2011年04月24日

大賀典雄氏死去 81歳

 大賀典雄氏死去 81歳
 元ソニー社長、沼津市出身
大賀典雄氏死去 81歳
 元ソニー社長で、クラシックの東京フィルハーモニー交響楽団の会長・理事長も務めた大賀典雄(おおが・のりお)氏が23日、死去した。81歳。沼津市出身。
「静新平成23年4月24日(日)」

ソニー:元社長の大賀典雄氏、死去-81歳、葬儀は近親者のみ
  4月24日(ブルームバーグ):元ソニー社長で音楽家としても著名な大賀典雄(おおが・のりお)氏が23日午前9時14分、多臓器不全で死去した。81歳だった。葬儀は近親者のみで、社葬は後日行う。
  ソニーが23日、ホームページで発表した。大賀氏は東京芸大音楽学部に在学中、創業者の井深大、盛田昭夫両氏に見込まれ、在学中に嘱託契約を結び、1959年に入社。82年社長就任、95年会長。2003年に名誉会長、06年から相談役。
  ソニー製品の品質、機能、デザイン、宣伝の向上に努め、数々の製品を送り出し、「SONY」を世界的なブランドに育てた。小型光ディスクの開発では陣頭指揮を執り、演奏時間をベートーベンの「第9」が収まる75分、直径12センチとすることを主張、現在のCD音楽ソフトの土台を築いた。
  ハードとソフトを「車の両輪」として68年にCBSソニーレコードを設立、78年には年間売上高・利益で業界1位に育てた。
  音楽家としては日本音楽芸術振興会の理事長に就任、若手音楽家の育成、音楽芸術活動の普及に尽力した。01年に勲一等瑞宝章、フランス、ドイツなど世界各国からも勲章を受章した。
  ストリンガー会長兼社長は「これまでの日本企業が成し遂げられなかったハードとソフトの両事業に着目し、成功に導いた類まれな経営者だった。ソニーが世界的なエレクトロニクス&エンタテインメント企業に変貌を遂げたのは、大賀さんの多大な功績」とのコメントを発表した。

大賀典雄ソニー元社長が死去 異色の経営者
大賀典雄氏死去 81歳

配信元:産経新聞
2011/04/23 23:55更新
記事本文 元ソニー社長の大賀典雄(おおが・のりお)氏が23日午前9時14分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。81歳。静岡県出身。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は妻、緑(みどり)さん。後日、社葬を執り行う。
大賀氏は、東京芸術大学卒業後、ソリスト(独唱者)など音楽家として活躍。ドイツ留学後の昭和34年、29歳でソニー創業者の井深大、盛田昭夫両氏から誘われ、同社に入社した。36年にデザイン室長と宣伝部長を兼務し、「SONY」のロゴマーク策定を手掛けるなどブランドの認知で先頭に立ち、ソニーを国際企業として飛躍させることに貢献した。
 39年に取締役、57年に社長に就任。映画会社の米コロンビア・ピクチャーズを買収し、音響・映像機器のハードと、音楽や映像コンテンツ(情報の中身)などのソフトを両輪とした事業を推進した。
 財界では経済団体連合会副会長に就任、電機業界団体トップも務めるなど業界発展にも力を入れた。

 平成15年にソニー取締役を退任したが、カラヤンら音楽家との交流を続け、後年は指揮者として世界の著名楽団と競演するなど精力的に活動。病気療養で滞在した長野県軽井沢町に音楽ホールがなかったことから退職金を寄付し、「軽井沢大賀ホール」が建築された。

 大賀典雄氏
ソニーの飛躍指揮 沼津で「タクト」、交流
大賀典雄氏死去 81歳
「哀惜」 23日死去したソニーの大賀典雄氏は、同社を家電製品を製造する電機メーカーから、ソフトウエアも併せ持つ複合企業へと変身させた。「ハードとソフトは車の両輪」として、社長在任中の13年間に音楽や映画などのソフト事業に参入し、ソニーの飛躍を指揮した。
 大賀氏は、入社直後から商品ごとにばらばらだったデザインや広告を見直し、「SONY」のロゴのデザインも手掛けるなど、当時の日本では先駆的なブランド戦略を推進。洗練された企業イメージの確立に貢献した。さらに、CDをオランダ電機大手フィリップスと共同開発し、レコードに代わる記録媒体の規格統一を陣頭指揮。特にCDの収録時間をめぐって、約75分あるベートーベンの「交響曲第九番」など主要なクラシック楽曲を1枚に収めることを要求し、約60分を主張したフィリップスを押し切ったことは有名だ。
 CD開発の理解者だったオーストリアの名指揮者カラヤンとは公私ともに親密で、カラヤンの最期をみとったことでも知られる。ベルリン国立芸術大学を首席で卒業し、ベルリンフィルなどで指揮者、音楽家としても活躍した。
 出身地の沼津市でもオーケストラの公演を度々開いて自ら指揮を執ったほか、市ゆかりの著名人として地元のPRにも協力するなど、郷里の発展に寄与した。
 沼津市の千本で育った大賀氏は幼いころから声楽家を目指し、沼津市立第二小、旧制沼津中(現県立沼津東高)から音楽の道に進んだ。ソニーの会長時代に理事長に就任した東京フィルハーモニー交響楽団を率い、沼津市内では2002年と04年にタクトを振るったほか、地元の子供たちとも交流を深めた。
 1992年には同市の魅力を広く紹介する「燦々(さんさん)ぬまづ大使」に就任するなど、地域振興にも一役買った。浜松市には大賀氏が先祖から受け継いだ土地約1800平方㍍を寄贈。現在は農園と公園を併せた「鴨江いきいき菜園」として整備されている。
 沼津東高の後輩にもあたる栗原裕康沼津市長は「世界的に名の通った偉人でありながら、故郷への愛をもって地元のために活動してくださった。訃報を聞き、大変残念に思う」と話した。

 大賀氏は23日午前9時14分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は妻緑(みどり)さん。後日、社葬を執り行う。
「静新平成23年4月25日(月)」




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Posted by パイプ親父 at 10:18│Comments(0)訃報
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