2008年04月30日

増山修一氏

中小企業支援センターコーディネーターに就任
増山修一(ますや.ましゅういち)さん(沼津市)
 沼津信用金庫で本部の審査や管理部門、裾野支店長などを経て、経営支援課と業務企画課の課長を兼務する。沼津商工会議所の依頼を受け、沼津地域中小企業支援センターのコーディネーターに就任した。五十一歳。
 ー就任の抱負を聞かせてください。
 「開業率より廃業率の方が高く、沼津の事業所数は減っている。開業を考える人材は貴重で、事業をぜひ成功させてもらいたい。創業支援を担う責任は重いと感じる」
 ーどんな役割を果たしていきますか。
 「開業することより、開業後に売り上げを確保して利益を生む仕掛けを作れるかが重要だ。世の中が何を求めているか、物販や流通など各分野の専門家の意見を聞くつなぎ役になれればと思う」
 ー創業を考える人にアドバイスはありますか。
 「いろいろな立場の人と話をして、アイデアを練り上げることが必要。一緒に事業計画を立てられるように少しでも早く相談に来てほしい」

相談に備えて、空き時間は下調べや読書。趣昧に割く時間がない。
(静新平成20年4月30日「この人」)
  

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2008年04月29日

資生堂名誉会長・福原義春氏

【わが道わが友】資生堂名誉会長・福原義春氏(1)
2008.4.29 03:38(産経MSNニュース)

このニュースのトピックス:財界
 ■美術館運営に生きた民間の知恵

 平成12年10月の東京都写真美術館館長就任は、降って沸いた話だった。ダイエーの中内功さんやJR東日本の松田昌士(まさたけ)さんらを中心とした朝食会のあと、アサヒビールの樋口廣太郎(ひろたろう)さんに呼び止められ、急逝した徳間書店の徳間康快(やすよし)さんの後任館長を打診された。石原慎太郎都知事の文化顧問役だった樋口さんは、わりあい近くにいた私に白羽の矢を立てたのだろう。

 もっとも樋口さんは、私の伯父、信三が日本近代写真を確立した写真家だったことや、私自身も大学時代にカメラクラブに所属して著書もあることなどご存じない。樋口さんに「ええまあ」とあいまいな返答をした直後、石原知事から直接電話があった。「まだ心を決めたわけではない」と言う私に、石原さんは「じゃあ、自分が案内する」と、大勢のお供を従えた現場視察となった。階段を上る途中で大勢のギャラリーを前に石原さんは振り返り、「君、もう断るとは言わないよな」。直後の都知事定例会見で内定発表された。

 翌日美術館に行くと、いわば落下傘館長で、しかも現在の写真界では知られていない現職経営者。職員はみんな自分の仕事に精いっぱいで、誰もこちらを振り向かずに知らん顔。翌年度計画も予算も既決していて手も出せない。総勢30人ほどの小組織なのに、来館者への温かさも感じられなかった。

 「これは大変」と思いながら、まず館内の会議を招集してもらって美術館のコンセプトを明確にすることにした。初年度は、館内の静寂さを逆手に「静かなにぎわい」。翌年度は、「写真とは何か」。私は会社でもあまり命令はしない。ビジョンを示し続けるのだ。そして、マスコミの取材などを通じ、美術館のスタッフを褒め、足りないところを訴えた。また、次の展覧会で悩んでいる学芸員に直接電話をしたり、FAXを送って質問したり、アドバイスしたりした。こうして縦型組織の弊害を壊した。

 結果、年間約20万人に満たなかった来館者は、就任2年後には約36万人。その後40万人台に。補助金は半分に減っているのにだ。ときには来場者が列をなして来館するので、芸術至上主義だったスタッフも面白くなって、今ではかなり自主的な取り組みができるようになった。

