2018年12月08日
老舗の5代目「飯田邦彦」氏
創業150年老舗の5代目
食肉技術職の飯田邦彦さん
表彰を受けた中で、食肉技術職の飯田邦彦さんは、本町にある「古安」の五代目。同店は現在、精肉店と共にステーキと洋食のレストラン、すき焼きとしゃぶしゃぶの店を開く。
同店は明治元年の創業から百五十年続く老舗で、店名の由来は初代・古屋安五郎さんの名前。文明開化の頃には、カフェも開いていたという。当時は貴重だった氷を氷穴から馬で運んで来て冷蔵庫代わりの氷室を作り、そこに牛肉などを保管して販売した。
飯田さんが子どもの頃には、高島町の辺りで牧場を経営していて、飯田さんは、三代目となる祖父と一緒に行っては、牛舎の掃除や牛の世話をしていた。
「牛一頭で嫁入り道具が買える」と言われるほど高価だったが、牛の体を触るだけで肉の状態が分かったという祖父は、近隣から良い牛だけを買い求めていたという。
また、祖父には先見の明があり、沼津が空襲を受ける前に木材を土の中に埋めておいた。そして、空襲で沼津が焼かれた後には、真っ先に家を建て、困っている人達を住まわせたといい、周囲からも慕われた。
祖父からは「好きなことがあればやったらいい」と言われながらも、五代目として後を継いだ飯田さん。「この仕事は、牛が本当に好きでないとできない」と言うが、時代と共に苦労も乗り越えてきた。
安価な輸入牛の急増、狂牛病(牛海綿状脳症)や0157が原因で牛肉が売れない時期もあった。消費者が安さを求めることで、食べるにはふさわしくないような品質の肉を、適切ではない方法で提供する店もあり、そうした中で0157の問題が生じた時には業界全体が大きな打撃を受けた。牛肉を使っていることでコロッケさえ売れず、破棄する時には「命をもらっているのに、と思うと涙が出た」と話す。
食べ物を扱うからには「おいしい物を提供するのが使命」だと飯田さんは言う。老舗にあぐらをかかず、顧客の要望を聴きながら、また肉を扱う調理人にも教えてもらいながら、どうしたら、より良いものが提供できるのかを常に考えてきた。
【沼朝平成30年12月8日(土)号】

食肉技術職の飯田邦彦さん
表彰を受けた中で、食肉技術職の飯田邦彦さんは、本町にある「古安」の五代目。同店は現在、精肉店と共にステーキと洋食のレストラン、すき焼きとしゃぶしゃぶの店を開く。
同店は明治元年の創業から百五十年続く老舗で、店名の由来は初代・古屋安五郎さんの名前。文明開化の頃には、カフェも開いていたという。当時は貴重だった氷を氷穴から馬で運んで来て冷蔵庫代わりの氷室を作り、そこに牛肉などを保管して販売した。
飯田さんが子どもの頃には、高島町の辺りで牧場を経営していて、飯田さんは、三代目となる祖父と一緒に行っては、牛舎の掃除や牛の世話をしていた。
「牛一頭で嫁入り道具が買える」と言われるほど高価だったが、牛の体を触るだけで肉の状態が分かったという祖父は、近隣から良い牛だけを買い求めていたという。
また、祖父には先見の明があり、沼津が空襲を受ける前に木材を土の中に埋めておいた。そして、空襲で沼津が焼かれた後には、真っ先に家を建て、困っている人達を住まわせたといい、周囲からも慕われた。
祖父からは「好きなことがあればやったらいい」と言われながらも、五代目として後を継いだ飯田さん。「この仕事は、牛が本当に好きでないとできない」と言うが、時代と共に苦労も乗り越えてきた。
安価な輸入牛の急増、狂牛病(牛海綿状脳症)や0157が原因で牛肉が売れない時期もあった。消費者が安さを求めることで、食べるにはふさわしくないような品質の肉を、適切ではない方法で提供する店もあり、そうした中で0157の問題が生じた時には業界全体が大きな打撃を受けた。牛肉を使っていることでコロッケさえ売れず、破棄する時には「命をもらっているのに、と思うと涙が出た」と話す。
食べ物を扱うからには「おいしい物を提供するのが使命」だと飯田さんは言う。老舗にあぐらをかかず、顧客の要望を聴きながら、また肉を扱う調理人にも教えてもらいながら、どうしたら、より良いものが提供できるのかを常に考えてきた。
【沼朝平成30年12月8日(土)号】
