2014年11月19日

高倉健さん死去:一つの時代、終わった

高倉健さん死去:一つの時代、終わった
毎日新聞 2014年11月19日 08時30分(最終更新 11月19日 10時32分)

文化勲章授与式を終え、記者会見する俳優の高倉健さん=宮内庁で2013年11月3日、竹内幹撮影
 戦後日本を代表するスターとして生涯に205本の映画に出演した俳優で、2013年文化勲章受章者の高倉健(たかくら・けん、本名・小田剛一=おだ・ごういち)さんが10日午前3時49分、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去した。83歳。葬儀は近親者で営んだ。19日午後1〜6時、都内の映画館「丸の内TOEI」「T・ジョイ大泉」で一般の献花を受け付ける。
 1960年代の「日本俠客(きょうかく)伝」「網走番外地」「昭和残俠伝」のシリーズで禁欲的で寡黙な無法者のイメージを確立し東映を支えるスターとなった。70年代以降も「八甲田山」「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」(いずれも77年)など強さと優しさを備えた日本の男を演じた。最後の出演は12年の「あなたへ」だった。
 「幸福の−−」の山田洋次監督は訃報に接した18日、都内で取材に応じ「同い年の健さんが元気でいてくれることが大きな励みだった。僕の映画人生で巡りあった偉大な俳優は、渥美清さんと高倉健さん。今ごろ出会っているかも。『幸福の−−』で、渥美さんと健さんが出会うシーンが胸に浮かぶ」と声を沈ませた。
 「新幹線大爆破」の佐藤純弥監督も「映画がまだ元気だった頃、時代を背負ったスターと仕事ができたことは幸せ。健さんは決して死なないような気がして、訃報を聞いた時は一つの時代が終わったと実感しました」と、大スターの死を惜しんだ。「駅 STATION」「あ・うん」「あなたへ」などの主演作で組んだ降旗康男監督は、次回作を準備していたと明かして「残念の一言。来春の撮影を楽しみにしていたが、できなくなった」と悼んだ。


 高倉健さん死去83歳
 俳優「幸福の黄色いハンカチ」
 1960年代に任挾(にんきょう)映画で支持を集め、「幸福の黄色いハンカチ」などの主演で知られた日本映画を代表する俳優の高倉健(たかくら・けん、本名小田剛一=おだ・こういち)さんが10日午前3時49分、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去した。83歳。福岡県出身。
 55年に東映入社。「日本挾客伝」「昭和残挾伝」シリーズなど主演作が男性層に支持され「網走番外地」シリーズも大ヒット。その後「幸福の黄色いハンカチ」「遙かなる山の呼び声」の好演でファン層が広がった。
(静新平成26年11月18日夕刊)

昭和最後のスター 高倉健さん死去
 信義重んじ孤独恐れず
高倉健

 高倉健さんが亡くなった。映画人の悲報に数多く接してきたが、死がこれほど信じられなかったのは初めてだった。きっとどこかで「健さんは仁挾(にんきょう)映画の主人公のように不死身だ」と思い込んでいたせいだろう。スクリーンの中でも、一人の人間としても、それほど強くて大きい人だった。
 東映の若手二枚目俳優だった高倉さんが、カリスマ的なスターになったのは1960年代半ば以降のことだ。
 「日本挾客伝」「昭和残挾伝」などのやくざ映画や「網走番外地」シリーズが全共闘の学生たちに圧倒的な支持を受けた。無口で不器用で、負けると分かった闘いでも、信義を貫き最後まで闘い抜く。高倉さんが演じたヒーローに若者たちは夢を仮託した。
 だが、70年代前半、連合赤軍事件を契機に、反体制運動は急速にしぼんでいく。そんな中、高倉さんは「新幹線大爆破」で孤独に権力に闘いを挑む男を好演し、海外でも高い評価を得た。
 そして77年、大きな転機がやってくる。森谷司郎監督「八甲田山」と山田洋次監督「幸福の黄色いハンカチ」だ。高倉さんは「アウトロー」というイメージを超えて誰からも信頼される男を演じ、幅広いファンを獲得することになった。
 この年以降数年間、出演作は驚くほど多様になる。「野性の証明」「動乱」「駅STATION」「南極物語」「居酒屋兆治」。40歳代後半から50歳代前半の男盛り。高倉さんは、演技者としてのピークを迎えていったように思える。
 特徴的なのは、役は違っていても、演じたのは信義を重んじ、孤独を恐れない男だったことだ。たぶんそのせいで、浮かれたバブルもバブル崩壊も、この人には関係なかった。
 「あ・うん」「鉄道員(ぽっぽや)」、そして遺作の「あなたへ」。社会の片隅で、真っすぐに、不器用に生きる主人公たちは、60年代に高倉さんが演じた役と基本的なところでは、変わっていなかった。
 スクリーンを離れても、優しさと熱い心を持った人だった。昭和の、そして戦後日本の最後の大スターを、われわれは失ったのだ。
(静新平成26年11月19日朝刊)
  

Posted by パイプ親父 at 11:49Comments(0)訃報

2014年11月15日

齊藤和可子儀

元建設大臣元静岡県知事 齊藤滋与史の妻
 齊藤和可子儀
 去る八月二十九日八十八歳の生涯を全うし永眠いたしました
 ここに生前のご厚誼を深謝し謹んでご通知申し上げます
 なお葬儀は近親者をもって執り行いましたつきましては「お別れの会」を左記の通り執り行います
 記
 「齊藤和可子お別れの会」
 一、日時 平成二十六年十二月八日(月)
 午後一時~午後三時
 一、場所 富士市農協ホワイトパレス
 静岡県富士市青島二〇〇⊥
 電話〇五四五ー五一ー〇六七八
 平成二十六年十一月十五日
 喪主 齊藤滋与史
 施主 齊藤斗志二
 親戚代表 豊田章一郎
 ご来臨の節は右記のご都合のよいお時間内に平服にてお越しくださいますようお願い申し上げます
 なお誠に勝手ながらご香典ご供花ご供物等の儀は固くご辞退申し上げます
 お問い合わせ先 齊藤滋与史事務所
 静岡県富士市御幸町五ー十五
 電話〇五四五ー五一ー二九四六
  

