2021年01月31日
昨年旭日中綬章受章の森川進さん
飲食業界の発展に腐心
昨年旭日中綬章受章の森川進さん
昨年11月の秋の叙勲で、森川進さん(大手町)が旭日中綬章を受けた。本来は皇居で天皇陛下から賜る予定だったが、コロナ禍で伝達という形となった。それでも、「平成から令和に変わる折には、組織の長の立場で4回皇居に招いて頂いたので、伝達で十分」と顔をほころばせる。この章は、国や公共に対する功績をたたえる旭日章のうちの上位で、かつての勲三等に相当する。
森川さんは「全国飲食業生活衛生同業組合連合会」会長を8年、県の会長を22年、厚生労働省や保健所が所管する理容、美容なども含めた16団体で組織する「全国生活衛生同業組合中央会」理事長を2期4年務めた。業界初の重い章ということで、組合役員が一番喜んでくれたことが嬉しいと明かす。
飲食組合は昭和36年、国への働きかけを行うことを目的に創立され、現在、41都道府県を網羅する同組合発祥の地は静岡。中でも沼津支部の結束は固く、森川さんの足元を守っている。
金融機関からの借り入れがしやすいよう、42年から国民金融公庫との連携を図るなど、時代に沿った取り組みと同時に、検便など飲食業には欠かせない衛生面での気長な協力体制づくりを続けている。また、「飲食店喫煙条例」関連では店舗側の様々な工夫を条件に、小規模店舗への配慮を求めるなど政治家との折衝を重ねた。
コロナ禍においては、非常事態宣言の発出されている県に挟まれている立地を考慮し、組合員の窮状を少しでも緩和させられる補助金をと政界や行政への働きかけも試みている。
一方、お茶が売れない、と聞けば「茶の振興」を名目に国からの補助金を使って茶を大量に買い上げ、組合加盟の全店に1・6㌔ずつ配布するなど社会問題を敏感に捉えながら飲食業者を守る活動を続けてきた。
現在83歳の森川さんは志下の漁師の次男坊。船酔いがひどく漁師を諦め、商売で身を立てたいと中学卒業後、ステーキの有名店、東京のスエヒロで修業を開始。親方に付いて無我夢中で働いた。
36年、添地町にとんかつ専門店「こがね」を開店。聞きつけた静浦中の知り合いの人達が連日、訪れてくれた。この時、「人は大事にしなければ」とつくづく感じたと言う。
皿から、はみ出るほどのジャンボ海老フライに客が擂(す)った胡麻にソースを混ぜるアイデアが当たり人気を呼んだ。
42年には沼津インター近くに2000坪の土地を購入して大規模なレストランを開業。地ビールの生産なども手掛け、従業員募集のために五島列島の学校を訪問したり、社員寮を建設したり、「税金もいっぱい納めました」と事業の黄金期を振り返る。
なぜ森川さんが長年、全国組織のトップを務めたのか?「人が好きってことかな。これは親に感謝するしかない」 そして、「貧乏暮らしだったが、母親は料理上手で、夫婦揃って人を大切にするから、お客が絶えない家だった」と育った環境をありがたく思う。
「でも、通夜の席でも知人に会うと、つい笑顔が先に出てしまうのがねー」 例年なら、この時期は新年会などで全国を飛び回っている。掛かりも自腹のことが多いようだ。
「女房は金に関することは一切言わないし、愚痴も聞いたことがない」と感謝。思うがままに活動させてくれる妻の昭子さんが一番の功労者のようだ。
多くの人の声を聴いてきた立場からの提言もある。静岡県を見ればバブル期には1万3000店が加盟していた組合だが、現在は3800店。食を業とする以上、「客の安全と安心」が最優先。組合に加入することで、個人では賄いきれない保険への加入もできる。国や県への飲食業ならではの様々な要請も可能になる。
営業認可証発行にしても、施設の基準だけでなく、「人の命を預かっている」という自覚の有無や組合加盟など、不測の事態に備える心づもりといった経営者の心情的なものに対しても行政側が関与してもらえたら、と願っている。
【沼朝令和3年1月31日(日)】
昨年旭日中綬章受章の森川進さん
昨年11月の秋の叙勲で、森川進さん(大手町)が旭日中綬章を受けた。本来は皇居で天皇陛下から賜る予定だったが、コロナ禍で伝達という形となった。それでも、「平成から令和に変わる折には、組織の長の立場で4回皇居に招いて頂いたので、伝達で十分」と顔をほころばせる。この章は、国や公共に対する功績をたたえる旭日章のうちの上位で、かつての勲三等に相当する。
