2020年04月21日

長倉三郎氏が死去 沼津出身、元日本学士院長 99歳

長倉三郎氏が死去 沼津出身、元日本学士院長 99歳
長倉氏

(2020/4/21 12:22)長倉三郎氏

 物理化学の分野で顕著な業績を挙げ、日本学士院長を務めた東京大名誉教授の長倉三郎(ながくら・さぶろう)氏が16日午後7時40分、老衰のため東京都内で死去した。99歳。沼津市出身。自宅は東京都武蔵野市。葬儀、告別式は近親者で済ませた。喪主は妹の西島静子(にしじま・しずこ)さん。遺族らは後日、しのぶ会を検討している。
 分子の電子構造と化学反応の関係を解明する「電荷移動理論」を確立。1981年には化学者の国際組織「国際純正・応用化学連合」(IUPAC)の会長に日本人で初めて就任、90年に文化勲章を受章した。
 ■ 「われわれの希望の星」地元で惜しむ声
 1920年に鷹根村(現沼津市)で生まれ、90年には沼津市名誉市民に推された長倉三郎さん。浜松ホトニクス(浜松市中区)が設立した光科学技術研究振興財団(同)の理事も務めた。故郷沼津の関係者は希代の科学者の死を惜しんだ。
 長倉さんの母校県立沼津東高には、長倉さんが後輩へのメッセージをつづった石碑が残る。神田不二彦校長は「文化勲章を受章されるなどの多大な功績で、多くの生徒を感化し触発してくださった。生徒、教職員ともに業績を振り返って学んでいきたい」と話した。卒業生でつくる香陵同窓会の小野毅会長は「われわれの希望の星と言える大先輩。母校をとても愛されていた」と哀悼した。
 沼津市立愛鷹小には、卒業生の長倉さんが植樹に尽力した、ニュートンが万有引力の法則を発見するきっかけとなったリンゴの木の子孫が残る。勝又昭洋校長は「『天賦の才能は不断の努力により美しく花開く』という先生の言葉と意思を伝えていきたい」と語った。
 頼重秀一沼津市長も「言語教育特区や隣接校選択制度の創設、教育基本構想の策定など、本市ならではの特色ある教育に多大なるご尽力をいただいた」と喪失感を口にした。
【しずしんアットエス令和2年4月21日(火)】

名誉市民長倉三郎氏が死去
 99歳  文化勲章受章 柳沢出身
長倉三郎博士

 柳沢出身の科学者で、日本学士院第23代院長を務めた長倉三郎氏が16日、老衰のため亡くなった。99歳。分子化学分野の功績により1990年(平成2)に文化勲章を受章し、沼津市の名誉市民にも選ばれている。
 長倉氏は大正9年1920年(大正9)、駿東郡鷹根村柳沢で生まれ、38年(昭和13)に旧制沼中(現・沼津東高)、16年(1941)に旧制静岡高校(現・静岡大学)、43年(同18)に東京帝国大学(現・東京大学)理学部化学科を卒業し、59年(同34)に東大教授に就任。81年(同56)に東大名誉教授。
 分子軌道論を用いて分子の電子状態とその反応性に関する研究を行い、様々な理論の確立と検証、電荷移動理論の実験的証明などで成果を上げたが、中でも、「分子間電荷移動錯体」の実験的確証に成功したことは、その後、電荷移動の概念が有機化学及び無機化学の研究に広く適用される端緒を築いたものとして、高い評価を受けた。
 81年(同56)にはIUPAC(国際純正・応用化学連合)会長に日本人で初めて就任。84年(同59)には学術上功績顕著な科学者で組織し文部科学省が設置する国立アカデミー「日本学士院」の会員に選出され、2001年(平成13)から07年(同19)まで院長を務めた。
 名誉市民に選ばれたのは文化勲章受章の翌年で、岡野喜太郎、芹沢光治良、井上靖の各氏に次いで4人目。04年には大岡信氏が5人目に選ばれている。
 郷土沼津のためにも力を尽くし、市の「人づくり未来塾」などの委員を務め、言語教育特区の創設にも関わった。「万有引力発見」の契機となったと言われるニュートンのリンゴの樹の穂木(ほぎ=接ぎ穂に用いる木の枝)が、長倉氏の仲介で沼津市に贈られ柳沢の故小野保さんによって台木に接がれ、母校の愛鷹小をはじめ各小学校に移植された。
 08年(同20)には、日本学士院の特別講演会「学びのススメ~ゆめをみつけよう~」を市立高で開催。学士院として初の試みで、長倉氏をはじめ国際的に高い評価を受ける会員が、中高校生に平易な言葉で直接語りかけた。長倉氏は、粘り強く、納得いくまで考え抜くことの重要性を訴え、同校や沼工の生徒、近隣中・高校の教諭らが聴講。沼津で始まった同企画は、その後、各地で同様に開かれた。
 東高には文化勲章受章記念碑が1994年(同6)、香陵記念館前に建てられ、長倉氏により「二十一世紀は若人の知的創造に期待する時代。柔軟な思考と逞しい気力で独自の道を拓き、新しい文化の創造に貢献して下さい」と若い後輩達へのメッセージが刻まれている。
 訃報を受けて頼重秀一市長がコメント。「長倉三郎先生の突然の訃報に接し、深い悲しみと大きな喪失感を禁じえません」とし、分子化学の分野での多大な功績や沼津市への貢献を挙げ、「この度の御逝去に際し、市民の皆様とともに、改めて長倉先生の御功績に対し、心より感謝申し上げますとともに、謹んでお悔やみ申し上げます」と哀悼の意を示した。
【沼朝令和2年4月22日(水)号】



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Posted by パイプ親父 at 15:21│Comments(0)訃報
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