えたこともなかったが、取引先からは"名取のおじいさん"と慕われていた」と振り返る。
 沼津信用金庫は商都沼津を復活させ、多くの中小メーカーを育成した。今年一月には御殿場市を本拠とする駿河信用金庫と合併。駿東から北駿全域と伊豆の一部をエリアに、県内八位の預金規模の信用金庫となった。
 合併を前に五十六年発行の「名取栄一翁小伝」を増刷した諏訪部恭一・六代目理事長は「経済競争の中で、信用金庫も収益第一主義に陥りがち。中小企業を取り巻く環境が厳しい今こそ、名取翁の思いをかみしめ、信金の原点に戻るべき」と言葉に力を込めた。
 【沼津信用金庫】本店は沼津市大手町。沼津、御殿場、三島、裾野市などに32店舗。2008年3月期の預金期末残高は3714億円、貸出金は1796億円。
(静新平成20年11月22日「名取栄一翁伝」)


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Posted by パイプ親父 at 09:56│Comments(0)人物
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