2012年03月22日

ノーマン・ミネタ氏

ノーマン・ミネタ氏
ノーマン・ミネタ氏
 両親の古里、清水町と三島市を訪れた元米閣僚
 差別撤廃へ教育が大切 正しい決断重ね復興を
【ノーマン・ミネタ氏 1931年.米カリフォルニア州サンノゼ市生まれ。日系2世。父は清水町出身の峰田国作、母は三島市出身のかね(旧姓渡辺),サンノゼ市長、米下院議員などを経て2000年にクリントン政権で商務長官、日系初の米閣僚となった。ブッシュ政権では運輸長官。現在は大手広告会社ヒル・アンド・ノウルトンの副会長を務める。】
 元米閣僚で両親の故郷の清水町と三島市を訪れたノーマン・ミネタ氏(80)がこのほど、静岡新聞社の単独インタビューに応じた。ミネタ氏は運輸長官時に遭遇した2001年9月の米中枢同時テロで、第2次大戦中に日系人として強制収容された経験から、米国内に渦巻く反イスラム感情に毅然とした姿勢を貫いた。人種差別を繰り返してはならないと訴え、東日本大震災からの日本の復興にもエールを送った。
 ー両親の古里を訪問した感想は。
 「大きな喜び。アメリカ人であることと同時に、先祖に誇りを持っている。自分の成功があるのはすべて、両親と家族のおかげ。自宅には父が撮った冨士山の写真がたくさん飾ってあり、私も軍にいた1955年に頂上まで登った」
 ーテロの時は航空行政のトップとしてどのような意志で臨んだのか。
 「人種や宗教的な理由で、旅客機への搭乗拒否などの差別を絶対にしてはならないと言った。それは自分が日系人というだけで強制収容された経験があるからだ。差別は未知から起こる。教育が大切だ」
 ー下院議員時代は「市民の自由法」(日系アメリカ人補償法)の成立に力を注いだ。
 「88年にレーガン大統領が法案に署名し、自由と権利を侵害したことを謝罪、損害賠償も実現した。法案提出から10年以上たっていた。多くの日系人の努力のたまもので、感無量だった」
 ー強制収容とはどんなことだったのか。
 「命令から1週間ほどの間にキャンプに移らなければならなかった。11歳の少年にとって飼っていた犬をあきらめるのはつらく、父は農場も仕事も全て失った。温かいサンノゼから北のワイオミングへの移動で、とても寒く、凍えた」
 ー日米関係への期待は。
 「さらに強固に、アジアの近隣諸国に何が起ころうとも揺るがない絆を築くべき。日本は世界有数の経済大国。自信を取り戻してほしい。私にとってルーツであり、偉大な国だが、まだ完全に世界の中で使命を果たしていない」
 ー東日本大震災をどう受け止めたか。
 「世界中が日本を支援する重責を担っている。復興には、日本が正しい決断を積み重ねていくことが重要だ」
 (聞き手=東部総局。川内十郎)
(静新平成24年3月22日朝刊「インタビュー」)


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Posted by パイプ親父 at 11:30│Comments(0)人物紹介
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