2011年05月18日
児玉清さん死去
児玉清さん死去…77歳、胃がん闘病2か月
俳優の児玉清(こだま・きよし、本名・北川清=きたがわ・きよし)さんが16日午後0時28分、都内の病院で胃がんのため死去した。77歳だった。3月31日のテレビ朝日系クイズ番組「パネルクイズ アタック25」(日曜・後1時25分)の収録を「肝機能障害」を理由に欠席。以降、活動を見合わせていた。俳優としても「白い巨塔」「山河燃ゆ」「龍馬伝」などに出演し、人気を集めた。読書家でエッセーやコラムも手掛けるなど、多才だった。
「アタックチャンス!」の掛け声でおなじみの名司会者が亡くなった。この日夜、都内の自宅で会見した長男で元俳優、モデルで、現会社員の北川大祐さん(41)によれば、児玉さんは2月下旬、「食欲がない」と体調不良を訴えた。
3月上旬に検査でがんの疑いがあると診断され、中旬に胃がんと肝臓への転移も確認された。既に手術ができない状態で、抗がん剤治療をすることになった。
最後の仕事は3月23日に収録したNHK BSプレミアムのPR用のミニ番組。同31日に予定されていた「パネルクイズ アタック25」の収録を欠席し、病院で治療に専念していた。しかし、14日に容体が急変し、15日に意識不明となった。最期は元女優で妻の好子さん(79)、大祐さんらがみとったという。くしくも2002年には長女を胃がんで亡くしている。
大祐さんは「立派な父でした。尊敬しています。本人は最後まで『早く仕事に復帰したい。やり残していることがある』と言っていました。がんであることも知っていたが、淡々と過ごしていた」と時に笑みさえ浮かべ、気丈に応対した。
抗がん剤治療は体力が落ちたことから1回で終了。プロ級の腕前で作品集も出版したこともある「切り絵をしたい」と言っていたが、かなわなかった。
児玉さんは1975年4月6日の番組開始から司会を務めており、収録欠席は84年10月放送分を虫垂炎で休んで以来2度目。これまで多少の体調不良で休むことはなかった。
長身で二枚目の東宝の第13期ニューフェイスとして活躍した。学習院大の卒業式当日に母が急死し、大学院進学の道が断たれた。知人が気を利かして東宝ニューフェイスに応募し、義理立てのため、面接試験を受けた。何の準備もしていなかったため水着審査は下着で臨んだが、本人の気持ちとは裏腹に、その強心臓ぶりが評価された。
61年に「別れて生きるときも」(堀川弘通監督)で司葉子の初恋の相手役に抜てきされ頭角を現し、67年に東宝を退社してフリーに転身。テレビに活躍の場を移し、TBS系「ありがとう」などで人気を集めた。フジテレビ系「白い巨塔」(78年)、NHK大河ドラマ「山河燃ゆ」「武田信玄」や、SMAP・木村拓哉(38)主演のフジテレビ系「HERO」に出演。最近では「龍馬伝」で福山雅治演じる坂本龍馬の父役で印象を残した。
芸能界きっての読書家で、自宅には大きな書庫があったが、納まりきらず、部屋中が本の山だった。語学が堪能だったため、洋書は翻訳が待ちきれず原書で読んだ。91年にNHKから「週刊ブックレビュー」への出演オファーが届くと、大喜びした。エッセーやコラムも多数手掛けた。
(読売webnews)
俳優の児玉清(こだま・きよし、本名・北川清=きたがわ・きよし)さんが16日午後0時28分、都内の病院で胃がんのため死去した。77歳だった。3月31日のテレビ朝日系クイズ番組「パネルクイズ アタック25」(日曜・後1時25分)の収録を「肝機能障害」を理由に欠席。以降、活動を見合わせていた。俳優としても「白い巨塔」「山河燃ゆ」「龍馬伝」などに出演し、人気を集めた。読書家でエッセーやコラムも手掛けるなど、多才だった。
「アタックチャンス!」の掛け声でおなじみの名司会者が亡くなった。この日夜、都内の自宅で会見した長男で元俳優、モデルで、現会社員の北川大祐さん(41)によれば、児玉さんは2月下旬、「食欲がない」と体調不良を訴えた。
3月上旬に検査でがんの疑いがあると診断され、中旬に胃がんと肝臓への転移も確認された。既に手術ができない状態で、抗がん剤治療をすることになった。
最後の仕事は3月23日に収録したNHK BSプレミアムのPR用のミニ番組。同31日に予定されていた「パネルクイズ アタック25」の収録を欠席し、病院で治療に専念していた。しかし、14日に容体が急変し、15日に意識不明となった。最期は元女優で妻の好子さん(79)、大祐さんらがみとったという。くしくも2002年には長女を胃がんで亡くしている。
大祐さんは「立派な父でした。尊敬しています。本人は最後まで『早く仕事に復帰したい。やり残していることがある』と言っていました。がんであることも知っていたが、淡々と過ごしていた」と時に笑みさえ浮かべ、気丈に応対した。
抗がん剤治療は体力が落ちたことから1回で終了。プロ級の腕前で作品集も出版したこともある「切り絵をしたい」と言っていたが、かなわなかった。
児玉さんは1975年4月6日の番組開始から司会を務めており、収録欠席は84年10月放送分を虫垂炎で休んで以来2度目。これまで多少の体調不良で休むことはなかった。
長身で二枚目の東宝の第13期ニューフェイスとして活躍した。学習院大の卒業式当日に母が急死し、大学院進学の道が断たれた。知人が気を利かして東宝ニューフェイスに応募し、義理立てのため、面接試験を受けた。何の準備もしていなかったため水着審査は下着で臨んだが、本人の気持ちとは裏腹に、その強心臓ぶりが評価された。
61年に「別れて生きるときも」(堀川弘通監督)で司葉子の初恋の相手役に抜てきされ頭角を現し、67年に東宝を退社してフリーに転身。テレビに活躍の場を移し、TBS系「ありがとう」などで人気を集めた。フジテレビ系「白い巨塔」(78年)、NHK大河ドラマ「山河燃ゆ」「武田信玄」や、SMAP・木村拓哉(38)主演のフジテレビ系「HERO」に出演。最近では「龍馬伝」で福山雅治演じる坂本龍馬の父役で印象を残した。
芸能界きっての読書家で、自宅には大きな書庫があったが、納まりきらず、部屋中が本の山だった。語学が堪能だったため、洋書は翻訳が待ちきれず原書で読んだ。91年にNHKから「週刊ブックレビュー」への出演オファーが届くと、大喜びした。エッセーやコラムも多数手掛けた。
(読売webnews)
Posted by パイプ親父 at 11:25│Comments(0)
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