Posted by パイプ親父 at 13:08Comments(0)訃報

2014年11月13日

全盲の弁護士、大胡田誠さん

 大胡田さん(沼津出身)
 全盲弁護士奮闘ドラマ化
 「やればできる」感じて


 全盲の弁護士、大胡田誠さん(37)=沼津市出身、第一東京弁護土会所属=が幼少期から現在までの歩みをつづった著作が12月、テレビドラマ化される。「照れくささもあるが、等身大の自分を描いてもらえた」と感謝し、「身体的ハンディのある人に限らず、全ての人に『やればできる」ことを感じてもらえたら」と楽しみにする。
 ドラマは弁護士になってからの大胡田さんをモデルに、人気若手俳優の松坂桃李さんが主演。松坂さんは大胡田さん宅に泊まり込み、役作りに励んだ。サスペンス風の創作も加味されるが、大胡田さんは実際の活動から懸け離れすぎないよう、4度にわたって脚本に赤字を入れたという。
 原作は一昨年刊行の「全盲の僕が弁護士になった理由(わけ)」(日経BP社)。大胡
田さんは先天性緑内障のため、12歳で視力を失った。途中失明ゆえの苦悩と奮起、両親や弟、盲学校で同級の妻と子、友人らの支えに、日本初の全盲弁護士竹下義樹氏の著作との出合い、弁護士としての日々と喜びを、飾らない文章でつづった。
 記憶が残る最後の映像は、小学校の修学旅行で見た沈む夕日。全盲で生きていく覚悟はできていたが、「白杖(じょう)をつく姿を友達に見られたくなかったし、近所の盲学校に進めば半径数百㍍の世界しか知らないで青春が閉じてしまうことになる」。東京の筑波大付属盲学校(現同視覚特別支援学校)ー慶大を経て、5度の挑戦で司法試験に合格した。
 「常人離れした人とも、かわいそうな人とも思って見てほしくない」。喜びも悲しみもさまざまな経験がある分、「つらい思いをしている人、救いを求めている人の背中を押してあげられる人になりたい」と語り、「見えないからこそ、見えるものがある。社会の光となるような責任もある」と今後の自分に言い聞かせた。
 ドラマは12月1日午後9時から、SBSテレビなど全国ネットで放送の予定。
(静新平成26年11月12日夕刊)
  

Posted by パイプ親父 at 11:08Comments(0)素晴らしい

2014年11月11日

「26年度平成の名工」  熊谷重光さん(くまがいしげみつ)

「26年度平成の名工」
 熊谷重光さん(くまがいしげみつ)左官


 技術向上追い求め50年

 16歳で左官の道に入り、24歳で修業先から独立した。仕上げた床や壁などを見た依頼王の「きれい」の一言が「何よりの喜びで、職人の誇り」。しっくい塗りをはじめ人造石洗い出しや研ぎ出しなどさまざまな施工法を熟知し、「新たな工法を取り入れないと生き残れない」と50年余り技術向上を追い求めてきた。職人が減る中、県左官業組合の理事として業界全体を考える立場。講習会などを通して後進に伝統技術を伝える活動に力を注ぐ。それでも「試したい工法はたくさんある。何年やっても知り尽くせない」と、自らの探求心も衰えていない。
(70歳、沼津市)
(静新平成26年11月10日朝刊)
  

Posted by パイプ親父 at 10:53Comments(0)

2014年11月03日

 市川厚(いちかわあつし)さん

 旭日双光章 (産業振興功労)
 市川厚(いちかわあつし)さん
 【沼津商工会議所会頭、沼津市】
 発展へ商議所を改編
 市川厚(いちかわあつし)さん

 商工会議所の存在意義は行政にも積極的に参加し、商工業者だけでなく地域全体の発展にあると考えて運営に当たってきました。社会環境が変化する中、商議所の役割や責任は重大になっています。
将来を見据え、変化への対応やさらなる発展につながるよう組織改編や会館の建設も進めました。東部地区の各商議所、商工会と連携を深め、地域活性化に取り組んでいきます。
(静新平成26年11月3日朝刊)
  

Posted by パイプ親父 at 10:41Comments(0)受賞

2014年11月03日

 斎藤 衛(さいとうまもる)さん

 旭日中綬章
 (地方自治功労、建設行政事務功労)
 斎藤 衛さん(さいとうまもる)
 【元沼津市長・元建設大臣官房総務審議官、沼津市】
 斎藤 衛さん(さいとうまもる)


 国際技能五輪思い出
 自分の生まれ育ったまちを元気にしたい、
そうなれば周辺の市町も活気づくという思いで市政を運営しました。建設省(現国土交通省)時代の経験も生かし道路や河川の整備も訴えてきました。3期12年市長を続けられたのも多くの方の助言や支援のおかげです。在任中の一番の思い出は技能五輪国際大会。特に市民のおもてなしが素晴らしいと高く評価されたのが誇りです。
(静新平成26年11月3日朝刊)
  

Posted by パイプ親父 at 10:28Comments(0)受賞