2019年02月11日

堺屋太一氏死去

堺屋太一さん死去83歳
作家「団塊の世代」元経企庁長官
堺屋太一氏

 「団塊の世代」の名付け親であり、経済企画庁(現内閣府)長官を務めた作家で経済評論家の堺屋太一(さかいや・たいち、本名池口小太郎=いけぐち・こたろう)さんが8日午後8時19分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。83歳。大阪市出身。葬儀・告別式は17日午後1時から東京都港区南青山2の33の20、青山葬儀所で。喪主は洋画家の妻池口史子(いけぐち・ちかこ)さん。
 東大経済学部卒業後、1960年、通商産業省(現経済産業省)に入省。62年版の通商白書で「水平分業論」を展開し注目を集めた。70年開催の大阪万博の企画を担当し、沖縄開発庁(現内閣府)出向中には沖縄海洋博も手掛けた。78年退官。
 在職中の75年に石油危機をテーマにした「油断!」で作家デビュー。第1次ベビープーム世代を「団塊の世代」と名付けた76年の同名の小説では、この世代が社会に与える影響をいち早く予測するなど、将来を先取りする著作でベストセラー作家となった。
 98年7月から2000年12月まで小渕内閣と森内閣で、民間人閣僚一として経済企画庁長官を務めた。第2次安倍内閣では内閣官房参与に就任した。
 85年には脱工業化社会を予言した「知価革命」も出版。歴史小説出多く「峠の群像」や「秀吉」はNHKの大河ドラマの原作になった。
 官僚主義の弊寄を厳しく批判し、道州制など地方分権推進論者でもある。政府税制調査会や国会等移転調査会委員、阪神・淡路復興委員会委員を歴任した。当時の橋下徹大阪市長率いる「大阪維新の会」のブレーンとして活躍し、11年12月から大阪府市併任の特別顧問。
 2009年9月から10年12月まで、本紙朝刊小説「三人の二代目」を連載した。
【静新平成31年2月11日(月)朝刊】
  

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2019年02月07日

尾畠春夫さん

スーパーボランティア尾畠春夫さん
 東京から大分への途中、沼津に一泊
尾畠春夫さん
 スーパーボランティアの異名で知られ、東京都から大分県までの徒歩旅行を続けている尾畠春夫さん(79)が五日、沼津入りし、中沢田の杉山重義さん宅の敷地内で一泊した。
 尾畠さんは、被災地支援のボランティア活動に携わり、昨年は山口県での行方不明男児の発見で全国的な話題となった。今年1月、東京都内の小学校で講演した後、自宅のある大分県まで徒歩で移動している。
 尾畠さんは四日夜に裾野市内で夜を過ごした後、国道二四六号を南下して沼津市内に入り、その後は国道一号を西に進んでいた。裾野市での支援者の紹介により、杉山さん宅に寄ったという。
 五日夜は、杉山さん宅の離れの軒下にテントを張って就寝。翌朝は離れで朝食を取った後、リヤカーを引いて西へと向かった。
 杉山さん宅での滞在時、近隣の住民や家族の知人などが相次いで訪れ、尾畠さんに差し入れの品を届けたり、記念撮影を頼んだりしていた。尾畠さんは「来る者は拒まず」がモットーで、撮影依頼に気軽に応じるだけでなく、撮影時のポーズの取り方などでサービス精神を大いに発揮していた。
 これまでの旅の感想として、尾畠さんは「テントから出たら、人がたくさん並んでいたことがあった。なぜ、これほど情報が行き渡っているのかと思った。おでえ(怖い)話だ」と大分弁を交えて話した。
 「スーパーボランティア」という異名については、「私はスーパーでもコンビニでない。ただの老人です」と話し、その場にいた人を笑わせた。
 尾畠さんは、出発の前に杉山さんの家族に宛てて色紙に揮毫し、「朝は必ず来る七転び八起き継続は力なり人を大きく己を小さく」と記した。
【沼朝平成31年2月7日(木)号】

  

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2019年02月07日

塩見明生医師



導入が急速に進むロボット手術で全国の医師を指導する
塩見(しおみ)明生(あきお)さん(長泉町)
塩見明生医師
 1年に約550件と大腸がん外科手術が全国トップレベルの静岡がんセンターで、困難症例の執刀に励みつつ、人材育成にも注力する。ロボット手術では全国に15人いる直腸領域の熟練指導医の一人として、各地に出向く。大腸外科部長。京都府出身。43歳。
 ー大腸外科を志した理由は。
 「外科医の技量が治療成績に直結する点に引かれた。性機能や排せつという、人間の尊厳に関わる重要な臓器に近い直腸を手術する責任は重いが、やりがいがある」
 ーがんセンターの手術実施件数が多い理田は。
 「開院当初から新技術の導入に前向きで、腹腔(ふくくう)鏡やロボット手術を全国に先駆けて実施している。一例一例真剣に取り組み、反省や分析を日々繰り返した結果が成果につながっている」
 ー手術への思いを。
 「肛門を温存したい人への難しい手術も、僕らのような専門病院でこそやるべき。手術室から大きな富士山が見えるので、手術前に見て気持ちを集中させる」
 ー意気込みを。
 「新しい技術を積極的に取り入れながら、治療成績向上を常に目指す。後輩の指導も大切な仕事。自分たちの技術を高め、地域で貢献できる人を育てたい」

元旦に行われた長泉町の駅伝に小学4年の息子らと参加した。
(東部総局・大岩宝子)
【静新平成31年2月7日(木)「この人」】

この人
  

Posted by パイプ親父 at 06:17Comments(0)熱き人たち