2016年06月21日

匂坂信吾氏(元沼津市職員)

 旧沼津御用邸苑地
国の名勝に答申
沼津御用邸国答申

 文化審議会が十七日に馳浩文部科学相に国の名勝への指定を求めた答申に、県内から旧沼津御用邸苑地(沼津市下香貫島郷)(しもかぬきとうごう)が盛り込まれた。明治から昭和初期に皇族が過ごした静養地の自然豊かな景観が評価を受けた。県内の名勝指定は一九五九(昭和三十四)年の日本平(静岡市)以来で、十一件目になる。
 県内での指定は57年ぶり11件目
 沼津御用邸は「八九三(明治二十六)年、当時皇太子だった大正天皇の静養地として設置。大正天皇はのべ千日以上滞在し、戦争末期に一時、現在の天皇陛下の疎開先だった。本邸は空襲で焼失したが、学問所として使われた東付属邸、幼い頃の昭和天皇など親王が過ごした西付属邸とクロマツ林のある庭園が残る。
 評価を受けたのは、クロマツ林を基調とした自然と散策路、芝生との美しい調和だ。目の前の駿河湾や富士山の美しい姿がクロマツ林越しに見える景観の価値も高いとされた。
 御用邸は一九六九年に廃止となり、七〇年に沼津市が国から土地を借り、沼津御用邸記念公園として整備管理した。当初は市振興公社に管理を委託したが、二〇〇六年に指定管理者制度を導入し、現在は浜松市中区のホテルチェーン会社などが運営する。イベントを定期的に行い、昨年度は十六万四千人が訪れた。

 荒れた公園大規模改修
「価値認められうれしい」 元市職員
匂坂信吾氏

 「公園全体の価値が認められて、非常にうれしい」。名勝への指定答申を受けた旧沼津御用邸苑地は、手入れ不足で荒れた時期がある。元沼津市職員の匂坂信吾(さぎさかしんご)さん(六八)=沼津市小諏訪
=は、美しい景観を取り戻そうと奔走した日々を充実感とともに振り返る。
 御用邸は戦後宮内庁が管理してきたが、昭和天皇の滞在が減ったことや周辺の海水汚染を理由に一九六九年に廃止となった。沼津市は翌七〇年に公園として一般市民への開放を始めた。しかし、西付属邸と東付属邸は老朽化し、公園化の五年後には非公開に。市は庭園で最低限の除草をするだけで、腐ったクロマツが増えていた。
 匂坂さんは「お客さんは手入れの行き届いていない庭しか見ることができなかった」と当時の状況を語る。「市は毎日門を開けて閉めるだけ。消極的な管理しかしてなかった」。お金を払って入園しても見どころがない。観光客も少なく、存続が危ぶまれた。
 転機は九三年だった。市が造営百周年に合わせて大規模な改修を始めた。当時、市緑地公園課課長補佐の匂坂さんは「皇族の暮らしぶりを知ってもらえる公園にしよう」と、展示品の調達や百年記念誌の作成に取り掛かった。皇室や御用邸に関する知識がほとんどない中、宮内庁や全国の御用邸に通って交渉を重ね、皇族が使った家具などを譲り受け、展示した。
 九四年のリニューアルオープン後、初代の管理事務所長に就任。毎日声をからして、客を案内した。園内で茶会を開いたり、皇族のおしるしをあしらったハンカチ発売などの工夫を凝らし、九六年には三十万人が訪れるほどにぎわった。
 匂坂さんは「国の文化財にしたいという気持ちは当時からあった」と明かす。名勝への指定に「所長として大切に再現してきた御用邸の姿を多くの人に見てほしい」と期待した。(熊崎未奈)
【東京新聞平成28年6月18日(土)静岡版】



Posted by パイプ親父 at 06:59│Comments(0)
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