2013年04月16日

全国飲食業生活衛生同業組合長森川進氏

全国飲食業者の代表に
 森川進さん「飲食業は命を預かる仕事」

 全国飲食業生活衛生同業組合連合会の第十一代会長に「こがね」の森川進さん(75)=写真=が就任した。
 北海道から沖縄までを包括する、厚生労働省認可組合の中で「群を抜いて大きい」組織である同会だが、近年は中小の飲食業界の苦戦が続いている。沼津支部もバブルの絶頂期には千三百あった組合員が現在は五百五十と半減。長期にわたる不景気で全国的にも同様の傾向が見られる、という。
 同組合は静岡県が発祥の地。森川会長は「昭和三十六年の設立当時は、小さな店には銀行も金を貸さない時代。組合員になることで国民金融公庫(当時)の融資が受けやすかった。一人ではかなわないことを組織として応援できた」と組合の位置付けがしやすかった頃を振り返る。
 全国組織の代表となり、「予期しない就任に戸惑った」とは言うものの、森川会長には大変な時代の舵取り役を担う気負いはない。
 沼津支部長の後、県の理事長を十二年間務めた実績と温厚な人柄で全会一致での就任となった。年度替わりともなると関係行政機関担当者や議員との折衝のほか、全国を駆け巡る多忙な日々を送る。
 個店の飲食業者にとっては、大手飲食チェーンの進出に加え、「手渡しで無限に売ることができる」コンビニの台頭が最大の問題。
 「家族で頑張れば取りあえず食べていかれるわけで、家族経営ならではのきめ細かいサービスや、培ってきた個性を強烈に発揮してもらえたら」と望み、「組合はコンサルタントではない」ときっぱり。
 「経営者は組合を大いに活用してもらうことで、世間の風に当たってほしい」と呼び掛けるとともに、「何より衛生を重視し、『飲食業は命を預かる仕事』だとの誇りを持ち、共に繁栄の道を歩み、健全な組織体にしていきたい」と抱負を語った。
《沼朝平成25年4月16日(火)号》
  

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2013年04月16日

三国連太郎さん死去 県内悼む声(静新記事)

伊豆、沼津を愛した名優
三国連太郎さん死去 県内悼む声


 俳優の三国連太郎さんの死去が報じられた15日、三国さんとゆかりがある伊豆や県東部の人からは、日本を代表する名優の死を惜しみ、温かい人柄をしのぶ声が相次いだ。
 三国さんは両親の出身地の松崎町で幼少期を過ごした。三国さんのいとこの故増田フミさんの娘で下田市柿崎で民宿を経営する紀恵さん(77)は、30~40年ほど前、三国さんが民宿の離れに泊まり込んで小説を書いていた秘話を語った。銀幕のスターになってからも付き合いは続き、「とても気さくな人で、仲間内でバーベキューをするのが好きだった」と振り返った。西伊豆町仁科の文具店経営須田三枝さん(88)は、他界した夫の孝太郎さんが三国さんのいとこ。「休暇に店を訪れては、自宅のようにくつろいで気さくに子どもを抱っこしてくれた」と温かい人柄を懐かしんだ。
 昨年公開された映画「わが母の記」は三国さんの遺作となった。体調が優れない中で撮影に臨み、死期迫る主人公の父親を熱演した。メガホンを執った沼津市出身の原田真人監督(63)は「自然な演技を最後まで貫いた日本を代表する俳優。一度でも作品をご一緒できて光栄だった」と名優の死を悼んだ。
 三国さんは晩年、沼津市に移り住み、市の魅力を全国に発信する「燦々(さんさん)ぬまづ大使」を務めた。三国さんに就任を依頼した元市長の斎藤衛さん(75)は「豊かな人生経験に裏打ちされた人間としての深さを感じた」と当時の印象を語った。大使就任が縁で親交を深めた元沼津商工会議所専務の三沢幸男さん(67)も「全国の撮影現場に招待していただき、一緒に沼津のPRをしてくれた」と感謝の気持ちを口にした。
 栗原裕康市長は「沼津の海と街を愛してくれたことは市民の誇り」とコメントした。
《静新平成25年4月16日(火)朝刊》

「大自在」
 伊豆ゆかりの文豪・井上靖の自伝的小説を基にした映画「わが母の記」・(2012年公開)冒頭のシーン。老いさらばえ、死を前にした父親が役所広司さん演じる主人公の手を握り、何ごとかつぶやく。ただそれだけ▼三国連太郎さんが60年以上の役者人生を演じきって、舞台を去った。「わが母の記」では、前知識がなければ、父親役が三国さんであることに気づかない。自然な振る舞い。ただ寝ている病床から、腕を弱々しく上げただけで存在感を感じさせた▼身長180㌢、がっちりとした体つき。若いころは日本人離れした二枚目ぶりを演じ、それを自ら壊していく壮年期。悪役を通し輝く。そんなイメージを大きく変えたのが映画「釣りバカ日誌」シリーズのスーさん役だった▼ハマちゃん、スーさん名コンビの人気漫画。ハマちゃん役の西田敏行さんは原作の通り。しかし三国さんは、原作のスーさんのほっそりした体型から想像もつかない起用。「一話だけという約束で引き受けたんです。でも絶妙の相手役に恵まれて」。番外編を含め22作に及忍ヒットを生んだ▼父母の生地、松崎町で幼少期髪過ごした。晩年は「母の骨をまいた駿河湾高台に移り住んだ。沼津市をPRする「燦々ぬまづ大使」も快く引き受けた▼「飾らない人柄」と近所付き合いをしていた元沼津商工会議所専務の三沢幸男さん。読書家で旺盛な好奇心の持ち主。都内のリハビリ先でも「生涯現役」と話していたという。向こうの世界ではどんな役を演じるのだろう。
 2013・4・.16
《静新平成25年4月16日(火)朝刊》
  
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Posted by パイプ親父 at 06:06Comments(0)訃報