 「官は非効率で民は効率的だ」というのは間違い。官の人たちは用意周到に根回しをし、条例を調べて仕事にかかるので成功率は高い。しかしそのために時間がかかりすぎる。適切な理念と目標を与えるなら、官は民間企業の社員よりも、きめ細かで水準の高い仕事をするというのが私の感想だ。民間企業での経験といくつもの非営利組織にかかわって得た知恵が、公的な美術館経営の人材活用にも応用できることを、私自身も学んだのだった。

                   ◇

【プロフィル】福原義春

 ふくはら・よしはる 昭和6年、東京生まれ。慶大経卒。28年資生堂入社。中国進出などで海外市場拡大戦略を推進。62年、社長、平成9年、会長を経て、13年から現職。
  

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2008年04月29日

尾形 充生さん(旭日双光章)

旭日双光章(金融業功労)
尾形 充生さん
(元静岡中央銀行社長、沼津市)


半世紀日々気持ち新た
 銀行業務に対する評価として、大変あ
りがたく受け止めています。平成三年に
当時の三和銀行から静岡中央銀行に入
り、翌年から十二年間社長を務めました。
バブル崩壊後で、幸い当行に大きな不良
債権はなかったものの、融資先の設備投
資が冷え込み経営的には苦労もありまし
た。融資開拓などは地味な努力の連続。
金融に携わり半世紀、お客さまや周囲に
支えられ、日々気持ちを新たに臨んでき
たことが今日につながったと思います。
(静新平成20年4月29日(火)朝刊)
  

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2008年04月29日

井口 賢明さん(旭日小綬章)

旭日小綬章(弁護士功労)
井口 賢明さん
(元日本弁護士連合連合会理事、沼津)







一緒に悩み冷静に対応
 
家族や仲間の支えがあってこその受章
です。約四十年間に担当した案件はそれ
ぞれドラマがあり、記憶に残っています。
大切にしてきたことは、弁護する相手に
感情を移入しすぎずに、一緒に悩むこと。
相手があってこその仕事なので冷静に対
応することが弁護士の責任です。来年は
裁判員制度が始まります。若手はさらに
忙しい日々になりますが、生活の中でス
トレスを発散する術(すべ)を身につけ
てほしい。
(静新平成20年4月29日(火)朝刊)
  

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2008年04月24日

肥田敬夫氏

静岡経済同友会東部協議会総会
新代表幹事に肥田氏:事業計画など承認
 静岡経済同友会東部協議会はこのほど、平成二十年度定期総会を沼津市内で開き、新代表幹事に肥田忠社長の肥田敬夫氏(六七)を選出した。平成十九年度の事業報告や本年度事業計画などを承認した。肥田代表幹事の任期は一年。事業計画には、教育問題に重点を置くことなどを盛り込んだ。
 総会後には記念講演を行い、駐日ルーマニア大使館のイリエ・スタニカ参事官が「ルーマニアの経済及びPR」と題して同国の産業などについて解説した。イリエ参事官は「中欧には人口が少ない国が多い中、ルーマニアは約二千百万人。高い技術力を持ち、ビジネスチャンスがある」と呼び掛けた。
 主な本年度役員は次の通り。
▽第一副代表幹事 大村俊之▽第二副代表幹事 山口郊治郎▽事務局長(幹事)白鳥篤▽副事務局長(幹事)千葉愼二▽幹事 赤堀肇紀、石川美知子、加藤修一、木村博彦、諏訪部照久、竜野輝夫、三井剛士▽会計監査 乾精治、須沢隆弘
(静新平成20年4月24日(木)朝刊)
  

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2008年04月17日

大城久和氏(沼津署長)

沼津署長に就任
 大城久和(おおしろひさかず)さん(沼津市)
 昭和四十二年の拝命以来、警備畑を中心に歩んできた。熱海署長や浜北署長、県警生活安全企画課長などを歴任し、沼津署長に就任した。浜松市出身。五十九歳。
 ー管内の印象はいかがですか。
 「沼津署の勤務は初めてです。産業が盛んで人の往来も激しい。幹線道路では慢性渋滞もみられる。交通事故はさることながら日常的な犯罪も多い。忙しいというのが率直な思いです」
 ー署員へはどのような訓示をしましたか。
 「仕事は積極果敢、機敏に対応しようと呼び掛けました。署員数は多いけれど全署員が心を一つにする『一署一心』の精神で結束し、住民第一の警察活動を推進したい」
 ー今後の抱負を聞かせてください。
 「殺人事件や連続放火事件などの解決が最重要課題です。その上で、関係団体やボランティア、地域住民と協力しながら市民の防犯意識、防犯力を高めていければと思っています」

