2013年04月15日
元ぬまづ燦々大使:三国連太郎氏死去
俳優・三国連太郎さん死去 「飢餓海峡」「釣りバカ」
「飢餓海峡」「ビルマの竪琴」など深く味わいのある役作りで知られた俳優の三国連太郎(みくに・れんたろう、本名・佐藤政雄=さとう・まさお)さんが14日、死去した。90歳だった。俳優の佐藤浩市さんは息子。
1951年、木下恵介監督の「善魔」で新聞記者の三国連太郎という役でデビュー。役名を芸名にした。二枚目として売り出されたが、まもなく強い個性を生かした性格俳優に転じ、内田吐夢監督の「飢餓海峡」では冷徹な殺人犯を演じるなど社会派映画や文芸作品、コメディーなどに幅広く出演。テレビや舞台でも活躍した。
88年、西田敏行と共演した「釣りバカ日誌」では、釣り好きの会社社長スーさんをひょうひょうと演じ、「男はつらいよ」と並ぶ松竹の人気シリーズとなった。
また、87年には親鸞の人生を描いた自作の長編小説「白い道」を自ら監督して映画化。カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞し、映画作家としても非凡な手腕を見せた。
(web朝日平成25年4月15日)

1951年、木下恵介監督の「善魔」で新聞記者の三国連太郎という役でデビュー。役名を芸名にした。二枚目として売り出されたが、まもなく強い個性を生かした性格俳優に転じ、内田吐夢監督の「飢餓海峡」では冷徹な殺人犯を演じるなど社会派映画や文芸作品、コメディーなどに幅広く出演。テレビや舞台でも活躍した。
88年、西田敏行と共演した「釣りバカ日誌」では、釣り好きの会社社長スーさんをひょうひょうと演じ、「男はつらいよ」と並ぶ松竹の人気シリーズとなった。
また、87年には親鸞の人生を描いた自作の長編小説「白い道」を自ら監督して映画化。カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞し、映画作家としても非凡な手腕を見せた。
(web朝日平成25年4月15日)
Posted by パイプ親父 at 12:56│Comments(0)
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