森川さんは「全国飲食業生活衛生同業組合連合会」会長を8年、県の会長を22年、厚生労働省や保健所が所管する理容、美容なども含めた16団体で組織する「全国生活衛生同業組合中央会」理事長を2期4年務めた。業界初の重い章ということで、組合役員が一番喜んでくれたことが嬉しいと明かす。
飲食組合は昭和36年、国への働きかけを行うことを目的に創立され、現在、41都道府県を網羅する同組合発祥の地は静岡。中でも沼津支部の結束は固く、森川さんの足元を守っている。
金融機関からの借り入れがしやすいよう、42年から国民金融公庫との連携を図るなど、時代に沿った取り組みと同時に、検便など飲食業には欠かせない衛生面での気長な協力体制づくりを続けている。また、「飲食店喫煙条例」関連では店舗側の様々な工夫を条件に、小規模店舗への配慮を求めるなど政治家との折衝を重ねた。
コロナ禍においては、非常事態宣言の発出されている県に挟まれている立地を考慮し、組合員の窮状を少しでも緩和させられる補助金をと政界や行政への働きかけも試みている。
一方、お茶が売れない、と聞けば「茶の振興」を名目に国からの補助金を使って茶を大量に買い上げ、組合加盟の全店に1・6㌔ずつ配布するなど社会問題を敏感に捉えながら飲食業者を守る活動を続けてきた。
現在83歳の森川さんは志下の漁師の次男坊。船酔いがひどく漁師を諦め、商売で身を立てたいと中学卒業後、ステーキの有名店、東京のスエヒロで修業を開始。親方に付いて無我夢中で働いた。
36年、添地町にとんかつ専門店「こがね」を開店。聞きつけた静浦中の知り合いの人達が連日、訪れてくれた。この時、「人は大事にしなければ」とつくづく感じたと言う。
皿から、はみ出るほどのジャンボ海老フライに客が擂(す)った胡麻にソースを混ぜるアイデアが当たり人気を呼んだ。
42年には沼津インター近くに2000坪の土地を購入して大規模なレストランを開業。地ビールの生産なども手掛け、従業員募集のために五島列島の学校を訪問したり、社員寮を建設したり、「税金もいっぱい納めました」と事業の黄金期を振り返る。
なぜ森川さんが長年、全国組織のトップを務めたのか?「人が好きってことかな。これは親に感謝するしかない」 そして、「貧乏暮らしだったが、母親は料理上手で、夫婦揃って人を大切にするから、お客が絶えない家だった」と育った環境をありがたく思う。
「でも、通夜の席でも知人に会うと、つい笑顔が先に出てしまうのがねー」 例年なら、この時期は新年会などで全国を飛び回っている。掛かりも自腹のことが多いようだ。
「女房は金に関することは一切言わないし、愚痴も聞いたことがない」と感謝。思うがままに活動させてくれる妻の昭子さんが一番の功労者のようだ。
多くの人の声を聴いてきた立場からの提言もある。静岡県を見ればバブル期には1万3000店が加盟していた組合だが、現在は3800店。食を業とする以上、「客の安全と安心」が最優先。組合に加入することで、個人では賄いきれない保険への加入もできる。国や県への飲食業ならではの様々な要請も可能になる。
営業認可証発行にしても、施設の基準だけでなく、「人の命を預かっている」という自覚の有無や組合加盟など、不測の事態に備える心づもりといった経営者の心情的なものに対しても行政側が関与してもらえたら、と願っている。
【沼朝令和3年1月31日(日)】
森田紀(もりたおさむ)さん(沼津市) 全国和菓子協会常任理事 旭日双光章(食料品加工業振興功労)
小笠原一夫氏夫妻
佐野利夫(濱悠人)さん沼津朝日賞受賞
秋の叙勲 柳下福蔵(やぎしたふくぞう)さん (沼津市)
宇佐見りんさん 第164回芥川龍之介賞を受賞
第63回沼津朝日賞決まる 松下宗柏師
小笠原一夫氏夫妻
佐野利夫(濱悠人)さん沼津朝日賞受賞
秋の叙勲 柳下福蔵(やぎしたふくぞう)さん (沼津市)
宇佐見りんさん 第164回芥川龍之介賞を受賞
第63回沼津朝日賞決まる 松下宗柏師
Posted by パイプ親父 at 11:59│Comments(0)
│受賞
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