2010年06月03日
元衆院議員栗原祐幸氏
1日死去の元衆院議員栗原祐幸氏
気骨ある姿惜しむ声
県東部に大きな足跡
労働相、防衛庁長官などを務め、1日に89歳で死去した元衆院議員の栗原祐幸氏(三島市出身)は、地元の県東部に大きな足跡を残した。"血が通った政治"を貫いた栗原氏の気骨ある姿を思い起こし、死を惜しむ声が各方面から上がっている。
栗原氏が県農業会職員として真っ先に手掛けた農地解放は、後の政治活動の原点となった。元東伊豆町長の田村又吉さん(80)と同町の農業石原寿さん(82)は父親(いずれも故人)が地主と小作農という関係。栗原氏は対立関係にある父親たちの間に入ってわだかまりを解き、その様子に接した当時青年の田村さんや石原さんは後に、ともに栗原氏の心強い支援者となった。
「親子二代で栗原先生の選挙も支援してね。米寿の祝いでは元気だったのに、急な話で驚いている」と田村さん。石原さんは「つい2、3日前に、栗原さんから毎年送るミカンのお礼の手紙が来たばかり。頑固で人を恐れない人で、手紙には『今少しで誕生日が来る』なんて書いてあった」と残念がる。
栗原氏が県農協中央会の専務理事時代に、営農課長だった元富士宮市長の渡辺紀さん(80)は「4月にお見舞いにも行き、心配していた。部下への指導は厳しく、農協を発展させた偉大な人。栗原さんが選挙に出る時、遊説隊をやり10日間、寝起きを共にしたのが良き思い出」と振り返った。
栗原氏から薫陶を受けたという小池政臣三島市長(69)は「今日の米軍普天間飛行場移設問題の混乱状況を見るにつけ、大変惜しい人を亡くしたという感がある。個人的にも私の仲人であり、師父として心から尊敬していた。公平公正で曲がったことが嫌いだった」と悼む。
中選挙区時代の静岡2区でしのぎを削った元衆院議員の杉山憲夫さん(80)は「今、本当に必要な政治家。言行が一致せず、目先のことだけを言う政治家がいかに多いことか。栗原さんは筋を通し、決してぶれなかった」と惜しんだ。
(静新平成22年6月3日(木)朝刊)
気骨ある姿惜しむ声
県東部に大きな足跡
労働相、防衛庁長官などを務め、1日に89歳で死去した元衆院議員の栗原祐幸氏(三島市出身)は、地元の県東部に大きな足跡を残した。"血が通った政治"を貫いた栗原氏の気骨ある姿を思い起こし、死を惜しむ声が各方面から上がっている。
栗原氏が県農業会職員として真っ先に手掛けた農地解放は、後の政治活動の原点となった。元東伊豆町長の田村又吉さん(80)と同町の農業石原寿さん(82)は父親(いずれも故人)が地主と小作農という関係。栗原氏は対立関係にある父親たちの間に入ってわだかまりを解き、その様子に接した当時青年の田村さんや石原さんは後に、ともに栗原氏の心強い支援者となった。
「親子二代で栗原先生の選挙も支援してね。米寿の祝いでは元気だったのに、急な話で驚いている」と田村さん。石原さんは「つい2、3日前に、栗原さんから毎年送るミカンのお礼の手紙が来たばかり。頑固で人を恐れない人で、手紙には『今少しで誕生日が来る』なんて書いてあった」と残念がる。
栗原氏が県農協中央会の専務理事時代に、営農課長だった元富士宮市長の渡辺紀さん(80)は「4月にお見舞いにも行き、心配していた。部下への指導は厳しく、農協を発展させた偉大な人。栗原さんが選挙に出る時、遊説隊をやり10日間、寝起きを共にしたのが良き思い出」と振り返った。
栗原氏から薫陶を受けたという小池政臣三島市長(69)は「今日の米軍普天間飛行場移設問題の混乱状況を見るにつけ、大変惜しい人を亡くしたという感がある。個人的にも私の仲人であり、師父として心から尊敬していた。公平公正で曲がったことが嫌いだった」と悼む。
中選挙区時代の静岡2区でしのぎを削った元衆院議員の杉山憲夫さん(80)は「今、本当に必要な政治家。言行が一致せず、目先のことだけを言う政治家がいかに多いことか。栗原さんは筋を通し、決してぶれなかった」と惜しんだ。
(静新平成22年6月3日(木)朝刊)
Posted by パイプ親父 at 08:55│Comments(0)
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