2009年07月24日
橘周太中佐
「板妻駐屯地の橘中佐銅像」(御殿場)
生きざま「現役隊員の誇り」
陸上自衛隊板妻駐屯地(御殿場市)の第34普通科連隊は別名「橘連隊」。日露戦争中、中国・首山堡で戦死した名指揮官橘周太中佐の名に由来する通称で、全国で個人の名を冠した部隊は唯一だといわれる。
橘中佐は陸軍の教官などを経て、静岡の歩兵第34連隊大隊長に就いた。厳しい修練に率先して臨み、戦地では住民の生活安定に励んだとされ、情深く統率の取れた34連隊の紋章は戦乱に巻き込まれた人々にも安心感を与えたと評されている。
その至誠の生涯を模範にしようと、1977年に多くの人々の寄付で銅像が建立された。軍刀を手に戦況をうかがう姿を再現した立像で、連隊幹部は「陸軍と自衛隊の立場は異なるけれど、日本の未来のため命を懸けた生きざまは現役隊員の誇りだ」と力を込める。
(静新平成21年7月24日「ふるさと探訪」)
生きざま「現役隊員の誇り」

橘中佐は陸軍の教官などを経て、静岡の歩兵第34連隊大隊長に就いた。厳しい修練に率先して臨み、戦地では住民の生活安定に励んだとされ、情深く統率の取れた34連隊の紋章は戦乱に巻き込まれた人々にも安心感を与えたと評されている。
その至誠の生涯を模範にしようと、1977年に多くの人々の寄付で銅像が建立された。軍刀を手に戦況をうかがう姿を再現した立像で、連隊幹部は「陸軍と自衛隊の立場は異なるけれど、日本の未来のため命を懸けた生きざまは現役隊員の誇りだ」と力を込める。
(静新平成21年7月24日「ふるさと探訪」)
Posted by パイプ親父 at 12:37│Comments(0)
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