趣味はウオーキング。沼津市内を巡り、自然の豊かさを実感している。
(静新平成20年4月17日「この人」)
  

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2008年04月13日

静岡県出身作家1

「静岡の作家群像」
「静岡県出身作家1」山本恵一郎
杢太郎、光治良、のぶ、靖

 おもな当県出身作家について紹介しておきたい。木下杢太郎(本名・太田正雄)。明治十八年伊東市に生まれ、昭和二十年六十歳で死去。詩人、劇作家、小説家、評論家で医学者。
東京帝大医科に入学した年長編小説「夕日の宮」を発表。「南蛮詩」から南蛮文学へのひろがりによって、明治末年以降の耽美主義文学の基礎を作ったといわれる。
 小説集『唐草表紙』、戯曲「和泉屋染物店」「南蛮寺門前」、『木下杢太郎詩集』『木下杢太郎画集』等がある。皮膚科専攻でハンセン病の世界的権威だった。
 芹澤光治良。明治三十年沼津市に生まれ、平成五年九十七歳で死去。五歳のとき父常晴が天理教に入信、無所有の伝道生活にはいったため一家離散、貧しい祖父母のもとで育つが、彼の性格と才能を見込んで学資をだす人が次々に現れ、旧制一高、東京帝大へ進み、農商務省にはいる。大正十四年、ソルボンヌ大学に留学、貨幣論を研究。ケッセル、ベルグソン等と交流、ジッド、ヴァレリー等と会う。
 昭和五年「ブルジョワ」が改造社の懸賞小説一等に入賞。正宗白鳥、三木清らが激賞。同年「我入道」を『改造』に発表し、中央大学講師として貨幣論を講義。三十七年、六十六歳から『人間の運命』全六巻を、六十一年、九十歳から九十六歳まで『神の微笑』『神の慈愛』『神の計画』『人間の幸福』『人間の意志』『人間の生命』『大自然の夢』『天の調べ』を書き、新潮社より刊行。
 小糸のぶ。明治三十八年富士市吉原町に生まれ、平成七年九十歳で死去。静岡女子師範卒業後小学校教師となり、東京市内の小学校に勤めていた昭和十六年、文部省が募集した国民映画脚本に「母子草」を応募し当選。二十四年、雑誌『サロン』に発表した「おもかげ」が第二十二回直木賞候補となり、創作に専念。『平凡』『明星』等の若年女子対象の娯楽雑誌に長編小説を連載した。『愛を誓いし君なれば』『花の真実』『純愛の砂』(春陽文庫)等があり、「乙女の性典」「愛の山河」等、十七作品が映画化されている。
 井上靖。明治四十年北海道旭川に軍医隼雄の長男として生まれ、平成三年八十四歳で死去。二歳のとき母の郷里、伊豆市湯ケ島へもどり、六歳からは両親と離れ湯ケ島で戸籍上の祖母かのに育てられる。京都大学卒業後毎日新聞社に入社。昭和二十五年、「闘牛」で第二十二回芥川賞を受賞、毎日新聞社を退社して作家活動にはいる。
 作風は三様に分けられ、現代ものとして『氷壁』『あした来る人』等が、歴史ものとして『敦煌』『風林火山』『おろしや国酔夢譚』等が、自伝三部作として、湯ケ島で過ごした幼少年時代を書いた『しろばんば』、旧制沼津中学時代を書いた『夏草冬濤』、柔道に明け暮れた旧制第四高等学校時代を書いた『北の海』等がある。(伝記作家)
「静新平成20年(2008年)4月12日(土曜日)」

