2011年03月11日
坂上二郎さん死去
「コント55号」「飛びます」坂上二郎さん死去 76歳2011年3月11日1時53分
お笑いコンビ「コント55号」の一人として「飛びます、飛びます」などのギャグで知られ、俳優や歌手としても活躍した坂上二郎(さかがみ・じろう)さんが10日、脳梗塞(こうそく)のため栃木県内の病院で死去した。76歳だった。葬儀は近親者のみで執り行う。
鹿児島市生まれ。中学卒業後に地元のデパートに勤めながら、歌手を目指して声楽を勉強。NHKのど自慢で県代表になり、1953年に上京した。歌手の青木光一さんの付き人や島倉千代子さんの歌謡ショーの司会などをへて、浅草の劇場で出会った萩本欽一さん(69)と66年に「コント55号」を結成。「お昼のゴールデンショー」(68年)や「コント55号の世界は笑う!」(同)「コント55号!裏番組をブッ飛ばせ!!」(69年)などのテレビ番組で人気に火がついた。
コント55号ではボケ担当。2人で舞台を縦横に動き回るコントで「テレビ画面を飛び出す男たち」と呼ばれた。人さし指と小指を立てて飛行機に見立て、「飛びます、飛びます」と言うギャグは片岡鶴太郎さんらにまねされ、トレードマークになった。
コント55号として、68年度のゴールデン・アロー賞特別賞を受賞。70年代からは、コント55号以外の活動も活発に。俳優として「夜明けの刑事」(74年)などの多くのドラマに出演。75年に始まったクイズ番組「ぴったしカンカン」では、萩本さんと解答者のキャプテンを務めた。
歌手としても「学校の先生」(74年)や「風まかせ」(91年)「飛びます音頭」(05年)などの曲を歌い、89年の「デーゲーム」ではロックバンドのユニコーンと共演した。
03年9月、ゴルフ中に脳梗塞で倒れて2カ月間入院。リハビリを乗り越えて、04年6月に舞台に復帰した。05年6月には、お笑い芸人養成所「那須お笑い学校」の名誉校長にも就任した。著書に「脳梗塞をぶっ飛ばせ。」(主婦と生活社)がある。
昨年8月に再び倒れて入院。今年1月の明治座での公演に出演予定だったが、取りやめていた。
(アサヒコム)
お笑いコンビ「コント55号」の一人として「飛びます、飛びます」などのギャグで知られ、俳優や歌手としても活躍した坂上二郎(さかがみ・じろう)さんが10日、脳梗塞(こうそく)のため栃木県内の病院で死去した。76歳だった。葬儀は近親者のみで執り行う。
鹿児島市生まれ。中学卒業後に地元のデパートに勤めながら、歌手を目指して声楽を勉強。NHKのど自慢で県代表になり、1953年に上京した。歌手の青木光一さんの付き人や島倉千代子さんの歌謡ショーの司会などをへて、浅草の劇場で出会った萩本欽一さん(69)と66年に「コント55号」を結成。「お昼のゴールデンショー」(68年)や「コント55号の世界は笑う!」(同)「コント55号!裏番組をブッ飛ばせ!!」(69年)などのテレビ番組で人気に火がついた。
コント55号ではボケ担当。2人で舞台を縦横に動き回るコントで「テレビ画面を飛び出す男たち」と呼ばれた。人さし指と小指を立てて飛行機に見立て、「飛びます、飛びます」と言うギャグは片岡鶴太郎さんらにまねされ、トレードマークになった。
コント55号として、68年度のゴールデン・アロー賞特別賞を受賞。70年代からは、コント55号以外の活動も活発に。俳優として「夜明けの刑事」(74年)などの多くのドラマに出演。75年に始まったクイズ番組「ぴったしカンカン」では、萩本さんと解答者のキャプテンを務めた。
歌手としても「学校の先生」(74年)や「風まかせ」(91年)「飛びます音頭」(05年)などの曲を歌い、89年の「デーゲーム」ではロックバンドのユニコーンと共演した。
03年9月、ゴルフ中に脳梗塞で倒れて2カ月間入院。リハビリを乗り越えて、04年6月に舞台に復帰した。05年6月には、お笑い芸人養成所「那須お笑い学校」の名誉校長にも就任した。著書に「脳梗塞をぶっ飛ばせ。」(主婦と生活社)がある。
昨年8月に再び倒れて入院。今年1月の明治座での公演に出演予定だったが、取りやめていた。
(アサヒコム)
Posted by パイプ親父 at 13:24│Comments(0)
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