2008年06月02日

岩崎恭子さん

岩崎恭子さん岩崎恭子さん 【岩崎恭子さん(いわさき・きようこ)沼津市出身。29歳。14歳の時、1992年バルセロナ五輪女子200㍍平泳ぎで金メダルを獲得した。96年のアトランタ五輪の200㍍平泳ぎは10位。現在はスイミングアドバイザーとして全国各地に出掛け、幼児からお年寄りまで幅広い世代に水泳の楽しさを伝えている。】





「金メダルとあの言葉は自分の体の一部」
 目標までの過程大切

 ー十四歳で金メダルを取ったバルセロナ五輪から十六年がたちました。
 現役を引退しても物事を四年サイクルで考えてしまいます。今でも代表選考会のことを考えると心臓が痛くなるんですよ。選考会前は自分が泳ぐわけでもないのにドキドキしたりして。
 わたしは子供のころからいつもレースでは一番になろうと思っていました。初めて五輪に出場したバルセロナでも同じで、金メダルを取るつもりだった。でも、金を取ったらどうなるのか、心の準備ができてなかったんです。
 ー「今まで生きてきた中で一番幸せ」という言葉を残しました。
 あの言葉は自分の中で金メダルと同じぐらい大きなもの。言葉と一緒にわたしを覚えていてくれる人も多いですし。でも、当時はあまりに反響が大きく『何であんなこと言ったんだろう』ってメダルと言葉が重荷になっていましたね。
 ー中学二年生を取り巻く環境は一変し、長いスランプが待ち受けていました。
 バルセロナの後は自分を見失い、練習もダラダラとしてしまって。一番を取りたいと思わなくなりました。『これじゃいけない』って気付くのに二年もかかってしまって。でも、この期間があったからこそステップアップできたと思います。金メダルもあの言葉も"自分の体の一部"と思えた時、アトランタを目指す決意が固まりました。
 ー挫折を越え、五輪連続出場を果たしました。
 アトランタ前の二年間は本当にいろいろ考え、水泳に真剣に取り組みました。出場権を取った時はバルセロナの金と同じくらいうれしかったです。結果は十位で競技者として負けでしたが、ゴールした時に達成感がありましたね。
 ーバルセロナを理想化しすぎて陥った不調。二つの五輪を経験し、大きく成長しました。
 バルセロナの時は気持ちよく泳ぎ、どんどん前に進みましたね。アトランタの時はバルセロナと同じ泳ぎをすれば、いい記録が出るという思いが強く、感覚を再現しようとしすぎてしまったような気がします。アトランタの時はもうバルセロナのようなことが自分に起きないとわかっていた。今自分ができることを認識したうえで目標をつくることが必要で、漠然とした目標は意味がない。たどり着くまでの過程が大切だと思います。
 ー北京には高桑健、松本尚人、物延靖記の県勢三選手が出場します。
 静岡から一度に三人の五輪選手が出たのは本当にうれしい。五輪の舞台に自信を持って臨んでほしいです。自分らしく競技できた人がいい結果を残せると思います。出場するだけじゃなく、北京で戦ってきてほしいと思います。
(聞き手=運動部・寺田拓馬)
(静新平成20年6月1日「私の五輪物語」)


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Posted by パイプ親父 at 14:42│Comments(0)人物
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