  

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2008年04月09日

沼津市南消防署新署長 植松和民氏

沼津市南消防署新署長 植松和民(うえまっかずたみ)さん(沼津市)
 昭和五十二年に沼津市消防本部に消防士として採用された。同本部通信指令室長、救急警防課長などを歴任し、平成四年には同本部では第一号の救急救命士となった。五十四歳。
 ー初訓示の内容を教えてください。
 「大量退職の時代となり若手の成長が欠かせない。若い人は、経験豊富なベテランから多くを吸収して大きくなってほしい。さらに『現場主義』の意識は徹底してほしいと伝えました」
 ー管内の特徴は。
「高さ十㍍の津波が予想される地域もあり、長い海岸線とビルやマンションが立ち並ぶ中心街を受け持つため、火災、風水害など迅速な対応が求められています」
 ー市民の安心安全の確保にどう取り組みますか。
 「義務化した住宅用火災警報器の設置を呼び掛け、消防団や自主防災組織との連携を強めたい。仕事をスリム化し、初動対応を迅速、的確、安全に行えるようにします」

「体力維持のため」に徒歩で通勤。常に街の様子を観察しながら人命救助に情熱を燃やす。
(静新平成20年4月9日「この人」)
  

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2008年04月07日

植松聖陽(沼津工高)君

第28回県民レガッタ:男子は植松V
 静岡新聞社・静岡放送杯争奪第28回県民レガッタ兼県高校総体1次予選(県ボート協会など主催)は最終日の6日、浜松市天竜ボート場(レース距離2000㍍)で、シングルスカル、ダブルスカル、かじ付きクオドルプルの男女決勝などを行った。男子シングルスカルは植松聖陽(沼津工高)、女子シングルスカルは小沢実央(浜松湖南高)が優勝した。総合優勝は、男子は沼津東高、女子は浜松湖南高だった。

圧巻のロングスパート・植松

 ○…男子シングルスカル決勝。「レースが終わったら救急車で運ばれてもいいから、すべての力を出し切ろう」。全国高校選抜4位の実績を持つ植松聖陽(沼津工高)は心を決めた。
 最大のライバルは、予選で苦杯をなめさせられた江藤(静岡大)。周囲の予想通り、中間の千㍍地点では江藤がトップを奪い、植松は栗山(浜松湖南高)と競り合いながら3番手で通過した。
 植松が真骨頂を発揮したのはここからだ。ラスト五百㍍でギアを入れ替える。力強くピッチを上げ、江藤を猛追する。スタミナ切れの相手を終盤につかまえる得意のレース運びー。
 「気力だけだった。苦しかったけれど、全部の力を出すことだけ考えた」。圧巻のロングスパートで最後の最後に先頭に立ち、堂々と勝ちどきを上げた。
 「信じられない。江藤さんには勝てないと思っていたので、同じ高校生だけを標的にしていた」
 昨年は車との接触事故やアキレスけん痛などが続き、不本意なシーズンを送った。しかし、今シーズンはすでに全国選抜で4位入賞を果たし、この日も優勝候補筆頭だった大学生を破り、県の頂点に立った。
 「心肺機能が強い。力はまだまだだが、鍛えていけばもっと伸びていくと思う」と河口義治顧問は言う。夏に向けて周囲の期待はさらに高まった。
(静新平成20年4月7日(月)朝刊)
  

