2015年10月14日

西岡昭夫さん死去

西岡昭夫さん死去
 コンビナート闘争で理論的支柱

nisioka

 石油化学コンビナート進出計画で、反対闘争を理論的に支えた教員グループの一人で、その後も行政の環境政策などの問題を指摘し続けた西岡昭夫さんが十日、入院先の静岡医療センターで死去した。八十八歳。自宅は下香貫牛臥三〇〇五の一。
 一九二七年九月、戸田村に生まれ、旧制沼津中学(現沼津東高)から陸軍士官学校へ進んだ。敗戦後、中央気象台附属気象技術官養成所(現気象大学)、東京理科大を卒業後、静岡県の高校教師となった。
 沼工在職中、沼津市、三島市、清水町へのコンビナート建設計画が発表されると、石油化学コンビナートが喘息などの公害を招いた四日市に行き検証。沼津への進出反対運動の先陣を切った。
 計画を疑問視する国立遺伝学研究所の松村清二博士を中心とする地元研究者で構成する松村調査団に加わり、国が委嘱した黒川真武博士を中心とする産業公害調査団、いわゆる黒川調査団と相対した。
 この計画で西岡さんは、牛臥海岸への東京電力火力発電所について、沼工の生徒や保護者の協力を得て、こいのぼりによる風向、風力などの調査資料を基に、黒川調査団の矛盾点を指摘。
 さらに松村調査団は、沼津地区の気流の特異性などを挙げて黒川調査団を論破。加えて沼津医師会や漁業者、市民の強力な反対運動もあり、国は計画を断念した。これは後に、日本で初めての住民運動として沼津の名前を全国に知らしめた。
 その後、三島北高、韮山高で教えたが、韮山高在任中、心筋梗塞を発症し五十九歳で退職。その後、研究の道に入り、名古屋大と宮城教育大で講師を務めた。
 その傍ら、地元の問題として、富士山裾野への富士サファリパーク進出や愛鷹山麓へのゴルフ場開設、柳沢へのゴーカート場建設、千本松原内へのサイクリング施設建設、志下地区水産加工場からの廃液による塚田川水質汚染など多くの環境問題に取り組み研究。
最近では、沼津駅付近鉄道高架事業、ごみ焼却含む新中間処理施設整備事業に対する問題点を指摘するなど一貫して環境保護の立場から、沼津朝日新聞紙上を通して様々な提言をし続けた。
環境保全と労働安全の分野で社会的不正義をなくすために熱意ある取り組みをしている個人、団体の活動を顕彰する「田尻賞」第1回で表彰を受けた。
 葬儀・告別式は十三日、妻の和子さんが喪主となって行われた。
【沼朝平成27年10月14日(水)号】


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Posted by パイプ親父 at 04:50│Comments(0)訃報
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