2015年12月23日

前田千寸先生

芹沢光治良ゆかりの地を訪ねてその9
「祖父・前田千寸と上野・東京美術学校」 天野博人
maeda


 祖父前田千寸(まえだ・ゆきちか)は、明治十三年に高知県香美郡に生まれ、東京上野の東京美術学校を卒業した後、旧制中学の教員になりました。
 最後の赴任先となったのが沼津中学で、その教え子だった井上靖さんや芹沢光治良さんに影響を与え、『夏草冬濤』や『人間の運命』などの作品に、千寸をモデルにした人物が登場しています。当時は下香貫に住んでいました。
 その千寸が亡くなる前年の七十九歳の時、幼少期から東京美術学校在学時までの生活の回想を収録したテープがありましたので、その一部を紹介させていただきます。
 大変な苦学を強いられた学生生活でしたが、教員となってからの沼中・東高時代を通じて、たくさんの生徒さんから慕われ、特に光治良さんからは特別な思いで接した要因が進祭できると思います。
 ー東京美術学校本科一年生の終わり頃(明治三十五年)、我が家も村(高知県香美郡在所村)も経済状況が大変悪くなったので、学費を一切送れないから、学校を辞めて帰ってこいとのこと。帰ってみると、村で二人がタバコの密売をやり、それが専売局の手入れで発覚。村の連帯責任となり、その訴訟費用等で村全体が疲弊した。
 学校を辞めるわけにもいかず、書生でもやればなんとかなるだろうと考え、従兄に紹介してもらった人から旅費、授業料、生活費三カ月分として五十円を借りて、新学期に学校へ行くも、すぐに高熱を出し、東大病院に無料で三週間の入院をさせてもらったが、これが学生時代を通じ最も優雅な時期であった。
 書生先を探すべく、先生から紹介された所を訪ねるも、八時から十五時まで学校生活を送らねばならぬ者を置いてくれるところはなく、世の厳しさを思い知らされる。この時から苦学生生活が始まる。
 下宿先も、その家の娘さんの勉強をみることと、さらに友達三人を呼んでくれば、との条件で入居。育英資金も月五円をもらい、授業料二十円、四回の分割払い。石版印刷、下絵描き等々いろいろなアルバイトにチャレンジするも駄目。当時はアルバイトが、それほどなかった。
 そこで下宿先を二人で善光寺坂のお寺に移す。半値になった。自炊であったが、おかずはほとんどなく、味噌だけの時もあった。
 しかし、木も買えず、お墓の塔婆とか、大工が黒板塀を壊して積んであるのを取ってきて薪にした。授業料を払うと、その月は全く金がなく、母が送ってくれた着物や、袷も一重にして、ほとんどは質入れ。不思議と私には言い値で貸してくれた。
 六月二十日から九月十日は夏休みだが、家に帰る金がなく、友達の家に厄介になった。文展(日展)を知人の娘さんが見たいというので連れて行って、お寺へ帰ったら、そのような不謹慎者は置けないと言って下宿を追い出される。
 友達と一緒に引っ越すも、ますます没落。三食付き五円、ただし、おかずなし。お米四合の約束も実際には三合。二年間、塩のみで食べる。
 授業料を払うと、どうにもならなかった。腹が年中減っていた。絵の道具も買えず意気消沈。授業をサボり、木陰で青空を眺めていると、涙がとめどなく流れ、止まらなかった。
 ある時、授業でモデル写生があったが、道具がないのでポカンと眺めていた。教授に呼ばれ、どうしたのか、青年時代にはよくあることだがと問われ、事情を話す。絵行燈(えあんどん)を描ぎたまえ、と一枚五十銭であった。十枚描いた。絵の偽装もやった。落款なしである。一枚一円二十銭。中国の武漠の絵が三円。牧野富太郎氏の模写が一冊五円、六冊描いた。それが学生時代のアルバイトの全て。柔道もやめた。
 二食にして下宿代四円にしてもらうも、ますます腹が減った。絵の材料は借り買いにしてもらった。卒業まで。その点、今では考えられない。
 塩だけでは、と味噌を無心に、お寺に行き、それを舐めた。煮物が、どうしても欲しくなると、友人の丸野君と闇夜に大根を五、六本失敬に行った。醤油を借りてきて煮たが、実に旨かった。三、四日は旨い思いをした。
 石けんも買えず、二週間に一度くらい友達と一緒に風呂に行き、石けんを借りて洗うと垢がボロボロ出た。この頃、仙人生活を真剣に考え、霞を食っても生きていけると精神のあり方を変えたが、苦痛というものを感じなくなった。
 五年間、制服は夏冬一着ずつで通したが、当時はバンカラで特別なことではなかった。
(前田千寸孫、沼津芹沢文学愛好会会員、根古屋)
【沼朝平成27年4月12日(日)号】


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Posted by パイプ親父 at 09:42│Comments(0)人物
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