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2008年04月06日

加藤愛夫氏

県民レガッタ開幕
 静岡新聞社・静岡放送杯争奪第28回県民レガッタ(県ボート協会など主催)は5日、浜松市天竜ボート場(レース距離2000㍍)で開幕した。

 奮闘光る58歳加藤:男子シングルスカル
 ○…男子シングルスカルで58歳、ベテラン加藤愛夫(狩野川RC)の奮闘が光った。




























高校生の強豪がそろう中、午前中の予選を4位通過。この日2本目となった準々決勝ではスタミナ切れで最下位に沈んだものの、最後まで粘りのレースを展開した。「回復力の差が出たかな。完敗だ」。表情は晴れやかだ。
 沼津市岡宮で植木屋を営む。10年前、沼津工高ボート部OB会長に就任すると、ボートにささげた青春時代の思いが再燃した。約30年ぶりに握ったオールが手放せなくなった。
 毎朝4時に起床し、狩野川で練習する。マイクロバスを購入して全国各地を飛び回り、51歳の時には全日本社会人選手権大会で「50代の部」を制した。
 「昨夜はレースが楽しみで眠れず、今朝も早くに起きてしまい、おかげで体調不良。遠足前の子供みたいだ」。ボートにかける思いは昔と変わらない。
 県西部地区に比べ、東部のボート人口は少ない。「現役で楽しめるのも長くはない。これからは、東部地区の小中学生が日常的にボートを楽しめるような環境をつくっていきたい」。中年クルーの新たな夢が膨らみ始めている。
(静新平成20年4月6日(日)朝刊)
  

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2008年04月05日

牧田一郎氏

富士ブランド推進会議委員長
牧田一郎氏
商品力さらに磨きを
「富士ブランド」第2ステージへ
 地域間競争が激しさを増す中、地域ブランドの創出・発信事業が県内でも盛んだ。商工会議所を中心とした取り組みとして県内先行組の富士商議所の「富士ブランド」は、事業開始から三年。ブランドを光らせる第二ステージを迎えている。
 ー地域ブランドに注目した背景は。
 「製紙業をはじめ、富士市内の工業は停滞が続く。商業も同じで、商店街は活性化に悩む。自らの潜在力を見つめ直してみようと、工業、商業の両方を同時に後押しする支援策として富士ブランド事業を立ち上げた」
 ーブランド認定品は多彩ですね。
 「過去四期で百十社の百五十九品目を認定した。紙製品や食品、工業製品、農林水産物、サービスなど。いずれも地元の水や気候、歴史、文化、すなわち『富士の恵み』から生まれ、磨かれた一級品。全国に胸を張って発信できる商品だ」
 ー認定品はどれも市場流通品。あらためて推す狙いは。
 「例えば富士ブランドにトイレットペーパーが数点ある。全国一の生産量を誇りながら、個々の製品は地元特産としてあまり知られてこなかった。品質より価格競争に流れていた面や、生産地だが大消費地でない地域性など、理由はいくつかあるだろう。しかし、その結果、小売り現場のように、厳しい消費者の目に常にさらされ、その場で反応を見て品質や売り方の改善につなげるチャンスは少なかった。事業には、企業が前面に出ることで総合力を磨いてもらう狙いもある」
ー企業や地域が争って「ブランド」確立に動いています。
 「人気老舗店と一般店の菓子を店名を伏せて食べ比べた結果、多くの人が違いに気付かなかったという例がある。『名前』の持つ力の大きさを物語るエピソードだ。もちろん、商品力や長い信頼の歴史があってこその名前。
中小は価格競争では勝ち残れない。価格ではなく商品力、ブランド力が生き残りの鍵だ。富士ブランドでは富士が持つイメージと企業の商品力、サービス力を相乗させていきたい」
 ー富士ブランドのステップアップが期待されます。
 「逸品を認定し、冊子やホームページで発信するーこれまでの工程にはシナリオがあった。しかし、この先は違う。富士ブランドのタイトルを胸に、自社製品をどれだけ多くの場に露出させ、そこで得た反応を再び開発に振り向け、商品を磨き上げていけるか。
ブランド認定はゴールでなくスタート。事業の成果は個々の認定企業の今後の取り組み
に懸かっていると言っていい。商議所はもちろん積極的に後押しするが、富士ブランドの輝きは、各企業の頑張り次第。その意味でこれからが本当の勝負の時と思う」
(聞き手 富士支局・穴沢直人)
(静新平成20年4月5日「本音インタビュー」)

  

