2020年06月12日
訃報 勝呂安氏
勝呂安氏
(すぐろ・やすし=元県医師会会長、勝呂衛・前沼津医師会会長の父)は、5日午後6時4分、老衰のため、自宅で死去した。95歳。自宅は千本中町19。
葬儀・告別式は妻の輝代さんが喪主となり密葬で行われた。改めて偲ぶ会を開く予定。
勝呂氏は大正13年、旧戸田村の旧家の生まれ。旧制富士中(現富士高)から千葉医専(現千葉犬医学部)を昭和20年に卒業。21年から沼津市立病院外科に勤務し、29年に開業、院長となり、平成4年から名誉院長。
沼津医師会では昭和43年から55年の間に正副会長などを歴任し、同59年から平成2年まで沼津医師会病院院長。県医師会では昭和62年から平成8年まで副会長を務めた後、会長に就任。12年まで在職した。この間、日本医師会理事を務めるなど医師会組織の発展に貢献。
このほか、各種医業関係団体の役員、公的団体の委員などを務め、地域の公衆衛生の向上、救急医、療業務の拡冠に寄与。沼津市長、県知事、沼津市長、(当時)の各表彰、沼津市特別表彰、日本医師会優功賞などを受け、平成13年春の叙勲で勲四等瑞宝章を受章した。
一方、長年にわたって沼津朝日賞の選考委員を務め、明るい社会づくり、地域振興、沼津発信などのために地道な努力や精進を続ける市民・らを評価し光を当てようという同賞で、豊かな学識を踏まえて選考に当たり運営に尽力した。
【沼朝令和2年6月12日(金)号】
(すぐろ・やすし=元県医師会会長、勝呂衛・前沼津医師会会長の父)は、5日午後6時4分、老衰のため、自宅で死去した。95歳。自宅は千本中町19。
葬儀・告別式は妻の輝代さんが喪主となり密葬で行われた。改めて偲ぶ会を開く予定。
勝呂氏は大正13年、旧戸田村の旧家の生まれ。旧制富士中(現富士高)から千葉医専(現千葉犬医学部)を昭和20年に卒業。21年から沼津市立病院外科に勤務し、29年に開業、院長となり、平成4年から名誉院長。
沼津医師会では昭和43年から55年の間に正副会長などを歴任し、同59年から平成2年まで沼津医師会病院院長。県医師会では昭和62年から平成8年まで副会長を務めた後、会長に就任。12年まで在職した。この間、日本医師会理事を務めるなど医師会組織の発展に貢献。
このほか、各種医業関係団体の役員、公的団体の委員などを務め、地域の公衆衛生の向上、救急医、療業務の拡冠に寄与。沼津市長、県知事、沼津市長、(当時)の各表彰、沼津市特別表彰、日本医師会優功賞などを受け、平成13年春の叙勲で勲四等瑞宝章を受章した。
一方、長年にわたって沼津朝日賞の選考委員を務め、明るい社会づくり、地域振興、沼津発信などのために地道な努力や精進を続ける市民・らを評価し光を当てようという同賞で、豊かな学識を踏まえて選考に当たり運営に尽力した。
【沼朝令和2年6月12日(金)号】
Posted by パイプ親父 at 14:18│Comments(0)
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