2010年03月29日
長沢二郎さんが死去
長沢さん訃報に惜しむ声
ドルフィンキック考案
”努力の権化”だった
水泳の姿勢鬼気迫る
ドルフィンキックを考案し「現代バタフライの創始者」とも称される沼津市出身の元競泳選手、長沢二郎さんが23日、78歳で亡くなった。世界記録を16回更新するなど競泳の発展に貢献。1993年には国際水泳殿堂入りした偉大なスイマーの訃報に、県内外の関係者からはあらためて、その偉業をたたえる声が上がった。
長沢さんは同市獅子浜の生まれ。沼津中(現沼津東高)から早稲田大に進み、同大在学中のヘルシンキ五輪200㍍平泳ぎで6位入賞した。

沼津中時代に水泳部で一緒に練習に励み、親交が深かった那波広巳さん(77)=同市下香貫=は「少しでも速くなるために人一倍工夫して練習していたことが印象的。去年の12月に電話で話した時から様子がおかしく、手紙でも送ろうかと思った矢先だったが…」と旧友との別れにショックを受けた様子。
早稲田大学水泳部で、ともにヘルシンキ五輪に参加した田中守さん(77)=埼玉県蓮田市=も「体は小さかったが、努力の権化のような人だった」と長沢氏の鬼気迫るような水泳への姿勢を振り返った。「ドルフィンキックの考案は画期的。世界記録を連発する泳ぎに、当時の水泳関係者は驚嘆したのではないか」と水泳界に残した足跡をたたえた。
葬儀は27日に行われた。
(静新平成22年3月29日(月)朝刊)
ドルフィンキック考案
”努力の権化”だった
水泳の姿勢鬼気迫る

長沢さんは同市獅子浜の生まれ。沼津中(現沼津東高)から早稲田大に進み、同大在学中のヘルシンキ五輪200㍍平泳ぎで6位入賞した。

沼津中時代に水泳部で一緒に練習に励み、親交が深かった那波広巳さん(77)=同市下香貫=は「少しでも速くなるために人一倍工夫して練習していたことが印象的。去年の12月に電話で話した時から様子がおかしく、手紙でも送ろうかと思った矢先だったが…」と旧友との別れにショックを受けた様子。
早稲田大学水泳部で、ともにヘルシンキ五輪に参加した田中守さん(77)=埼玉県蓮田市=も「体は小さかったが、努力の権化のような人だった」と長沢氏の鬼気迫るような水泳への姿勢を振り返った。「ドルフィンキックの考案は画期的。世界記録を連発する泳ぎに、当時の水泳関係者は驚嘆したのではないか」と水泳界に残した足跡をたたえた。
葬儀は27日に行われた。
(静新平成22年3月29日(月)朝刊)
Posted by パイプ親父 at 12:50│Comments(0)
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