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2008年04月05日

石井泰子さん

沼津市教委の「魁光章」受章
石井泰子(いしいやすこ)さん(沼津市)
 第二小にある市内唯一の言語障害児のための通級指導学級「ことばの教室」での七年にわたる教育実践が評価された。四月から、原東小に新設される発達障害児の通級指導学級を担当する。伊豆市出身。五十一歳。
ー受章の感想を聞かせてください。
 「過分な評価をいただき、本当に光栄に思っています。これからも頑張りたいという気持ちでいっぱいです」
ー指導の難しさはどんなところにありますか。
 「一人一人の状態を見極めた上での個別指導が求められるのが難しいところです。子供たちは通常の学級に所属しながら週一、二時間ずつ通ってくるので、日常生活での成果を確認するためにも、学校や家庭との連携が重要になります」
ー今後の抱負は。
 「子供には誰でも褒めてもらいたいという気持ちがあり、褒められれば伸びます。そういういい循環をつくっていきたい。通ってよかったと思える教室にしたいですね」

昨年から飼い始めた二匹のトイプードルの散歩が夕食後の日課。
(静新平成20年4月5日「この人」)
  

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2008年04月01日

佐藤潤消防司令補

救急救命学で修士学位
「沼津市消防本部の佐藤さん」
高度医学的知識を習得「市民のため役立てる」
 沼津市消防本部の救急隊員で救急救命士の佐藤潤消防司令補(四五)がこのほど、自費で国士舘大大学院の救急救命学修士の学位を取得した。県内の消防職員としては、初の同学位取得。佐藤さんは「救急業務の考え方などで、多くの知識が得られた。市民のため役立てていきたい」と話している。
 佐藤さんが履修したのは同大学院のスポーッ・システム専攻修士課程救急救命システムコース。消防職員や医療従事者を対象に、救急救命に関する局度な医学的知識を習得し、現場で優れた能力が発揮できる人材を養成する。
 佐藤さんは昨年四月に入学。勤務の合間を縫って都内の同大学院に通学し、通算で約二百五十時間学んだ。履修した三十単位をすべて「優」の成績で修了した。
 佐藤さんは一日に同市南消防署救急係長に着任する。「大学院では関東各地の救急隊員との交流もでき、知識が広がった。今後の救急行政の中で生かしていきたい」と話した。
(静新平成20年4月1日(火)朝刊)
  

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2008年04月01日

沼津支援セン夕ー豊竹さん

「東部経済のドクター」退任」
沼津支援セン夕ー豊竹さん:269社創業成功
 県東部で創業支援や中小・零細企業の相談役を務めてきた沼津地域中小企業支援センターのコーディネーター豊竹正尚さん(七〇)が三十一日退任した。在任した七年九カ月で二百六十九社の創業に成功。経営革新を含め地元信用金庫などから調達した資金は二十億四千八百万円に達した。同日、沼津市役所で退任報告を受けた斎藤衛市長は「東部経済のドクターとして素晴らしい成果を挙げてくれた」と評価した。
 豊竹さんは三島信用金庫を経て二〇〇〇年、国や県の補助を受けて沼津商工会議所内に設置された東部地域中小企業支援センターのコーディネーターに就任。〇六年の国の補助削減後は、市が沼津商議所に運営委託する形で存続させた。
 東部、沼津の両センター通算で千四百五十六社(人)から相談を受け、創業支援のほか百二十一件の経営革新を成功に導いた。新規創業では四百二十三人の雇用を創出。年商二十五億円に成長した地場ゼネコン、四人でスタートして七十三人を雇用するようになった部品メーカーもある。昨年はジャパン・ベンチャー・アワードで起業支援家部門奨励賞を受けた。
 同センターは沼津信用金庫からの出向者が引き継ぐ。豊竹さんは「創業や経営革新は甘くない。だが中小企業が力をつけなければ地域経済は成り立たない。しっかりした成功シナリオをつくり、地域はそれを支えてほしい」と話している。
(静新平成20年4月1日(火)朝刊)
  

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